アートプロジェクト沙庭での平面を主体とした作品展(個展)まで一ヶ月となり、滞っていた制作に手をつけるとリズムのようなものを取り戻せない感覚があり、途方に暮れて画面から離れる。
思えば平面の個展は、2002年にはデジタルプランニングを出力したものだったから、1998年からほぼ20年ぶりとなる。フィルムカメラを手放した新世紀初頭からプロジェクターによるデジタルイメージの投影システムのインスタレーションに感けて、即効性のデジタルカメラをぶらさげる10年が過ぎ、311によって移住してスタンスが変わった。アナログに回帰したというより、自由度を選んだにすぎないけれども、遅々とした検証精査の時間を歩き回り、おそるおそる90年代前半に没頭した画布を張り絵具と筆を手元に寄せたわけだったが、最早絵画平面という次元への親和性は失せており、やや身から離れた事象への折衝を思考する、人間の恢復作業に近いものとなっていったようだ。
 木炭も鉛筆も粘着質な過去のある時期のそれではなく、上質な肌触りを確かめるような道具となり、色彩も情動的なものと全く異なった「たをやかな併置」のようなものとして私の外側に隣接して活性化するだけをよしとした。
 この実に奇妙な感得を全て年齢に任せるということは、しっくりこない。だがまあ、これが不具合であってもある種の偶然であっても、できることしかできないという限界面が都度露になるだけのことであるので、つまり其処に生きているという自白をするようなものと、身体を緩めて開き直る。