9月 23rd, 2010 § あ はコメントを受け付けていません § permalink

 「もっとわかりやすいことを悩んでください」
 言い放つなら、丁寧に言うべきではないと、踏雄は廊下から玄関へとなんだか気取って歩き外へ出て行った明子の足の裏に焦点をたえず合わせるようにして見送った。
 あは、平仮名なのか、カタカナか、漢字か、くよくよと午前の一時間考えていただけだったが、いよいよ、とうとう、あに対する嫌悪が生まれ、使用禁止とする旨を、机と胸の間に落とすように呟いた言葉を、あだ名などこれまでつけられたコトの無い踏雄のことを最初からふーちゃんと呼びすてにし、食事のたびに恋人っていうのがいいから結婚はまだできないとトロンとした目つきでご飯粒と一緒にこぼす明子が、横から勝手に拾って、それを理由に怒ったようだった。 » Read the rest of this entry «

shadow

3月 24th, 2010 § shadow はコメントを受け付けていません § permalink

 すぐにそのシルエットが人だとわかった。レンズのせいでほぼ全体を占める遠景はぼんやりとボケているが明るい。もしかするとこの人は、窓のある部屋の、陽射しの届かない場所で蠢いている。右側の髪の毛に触れる指先と眉間あたりが見えた。
 そのシルエットが画面から消えても、なにか小さな音が聴こえたので、必ず再び顕われると思った。画面を支えるカメラは固定されているが、時々遠景のボケが歪む。オートフォーカスのセンサーが、虫かなにかを捉えたのだろうか。でも、新しく見えてくるものはない。恣意なのか盗撮なのか撮影ミスなのか判別しかねる。 » Read the rest of this entry «

シンク

2月 28th, 2010 § シンク はコメントを受け付けていません § permalink

 枕にしていたクッションから頭がずれて床に頰を潰したようにしても痛みなど感じずに熟睡していた。テーブルの足の向こうに衣服がたたんで重ねてある。口もとまで包まったタオルケットのつま先あたりには窓から射込む朝の光がなにかをこぼしたように広がっていて、そこだけ温かかった。フローリングの目地に沿って身体は動かさず目玉を上にやると頭のすぐ脇に、飲み残したワインの入ったグラスと、小さな皿には白いチーズがあった。幼い頃飼っていたシロという犬を憶い出した。あの子もこうして目を覚ましていたのかしら。またシンクに寄り添うようにして寝ているわ。由子は呟いた自分の声が、自虐と逆の響きであることに満足した。 » Read the rest of this entry «

勝気

2月 23rd, 2010 § 勝気 はコメントを受け付けていません § permalink

 「身の程を知った負けん気なら可愛いよ。俺は駄目だって笑ってくれるほうがよっぽど頼もしい。あの人は違った。些細なことで負けたくないし、謝りたくないのよ。俺は今まで誰にも謝ったことはないなんて偉そうにいうのよ。ぷってふきだしちゃった。あんまりにもダサくて」
 女は、足下の濡れたバスタオルへ視線を投げ、素足で横に押しやった。玄関まで続く床は、大量の血液が中途半端に拭いてある。黒いようなタオルを足で拭き取りながら椅子に座ったところまでひきづったのだろう、爬虫類の歩行の痕跡のような生々しさで室内灯の反射を受けて、匂い立つようだった。 » Read the rest of this entry «

12月 30th, 2009 § 煙 はコメントを受け付けていません § permalink

 一週間と少しで年が変わる。この小さな宿場町も所々でそれなりの慌ただしさが、人々 の足元や顔つきにそれとなくあらわれ、駅前には注連縄や正月飾りを売る屋台も出て、コンビニエンスストアーにはクリスマスの飾りが大袈裟に点滅し、暗かった街が夜遅くまで 裸電球で照らされるようになった。初雪の日から数日は、交互に雪の降る日が続き、今年 は雪が多いと至る所で口にされるようになったが、それきりであとは快晴となり、家の影 に必ず残っていた白いモノもすっかり消えたが、朝夕の冷え込みは激しく、やたらにくっ きりと星が広がり、夕空を見上げる駅前の人々の必ず両手を口にあてる横顔には、いっそ 雪のほうが落ち着くと、白い季節を待つような色が見てとれた。 » Read the rest of this entry «