佐々木

5月 28th, 2008 § 佐々木 はコメントを受け付けていません § permalink

誰も語らないのは、あえて語らないのではなくて語れないにすぎない。ことあるたびに共有した記憶の開示を無理強いするようにかつて語り得た友人たちに嫌な顔をされながらそれを無視してごり押ししていたのは私のエゴのようなものだ。中年を終える年頃になって佐々木は自分が気づかずにいる我侭な無邪気の根拠を考えるようになった。
思えば、多くが既にこの世から消えて名残りすら無い。肉体の欠片とは云えないが寄り添った残されし近親の人々は、だが、消えた人間自体ではない。すでに消滅した人間の何を明らかにしようというわけでもなく、ひとつの話題として抱き寄せる必要など、こちらの生活にはまるでなかったが、佐々木の瞳が閉じられる瞬間に現れる「罪の意識」には、消えた人間が多く寄り添うように囲んでいた。
実際、佐々木には幾つかの他愛ない秘密がささやかな後ろめたさとともにあり、それは長年収集したコレクションなどよりも深いところで佐々木の魂の一部分を形成しているといってよかった。

秋本

5月 28th, 2008 § 秋本 はコメントを受け付けていません § permalink

秋本は、こちらが大したリアクションを返さないのに懲りずに声を掛けてくる。友人とは呼べないが、気さくな同僚の一人として、酒の誘いにも付き合っていた。懇意にしている上司がいるわけでもなく、馴れ合いの女の噂も今はなかった。
秋本が充分準備して薬を呑んだのは、方々に発見当日に配達されたモノで明らかだった。
本田の自宅へ秋本から届いたのは、あちこちから俺の所にも来たよと、いぶかる小さな声が静まってからだったので、この遅れが死者の強い恣意に思え、届いたことを黙ったままにした。

ヤマダ

5月 28th, 2008 § ヤマダ はコメントを受け付けていません § permalink

列車から見える水平な広がりがいつになく妙に心地よいので、そういえば仕事の空間は垂直に幾重も交錯した構造だから、始終顎を上下している。数日前はエレベーターに20分閉じ込められ、見知らぬ男と意味ないなじりあいに発展していた。振り返って目の前を失いそうになり、慌てて窓に額を近づけた。よくみれば田に水が入れられ苗を落とす間際の反射面がひたすら続いている。偶然に田植え前の水平面が空間の広がりを加速させたのだとヤマダは、府に落ちた。
妙な時に呼び出されたと煩く思って断りの電話をすると、相手構わぬ断定的な言葉を短く閉じ、暫く空白を挟む。相変わらずの声の、例の空白に切迫感があって、結局こちらから了解の返事を返していた。
こうした機会がなかったせいで、日々のニヤケタ仕事にじっとりまみれ、思い返すとまる2年、故郷に顔を出していない。ついでというのはうしろめたかったが、先祖の墓参りもしようと決めた。

青木

5月 28th, 2008 § 青木 はコメントを受け付けていません § permalink

最近にしては、早起きして辺りを軽く走り軽めの朝食も旨かったと一日を頗る健やかにはじめている顔つきだったので、青木はその青年がまず珍しく、身なりを下から上へと相手が嫌がるような目付きで眺めてから、全く利己的に無根拠な親しみを持った。
単に健康というのと違うな、年齢は二十代後半だと思うが、赤ん坊のような殻を剥いたばかりのゆで卵な顔をして、奴には刑務所から勤めを終えてシャバに出てきたような晴れやかさがあったよ。
青木は同僚に話す酒の席で後になって振り返った時、鏡に映る自分の表情こそ、罪を犯したもののそれだよと、ひとり呟いていた。
若い男は、コンビニで言いがかりをつけられ、逆に相手の頭にビール瓶を打ち付けて倒し、全治2週間の大怪我をさせ警察で事情聴取を受け、正当防衛だったが手を出したほうの親に訴えられ、事情を知る警察の担当者はそれに同情したが、怪我が頭蓋を割るほどだったので、塩らしくひたすら項垂れていたようだったという。
俺だったらやられるばかりだったろうに。と青木は青年に慰めの言葉をかけたが、慰めというより羨望の気持ちが強かった。青年も思いがけない反応をして、あれで殺していたら、ボクはどうなっていたんでしょうねぇと人ごとのようなことをつぶやいた。
青年は青木の仕事場に勤め始めてまだ一ヶ月も経っていない新米で、他所からの転職と聞いていたが、目立つ性格でもなく、普段は大人しい静かな人間と見ていた。

ペットボトル

5月 26th, 2008 § ペットボトル はコメントを受け付けていません § permalink

男が少し前に空になったリュックを投げ捨てたのは、リュックという道具自体にどこかしがみついている気がしたからだったが、水の入ったペットボトルは手放すことはできなかった。
泥に膝まで埋まり、枝で頬を切り、流れ出た血液は、興奮で凝固していた。それでも男は歩みを止めようとしなかった。
ふいに目の前が明るく開け、円形に樹木が喪失した空間が顕われた。至るところに動物の屍が転がっているのを目にすると、此処が終点であると男は悟り、中央に歩み出て、ペットボトルの残りの水を地面に流し落としてから、ゆっくりと横たわった。

Where am I?

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