8月 23rd, 2009 § 土 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 臨月の里美は、夫に聞こえるように廊下の電話で帰らないからと母親に伝えた。耳元を離れてから母親のダイジョウブなのと語尾を伸ばす声が手首の中聞こえたが構わず受話器を置いた。背骨を腰のあたりで反らすようにして左手で下から腹を抱え撫で、目頭に振り落ちた前髪を耳へ指先で戻して振り返ると、夫は偉そうな表情でこちらを見て頷いている。何もわかっちゃいないのに。里美は黙って夫の座るダイニングテーブルへ戻り、食べかけの朝食の牛乳に口をつけ、乳牛を飼うって大変かなと言った。本当は不安だったが、里美は夫の元で産みたいと思った。

 3年前、亮介の両親が大雨で緩んだ畑の始末の最中に小さな崖の土砂の崩れに巻き込まれた。晴れ上がった翌日の午後になって、配送に走っていた宅配の運転手からどうもおかしな場所がある。連絡を受けた村の駐在が、崩れの下に露出した長靴をみつけ大騒ぎとなり、村の消防団が駆け集まって掘り出したが既に遅かった。ふたりともまだ壮健だったが、崖下の農業用用水路に座り込んでいたところを不意に頭の上から根をつけた樹々をともなった土砂の塊が落ちて上半身を水路に落としたらしかった。現場はなんとも小さなその場限りの小さな崩れだった。皆がなんでこんなことにと同じ言葉を漏らした。夫婦で並んで同時に事故に遭ったことが、痛ましいともそれでよかったとも囁かれた。社での業務中に報告を受け頭が殴られたように痺れたまま列車に飛び乗り帰省した亮介は遺体を前にして、慰めの言葉も聞こえず声も出ず涙も出なかったが、列席の村人に頭を下げ葬式を終えてから東京に戻り、即座に辞職願いを提出し、学生の頃からの独り住まいを片付けて実家に戻り、2週間程放置された田畠の手入れをわけもわからずにはじめていた。
 一人っ子を東京の大学へ進学させて、時代に合った好きな人生を送らせることにした亮介の両親は、村の寄り合いで、折角の跡継ぎなのにと幾度も声をかけられたが、この家も家業も俺たちふたりで仕舞いにするよと笑っていた。そんな話を、四十九日法要で父親の兄より聞いて、両親の田畠を引き継ぐ勉強を始めた旨を報告し、これからいろいろと教えてくださいとまだ都会の青年の顔できっぱりと言葉にした。その時学生の頃からつき合っていた里美も駆けつけており、あたりから浮いたような清楚な白い顔で、亮介の隣に座っていた。
 里美からここに住むわと法要の片付けの後切羽詰まった言葉を聞いて、亮介は一度帰ってゆっくり考えろと返していた。俺は来てくれとは言えない。なにしろ先がみえない。君は都会育ちだからな。と笑った。里美は相談されずに実家に戻った亮介から顛末を携帯で聞いた時にもう決めたことだった。

 所帯を持って朝霧の中、若い夫婦が農作業をする姿を村人は、遠くから眺め今時の若い者だから続くまいと小さく噂が流れたが、日ごとに手入れされた田畠は、以前より行き届いていると半年で掻き消えた。妊娠を知った従兄弟の良文がさとみちゃんおめでとうと家から預かってきた果物を差し出し、甥の耕造と四人でおいしいねえとスイカを食べる里美を眺める亮介は、帽子の痕を額に残すほど日に焼けて、半年前とは見違えるほど両腕も太く固くなっていた。里美は良文の母親に、この土地ではそんなものすぐに駄目になるわよ。子供じみた花壇はやめなさい。叱られたことを思い出し、だって庭にも花は必要よ。と笑いながら弁解すると、良文は、妻の夕子が今度テニスに誘うってさと言った。

8月 22nd, 2009 § 脛 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 山岡は帰宅できないまま二日ほど寝ずに仕事を続け、仕上げを部下に任せ、オフィスのパーティーションで仕切られた応接ブースにあるソファに倒れ熟睡していた。ソファから見上げた壁の時計は、午後4時すぎを示していたことだけ記憶していた。ソファの背と膝掛けの隅に顔を埋めるように寝ていると気づいてから、瞼を閉じたまま時計盤を思い出していた。振り向いて壁をみればどのくらい眠っていたかわかる。

 まただ。先ほどから何度か聞いている。枝を折るような脛の音が頭の後ろで小さく立ちあがった。女性社員が毛布でも掛けてくれるのだろうか。だが、オフィスの業務の音は一切しない。体重の移動で足首から膝迄走るような脛の音だけがクリアに響いて消えた。誰かが背後に立っているのかと、ようやく身体を解して目を開け上半身を捻って振り向き、まず壁の時計をみると4時前だった。どうやら午前らしく、オフィスの灯りは消されており、丁度時計盤に外からタクシーだろうかヘッドライトがゆっくり回るように届いて時間がみえた。
 窓の外から入り込む街の灯りで、薄暗い応接ブースには山岡の他には誰もいなかった。タオルケットが身体に掛けられており、目覚めと知覚と夢が混ざったかと思い返したが、夢の名残は無かった。立ち上がり応接ブースだけ電灯を点け、湯沸かしへ歩きながら、だがあの脛の音は妙にエロティックだったと、匿名の女の足だけを浮かべて火をつけ、珈琲を入れてソファに戻り、皆が出社する時刻迄もう一度眠ろうかと、珈琲を腹に流し入れてから横になった。
 机のカップから湯気が揺らいでいると眺めてから瞼を閉じ、大きく息を吐くと、再び目の前あたりの、カップと目頭の間あたりの近距離で、脛の音がピキと走った。はっとして目を開けると、視界の隅に白いストッキングの脹脛が、さっと消えるような残映をみたような気がした。再び目を閉じればまた音がする。それもいいものだなと山岡は緩く思って瞼を閉じた。

 急性の心筋梗塞で嘔吐したままの山岡を終業間際の社員がみつけ、救急車で運ばれていた。意識混濁の患者の周りで看護師が脛を鳴らしながら立ち回っていた。

群れ

8月 9th, 2009 § 群れ はコメントを受け付けていません。 § permalink

 「わたしはわざわざ身動きできない通勤電車に揺られて眉を顰めた表情をつくりながら、実は安心していたのだと思います。電車ばかりではございません。夏祭りや、バーゲンなども人が多ければ多い程、歓びの度合いは高かったのでございます」

 晩春の昼過ぎ時、天麩羅蕎麦の脂が少々腹に凭れたような気がして、大きめなミネラルウォーターを持参し、一気に半分ほど飲んで赴任したての浅岡は、散り終わった桜の枝を見下ろしネクタイを緩めて椅子に座り、取調室で品の良さそうな婦人を前に、黙って話を聞いていた。部長からとにかくなんでもいいから話をさせろ。お前は聞くだけでいい。と指示されていた。

「肉親がひとりもおりません。両親はまだ幼い頃亡くなりました。ふた親とも50近くになってからわたしを産んで育てたので、19の時には短い患いの後、続けて亡くなりました。働き始めてから今までずっと独りでしたので、途中からわたしの体は人様に見えないのではないかと思うようになりました。幾度か薬を飲んで死のうかと思いましたが、遺伝でしょうか、丈夫なもので翌朝にはけろっとして起き上がるのでございます」
 女は茶碗を両手にとり、ゆっくりと口をつけ音をたてずに茶を飲んだ。器を机に戻さず手の平に置いたまま、お名前はと尋ねたので、浅岡と答えてから、気まずさを打ち消すように即座に、それで。と話の続きを促した。
「ぎっしりと身体を寄せて揺れる電車の中で、痴漢行為をみつけました。立派な紳士でした。被害にあっている女性は顔を顰めて俯いていましたので、私はその紳士の手の甲を思い切りつねったのでございます。男性はびくっとしましたが、表情には出さずに手を隠しました。最初はそれだけでございます」
 浅岡は、同じような光景を見て、自分は男の腕をねじり上げたと、自分の顛末が思わず口から漏れそうになり、慌てて堪え、ミネラルウォーターのキャップを開けた。

案山子

8月 8th, 2009 § 案山子 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 「案山子」はどうやら法律関係か興信所、もしかすると刑事かもしれない。あまり余計な記述をせず選んだ言葉で的確な合理を示すので、学生のような面影も漂ったが、おそらく40は越えている。佐々木の知らない「ウド」と呼ばれる案件に関して自称庭師と豪語する「谷底」が触れたことがあり、「案山子」の嘆きに関することだったらしく、「案山子」の書き込みには増長への躊躇いが現れ、それは年齢の若い者の「間」ではなかった。
 佐々木は「棒」と自称し、嘆きのカテゴリーはまだ明示していなかった。「案山子」は「クロユリ」と名付けた案件の簡単な説明をした。

ー黒百合の花言葉は「恋」「呪い」または「復讐」。この花言葉が今回の成立を端的に示している。黒百合は石川県の「郷土の花」であり白山が群生地として有名であり、同時に花を咲かし受粉する迄時間がかかることも符合する。金沢市内で1987年に家長が家族を殺害した事件があった。犯行は金属バットおよび包丁が使われている。家長である原田康夫(62)、房子の家に、息子である長男は妻と幼い子を加え二世帯同居しており、事件当時長男は交通事故で休職中だった。原田康夫は犯行理由として、家族の中で疎外され、妻からも見放されたと感じた。長男が暴言を吐いたのを、深夜目が覚めて思い出し、寝ている息子の部屋に行き、金属バットで頭部を殴打した。最初は息子だけと思っていたが、物音に気づいて声を出した息子の嫁をそのまま殴打、叫び声をあげる妻を台所で包丁で刺し、死んだことを確かめてからお湯を沸かしお茶を飲んだ。子供部屋で孫娘が寝ていることに気づき、このままひとり生き残っても可哀相だと、朝方になってから金属バットで殴打し、そのまま午前6時前に、自分で警察に電話をした。15年の禁固刑の実刑を終え、2003年に出所。翌年の2004年隣の家の家族を殺害。これも自分から警察に電話した。この時、佐藤由佳里(55)が、原田康夫と共に殺人幇助で起訴されたが、佐藤由佳里は、1987年当時の、原田の愛人であり、原田の出所まで原田の犯行のあった家で暮らしていた。今回は死刑判決となった。とある出版社が目をつけ、15年間の原田と佐藤の、段ボール箱15個となる往復書簡の出版を予定しているらしい。溜息のでるようなラブレターだという。二度目の犯行理由は、佐藤由佳里が15年の間、近隣から嫌がらせを受け、落書きや村八分にされ、その戦陣を切っていたのが殺害された山岡宗一(77)であったという。妻の和子(75)、長男の悟(51)も、同日殺害された。山岡と原田は小、中学校の同級で、酒を飲む仲だった。ラブレターは、二度目の犯行の裁判時に証拠物件として扱われ、内容が明らかになったが、1995年頃より、佐藤の文面に原田の家族の霊が現れ始め、同時に近隣からの嫌がらせに対する詳細な報告も加わっているが、文面にあるような嫌がらせの事実確認はできていない上、判決後入所した1988年当時、原田の家に住み始めた佐藤を気味悪がる近所の家族はいたが、時間とともに忘れられていったという証言もある。ー

 「案山子」は、公務員だった原田が退職後愛人を囲い、おそらく家族にそれが知れたのだろうと続け、問題にすべきなのは、原田康夫ではなく、佐藤由佳里であり、今回長くとも7年以下の実刑であるから、再び社会へ戻ることが予想され、加えて出版される書簡の流通次第によっては、愛の狂気が正当化されることも懸念される。いかがか。というものだった。
 自称建築関係の「短冊」は、愛人の存在による第二の犯行を除いた、第一の犯行に普遍性があるかもしれない。と書き、自称神経科医である「るふらん」は、この国に伝統的な愛のエチュードとして、母性に横たわっている気の振れであると書いた。「棒」である佐々木は、「自分が全く同じ状況下にある」と書いた。

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8月 3rd, 2009 § 音 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 地に散らばった幾千もの白い抜けた歯を地に臥せた視線で眺めていた。墓場で気づいたか。雹でも降ったのか。まさかこんなにも歯ではないだろう。小石など撒かれてあっただろうか。朧げな昼とも夜ともわからない仄かな光の中で瞼を閉じたつもりだった。腕を伸ばしてひとつを探り掴んだ指先で形を追うと、指先の小さな力で潰れて粉になった。しばらくその粒子を皮膚の間で確かめて、瞼を開けようとするが重怠い眠気が酷くなるようだった。

 乗り上げた途端に鈍いゴムの黒い冷徹で圧倒的な重量を、寸前まで張りつめるように堪える白い健気な印象を一瞬に轢き潰す、ドライバーの用心深さを繊細に反映したその弾力は、忍び寄るにじり寄る速度で時々停止し、定規の目盛りを浮かばせるような始まり方で、再び耳元に、みし。みし。と音を響かせた。横を向くような陰惨な人の態度が伴った。

 まだ眠りの内側に深く瞼を閉じたまま、身体の在りどころを忘れ、自分の顔の在処もぞんざいに曖昧な感覚で遠いけれど、音はいよいよ明晰に鼓膜から更に奥へと細く尖ってくっきり届き置かれるようだった。
 家主の長男の朝帰りかと思って、あのタイヤは太い。聞いてたまげた値段のアルミフレームをまずさきに克明に浮かべていた。自分はいつからこの家に滞在している。訪れた理由は墓参りだったか。排気量の大きな外車ではなかったが金を注いだことを誇らしげに話した長男の口元だけが無声で瞼の中で繰り返され、ああ彼が泊まり客に気を利かせたのだ。忍びよりの速度の解釈を一度決めつければまたそのまま恰好で眠りに戻れるような甘い崩れが広がったまま、ふいにぽっかり瞼を開けた。

 見当はずれの団地の自室のソファでうたた寝をしていた午後の日差しがあり、深夜と近づいた闇などどこにもなく、ベランダから鳥のさえずりが聞こえた。ちいちいと鳴く声がミシとならない。一歳になった次女が台所のダイニングテーブルの下にちょこんと静かに座り口元へ手をやっている。寝かしつけたつもりで寝かされてしまい、何があってもおかしくはなかった空白の時間を考えて背筋に痛みが走った。慌てて娘を抱き寄せて、口の中をみると紐のようなものをなめており、取り出すと30センチもある紅白の結び紐だった。

 娘を抱いたままミルクを温め腕の中から這いだして一人静かに小さなものを拾い上げる飢えと無邪気の攪拌された時間何事もなく大人しかった娘の瞳の瞳孔が、ごくごくと吸い込むミルクの量に応じて広がっていく。遠くから救急車の音が聞こえ、団地の下を通過してほどなくいったところで停車したようだった。お前でなくてよかったなと、口元に溢れて垂れたミルクを指ですくってなめると安堵の味が広がる気がした。
 腹の膨れた娘がウトウト小首を傾げはじめたので木製の赤ん坊の為のベットに寝かせ、時々瞼を開けてこちらを確かめる視線を受ける位置に座って卓上の新聞を引き寄せあてもなく記事を辿った。ドアベルが鳴らされて、近所の方がドアを開け、長女の曲がった自転車を下まで運んでおいたと聞き、ここではじめて長女が車にはねられて救急車で運ばれたことを聞いた。どこの病院に運ばれたか、その人も知らなかった。

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