「もっとわかりやすいことを悩んでください」
言い放つなら、丁寧に言うべきではないと、踏雄は廊下から玄関へとなんだか気取って歩き外へ出て行った明子の足の裏に焦点をたえず合わせるようにして見送った。
あは、平仮名なのか、カタカナか、漢字か、くよくよと午前の一時間考えていただけだったが、いよいよ、とうとう、あに対する嫌悪が生まれ、使用禁止とする旨を、机と胸の間に落とすように呟いた言葉を、あだ名などこれまでつけられたコトの無い踏雄のことを最初からふーちゃんと呼びすてにし、食事のたびに恋人っていうのがいいから結婚はまだできないとトロンとした目つきでご飯粒と一緒にこぼす明子が、横から勝手に拾って、それを理由に怒ったようだった。
踏雄は、正午前に家の裏に立ち、叢から徐々に林へ樹々の重なるその少し向こうで、確か近所のトオルと呼ばれているのを聞いたことがあるまだ幼い小学生になったかどうか程度の少年が、背を丸めて地面をみつめている背中を眺めた。近寄ってみるとトオルの足下には産まれたばかりの小さな猫がいて、鳴き声もたてない。トオルは近寄った踏雄のほうを一度振り返ったけれども、すぐに地面に向き直り、横へ走っていくと、トオルにしてみれば持ち上げるのが精一杯の石を抱え、一度また踏雄の顔をまっすぐみつめてからゆっくり戻ってくると、そのまま猫の上に重い布団をかけるように石を置くのだった。昨日の深夜から今朝方にかけて降り続いた雨のせいで地面がぬかるんでいて、びちゃとしか音がしないのが、自然だなと踏雄は思った。
トオルは座り込んで、石が重さで埋まり込んだ地面との隙間から、子猫から真横に吹き出したような血液と尻尾の先を眺めてから振り向き、しばらく踏雄の様子を探るような目つきをして、ゆっくりと踏雄の家の脇から下る坂道のほうへ歩みだした。踏雄は石に近寄ってしばらくそのままを見下ろした。家の納屋へ歩き、スコップを持って戻り、石の横に穴を掘りはじめた。丁度石をそのまま埋めることができる大きさまで掘って、腰をたたいて背伸びをすると、脇の樹の横にトオルが立っていた。踏雄は右手で手招きをするとトオルはそばに歩み寄ったので、一度石を穴に入れ、屍骸を石の上にのせることをやめて、スコップで石とその下のものを一緒にすくい、隣の穴へと移し、掘り返した土を穴に戻し、先ほど納屋の脇でみつけた小さな丸い白い石を置いた。トオルは、叢に走り込んで、雑草をちぎって手に握り、再び走って戻り、丸い石の上にぱらぱらと散らすようにまくのだった。踏雄は、ここではじめて、「自然だよな」と小さく声に出した。トオルは、踏雄を見上げると、今度は戻らずに帰るといった歩みの仕方で、坂道を下っていった。踏雄は、スコップの汚れを庭の水場で洗って部屋に戻り、再び、嫌悪し使用禁止と決めた筈の、あについて、最初から考えようと、鉛筆を削った。
あ
9月 23rd, 2010 あ はコメントを受け付けていません