仄声微睡

11月 20th, 2014 § 仄声微睡 はコメントを受け付けていません § permalink

 雪融けだったか梅雨の後先だったか泥濘の所々に水溜りがありそれを好んで踵で踏み込み深く削られた轍の泥穴に長靴を残したまま足首だけがすっぽり抜けると背後でげらげらと笑いが立った。路傍の繁みから毟り千切った枝の余計を払い撓る鞭を手に振ってひゅうひゅう足元の空を切り歩む道草には汚い野良犬が彷徨き運動靴で糞を踏めば終日指を指され陰口がたわいもなく表に開かれ泣く子供も珍しくない。蓋し泣いた子は翌日には洗い流された靴の裏を見せてあっさりと笑っている。帰り道の土路には盛り上がった馬糞があり、温かいうちに素足で踏めばそりゃ速く走ることができる。夕焼けの向こうにまだ荷を轢いた馬尻の見える垂らしたばかりの湯気のあがるモノに、白い鼻水を垂らした年上が物知りの表情でこちらを促しながら裸足になり鼻をつまんで神妙な餅搗きの音をだし足踏みをして糞を捏ねると臭いが広がり目玉にしみる。この時から犬のものより馬の糞のほうが聖となったが素足で餅搗きをした記憶はない。子供らは等しく草臥れ汚れた服装をして年上は年下に無理強いをしなかった。山寺の園に通う石段をのぼる記憶は鮮明だが下り降りる景色は失せている。土地に新参不慣れなまだ若いふた親は共稼ぎだったから、此処で産まれ育つ息子は独りで土尻という川の脇の借家の庭に親たちが気味悪がるほど延々と小さな泥穴を幾つも掘り、縁側にカエルの卵を持ち帰れば怒鳴られて棄てられ、部屋の中では厭きもせず積み木をしていた。趣味なのか気まぐれなのかおそらく十五歳の差がある父親代わりの長兄の影響もあったかもしれない時代の流れに逆らわない父親が撮影して遺した当時の白黒写真にはその様子が鮮明に写されており、子供は大人になる途中その写真によって幾度も記憶の硬化を促されている。およそ二十年後に記憶を確かめる為に取ったばかりの免許の車でこの辺りだと辿ってみると当時の借家はまだ残されていた。全てがスケールダウンしている。腰を落とし幼子の視線の高さで符合する景色が幾つかあったが、当時瞼には水平に広がっていた場所のパースペクティブが、本来は寧ろ谷の垂直が視野に迫る形であると判り以降予想した以上に閉塞した場所となって認識が上書きされた。留守と子供の世話を任された家政婦は、彼女にとっても慣れない仕事だったのだろう責任を大きく抱え過ぎた厳しさと緊張で幼子を見張る目付きで土地にしてみれば不相応な給金で勤めたがそれが仇ともなったと考えることもできる。物心を育む幼子にしてみればあれは駄目これは駄目と子供に何かあったら申し訳が立たない家政婦は否定を繰り返し、叱りの反復を共有せざるを得ない行動を制限される時間によって人間は怖いとだけ三つ子の魂に擦り込まれ情愛の欠けた対人不信がしっかりと深く幼子に根を張った。けれども子供は家を抜け出し年上に誘われて橇で坂を転げ落ち森に入り川に石を投げていた。土地柄としては珍しい映画館があり休日には父親が子供を連れて西部劇ばかりを観た。成長期の核家族の稼ぎは目に見えて豊かになり取って付けたようなミスマッチの服装で独り校庭に踞っている画像があり他の子供は二人組になった踊りの途中とみえる。若い女性教師が飛び入りして子供の相手となったけれども、あの時の女性教師の貌と違和感とわだかまりはなぜかくっきりと憶いだすことができる。村に一軒だけあったおもちゃ屋に置かれた眩しいような金属のロボットを幾度か強請ったけれどもふた親は息子に買い与えることをしなかった。玄関に来た物乞いに家政婦が何かを与えて追い払う様子を襖の脇からみつめていると振り返った家政婦は物乞いに向けたものと同じ表情をこちらへ投げてなにかを叱りつけたけれども、この人間にとっては乞食と自分は同じ立場だと幼子は思ったものだ。風呂の蛇口を銜えて奥歯が挟まり抜けなくなって泣く歩きはじめた程度の下の娘を助ける為に蚊帳の中ぷうとピースの煙を吐いてプロレス中継を観ていた父親は風呂場に走り込み強引に娘の口を捻ると生えたばかりの奥歯が容易く捥げた。独り残された五歳の息子は村医者に走ったまま帰らないふた親とだらだら口から止まらない血を流した妹を、眠らず何もせずに深夜迄暗闇の蚊帳の中で座り込み、ただ只管にじっと待っていた。 » Read the rest of this entry «

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