8月 3rd, 2009 音 はコメントを受け付けていません

 地に散らばった幾千もの白い抜けた歯を地に臥せた視線で眺めていた。墓場で気づいたか。雹でも降ったのか。まさかこんなにも歯ではないだろう。小石など撒かれてあっただろうか。朧げな昼とも夜ともわからない仄かな光の中で瞼を閉じたつもりだった。腕を伸ばしてひとつを探り掴んだ指先で形を追うと、指先の小さな力で潰れて粉になった。しばらくその粒子を皮膚の間で確かめて、瞼を開けようとするが重怠い眠気が酷くなるようだった。

 乗り上げた途端に鈍いゴムの黒い冷徹で圧倒的な重量を、寸前まで張りつめるように堪える白い健気な印象を一瞬に轢き潰す、ドライバーの用心深さを繊細に反映したその弾力は、忍び寄るにじり寄る速度で時々停止し、定規の目盛りを浮かばせるような始まり方で、再び耳元に、みし。みし。と音を響かせた。横を向くような陰惨な人の態度が伴った。

 まだ眠りの内側に深く瞼を閉じたまま、身体の在りどころを忘れ、自分の顔の在処もぞんざいに曖昧な感覚で遠いけれど、音はいよいよ明晰に鼓膜から更に奥へと細く尖ってくっきり届き置かれるようだった。
 家主の長男の朝帰りかと思って、あのタイヤは太い。聞いてたまげた値段のアルミフレームをまずさきに克明に浮かべていた。自分はいつからこの家に滞在している。訪れた理由は墓参りだったか。排気量の大きな外車ではなかったが金を注いだことを誇らしげに話した長男の口元だけが無声で瞼の中で繰り返され、ああ彼が泊まり客に気を利かせたのだ。忍びよりの速度の解釈を一度決めつければまたそのまま恰好で眠りに戻れるような甘い崩れが広がったまま、ふいにぽっかり瞼を開けた。

 見当はずれの団地の自室のソファでうたた寝をしていた午後の日差しがあり、深夜と近づいた闇などどこにもなく、ベランダから鳥のさえずりが聞こえた。ちいちいと鳴く声がミシとならない。一歳になった次女が台所のダイニングテーブルの下にちょこんと静かに座り口元へ手をやっている。寝かしつけたつもりで寝かされてしまい、何があってもおかしくはなかった空白の時間を考えて背筋に痛みが走った。慌てて娘を抱き寄せて、口の中をみると紐のようなものをなめており、取り出すと30センチもある紅白の結び紐だった。

 娘を抱いたままミルクを温め腕の中から這いだして一人静かに小さなものを拾い上げる飢えと無邪気の攪拌された時間何事もなく大人しかった娘の瞳の瞳孔が、ごくごくと吸い込むミルクの量に応じて広がっていく。遠くから救急車の音が聞こえ、団地の下を通過してほどなくいったところで停車したようだった。お前でなくてよかったなと、口元に溢れて垂れたミルクを指ですくってなめると安堵の味が広がる気がした。
 腹の膨れた娘がウトウト小首を傾げはじめたので木製の赤ん坊の為のベットに寝かせ、時々瞼を開けてこちらを確かめる視線を受ける位置に座って卓上の新聞を引き寄せあてもなく記事を辿った。ドアベルが鳴らされて、近所の方がドアを開け、長女の曲がった自転車を下まで運んでおいたと聞き、ここではじめて長女が車にはねられて救急車で運ばれたことを聞いた。どこの病院に運ばれたか、その人も知らなかった。

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