行歩視山

5月 25th, 2017 § 行歩視山 はコメントを受け付けていません § permalink

 この朝だけの小雨だったが、梅雨には早い長雨かと勘違いが尾を引いたのは一昨日に谷に寝た渓流の音を重ねたからだろう。それにしても最近の食のせいかやはり起伏の大きな気象の畝ねりに逆らうことなく委ねすぎたか。やや萎えた気分で丸めた背のまま瞼を腫らし足元に薄霧が流れる道を歩く時、目に入るより先に道端の露に濡れた葉やら花びらに指がまず触れている。袖が湿っているから手首を草叢に差し込んだまま進んでいたらしい。何かを愛でるでもなく探索の筋など微塵もない額でひんやりと撫でてはすすむと、類型として千年、否万年に渡って繰り返された同じ目元がそこから灯り広がり、彼らの歩みの中に居る、ブレた自己が弱く震える不確かさに辛うじてとどまって、自身が個体であるのか類的集積識なのかわからなくなる。目先の流動に翻弄され、肉体が兎角先導した時期は触れるより先に首を突きだして目玉も更に前のめりに見ていたようだ。生活から恣意が剥がれ落ち無為の隙間が今はある。この歩みもそうした隙間に位置している。ただ森の先へ向う。 » Read the rest of this entry «

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