12月 30th, 2009 煙 はコメントを受け付けていません

 一週間と少しで年が変わる。この小さな宿場町も所々でそれなりの慌ただしさが、人々 の足元や顔つきにそれとなくあらわれ、駅前には注連縄や正月飾りを売る屋台も出て、コンビニエンスストアーにはクリスマスの飾りが大袈裟に点滅し、暗かった街が夜遅くまで 裸電球で照らされるようになった。初雪の日から数日は、交互に雪の降る日が続き、今年 は雪が多いと至る所で口にされるようになったが、それきりであとは快晴となり、家の影 に必ず残っていた白いモノもすっかり消えたが、朝夕の冷え込みは激しく、やたらにくっ きりと星が広がり、夕空を見上げる駅前の人々の必ず両手を口にあてる横顔には、いっそ 雪のほうが落ち着くと、白い季節を待つような色が見てとれた。
 最初は乱暴に放られた界隈としか受け止められなかった街並みも、今では懐かしさを伴った佇みを、電線の撓みや消えかけた路面標識などに感じ取って、店や駅や行き交う人々の貌も見覚えのあるものとなり、この街の固有名を支えて形成している様々を身体で実感できるようになっていた。
 森田商店に電話して部屋を出る事にしたので、不燃物として捨てるには心苦しい卓袱台とストーブを金はいらないから引き取って貰えないかと頼んだ。森田は電話口で宅急便で送ることの出来る所は無いのかと手放すことに異論を挟んだが、考えてから無いんだと答えると、わかったと了解してくれた。両親の住む郷里へ送ることもできたが、この部屋の誂えは他に移動できないと考えた。布団は処分しますから置いて行ってください。事務所の跡取りが快く引き受けてくれた。
 不動産屋で決めた日までまだ二日残っていたが、一切の処理終われば明日にでも出ようと思っていた。一切と言っても、汚れた下着と、風呂桶程度で他に何も無い。地図と写真とカメラなどは、大きめのバッグにすべて入った。
 跡取りは折角張り替えた壁が勿体ないな。なんだかあの部屋を片付けに来て貰ったみたいで家賃まで頂いて。否、全てこちらの都合ですから。珈琲は旨かったと言うと、いつでも落としておくから飲みにきてください。その言葉に甘えて何回か事務所に呼ばれ、雑誌を手にして数時間ソファーに座って雑誌を捲った。年末に仕上げる施工を急がされている跡取りは、現場での指揮の愚痴を、充実したような顔で笑って零した。
   
 薄暗さが残り、街頭の灯りも西の空を背景にすればまだ煌々と見える朝早い気温が零下 となる時間を好んで歩き、シャッターを押した。三脚を使わなくては手ぶれするかもしれ なかったが、構わずにあたりが灰色に明るく霞むまで、肺の中まで凍らせて歩き、人々の 姿がちらほら見える頃部屋に戻りまた眠った。昼前には起きて枕元の文庫に手を伸ばした。
 カメラ屋で幾つかの白黒ネガのプリントを頼んだ。ささやかな置き土産として、世話にな った人々に渡そうと思いついた。私鉄に乗りデパートに出かけてプリントの額縁とマット 紙を送る人間の顔を思い出しながら選ぶことが頗る楽しかった。谷田部に影響されたと簡 単に考え、創作とはいえないが、こちらの出来ることはこの程度だがと部屋に並べ、選んだプリントを入れ替えたりした。
 村沢のバストアップを引き延ばそうか迷ったが、浅ましい気がして、結局彼女が的確に批判した消滅の気配の漂う無人の街の朝を選んで、会社宛に郵送した。送り主の住所は、引き上げる部屋のままを記した。  
 跡取りと森田は恐縮して受け取ってくれたが、谷田部は、うーんと唸って、どこで焼い たと尋ねた。駅前のカメラ屋を教えると、自分で焼かなきゃだめだ。と文句を添えて、じ ゃあ飲むかと勝手に送別会を決めた。  
 ほぼ毎日の夕食を摂って、気象やテレビの事件などを気楽に話しかける蕎麦屋の主人 に、はじめて蕎麦を誉めると、即座におや戻られるんですかと悟られたが、戻るわけじゃないと言えなかった。  
 約束の時間だから焼鳥屋に行ってちょっと飲もうかと思った矢先、ドアがノックされた。 開けると見知らぬ女学生らしい女性が頭を下げた。祖父が危篤の寝床で、連れて来いとこの住所を弱く告げるので言付かった。申し訳ありませんが、いらしてくださいませんかと、 走ってきたのだろう赤い頬で息を切らして途切れながら言う。危篤とは大変だが、こちらにそういった縁者などいませんがと首を傾げると、お風呂でご一緒だったとかと、続けら れて刺青の石屋の老人とわかり、急いでその娘の後について、有坂の老人宅へと走った。
 夕食の買い物を下げて歩く主婦達が振り返るほど娘の走りは早く、こちらも後れまいと顔を歪め人々の肩を避けて走った。娘は角で立ち止まって、道行く人が振り返る声で躊躇わ ずにこっちですと叫んで誘導した。  
 駅前から斜めに、こちらの部屋からは、逆の筋を登った街道沿いから、崩れた山の麓へ とかなり入った古い道筋は、歩いたことがなかった。走るにつれ夕暮れが一気に夕闇と変 わり黒いシルエットとなった平屋の老人宅の玄関に辿り着いて振り返ると、灯りが点々と 散らばる暗闇が街を覆っていた。  
 突然に申し訳ありません。こちらですと、顔をだした娘の母親らしい女性は、他には何 も言わずに老人の伏している部屋まで先導するのだった。娘のはあはあとあげる息を背後 間近に聞きながら、枕元に座る白衣の医者の脇に腰を下ろした。老人の足元には、赤い髪 の青年と禿げ上がった作業着姿の男が正座してこちらに頭を下げた。  
 医者は小さく何かあったら呼んでくださいと囁き、男達、女達と共に部屋を出た。目を 瞑った老人をみつめて呼吸を整え、布団の上に出された血管の浮いた右手を握り、どうし ました、このところ銭湯にいらっしゃらないからと語りかけると、ああと弱く手を握り返 された。  
 まったく情けない  
 頭の中が破れて曇っちまった    
 随分前に 
 家を出た息子がいてな  
 多分あんたぐらいだと思う  
 あのバカ  
 それっきりで    
 またあんたと酒が飲みたかったなあ  
 呼び立てて済まなかった  
 なんだかな  
 片目を開け、目玉をこちらへ向けて、ゆっくり途切れながらも、断片に意味を注ぐよう に老人は話した。数日見なかっただけで、此程老いるものかと、老人の撓んで幾筋にも襞 になった首は、骨が浮き出て言葉を洩らすことも不自由に見えた。  
 街を出ます  
 あらかた片づきました  
 そうかと言って老人は肯き、目を瞑って弱く続けた。    
 がんばれよ     
 危篤の病人に逆様を言われて、こちらは大きくはいと答えていた。老人は何度か肯いて、 こちらの握った手を離し、表情を柔らかいものへ変えた。しばらくそのまま老人の顔をみ つめながら、家出した息子の気分が自身を覆うのに任せた。とうさん。ごめんさない。  
 吐息が寝息になってから胸元に出された腕を布団に仕舞い、音を立てぬよう障子を開け て廊下へと出た。床の板に直に正座した赤い髪の青年が立ち上がってまた頭を下げ、こち らへと別の部屋へ促した。  
 作業着の男が医者と連れ添ってこちらと入れ替わると、母親らしい女性がソファーに座 るよう慇懃に勧めた。ゲンちゃんもどうぞ。と赤い髪の青年に言うと、否オレはおやじさ んところにいます。と部屋を出た。一緒に走った娘が茶を持ってあらわれ、差し出した。 リビングはおそらく母親と娘の趣味だろう清潔な落ち着いたシックな色で、あの老人の住 まいとは到底思えない。彼ならば木彫りの熊とか、甲冑があってもおかしくないと当て擦 った。  
 ありがとうございます  
 お風呂で背中を流して貰ったって  
 何度も嬉しそうに話していました  
 安藤さんのところに住んでいるから  
 呼んで来いって言うので  
 失礼とは思いましたが  
 娘を行かせました  
 娘はすぐに走り出してしまって  
 一昨日に倒れました  
 お医者さんには入院しなさいと怒られましたが  
 本人が嫌だというもので  
 どうぞ  お楽にしてください  
 ご主人はと尋ねると、5年前に他界しました。私たち縁があって、結婚した後、この有 坂の養子になって、本当によくしてもらいました。母親も、横に座った娘も、成程老人の娘、 孫にしては上品な顔つきで、似ていない。親子を養子に迎え入れた時に、腹を据えて 家のことを好きにさせたのだろう。住まいの整えや趣味に老人のやさしさが見えた気がした。 然し危篤の床だと、近親の邪魔となることに気づき、ご老人はご子息と私を重ねられ たようで、逆に励まされてしまった。眠ったようです。腰をあげ、何かありましたら安藤 の事務所まで電話をくれるよう頼み、明日、もう一度お見舞いに参ります。玄関先で、ち ょっとゲンちゃんこの方を送って行って頂戴。母親の言葉に首を振り、歩いて帰れます。 お大事にと坂道を下った。老人の連れ合いのことは何も聞かなかったが、家出した息子と こちらを重ね合わせることは、病床ならば不自然でない。酒の席や、銭湯での会話が、何 かを思い起こさせたのだろう。だが、思わず口にしたこちらの倒錯も、そこには衒いや恥 ずかしさはなかった。自身の父親の病床を見舞う事などこれまでなかったから、いつも頑 強な面影しか浮かばなかったが、年老いて母親と二人で在りし日の子育てを懐かしんでい る昼下がりの、寂しそうに丸めた背が現れた。  
 そのまま谷田部の店に行き、送別会だと集まった三人に事情を話し、数日は見舞いをす ることを告げると、跡取りが、部屋を使っていいと申し出たが、先程駅前の旅館で予約し たからと断った。酒の席は有坂老人の話に及んだが、焼鳥屋が、あのお父ちゃん大袈裟だ から、復活するよとまとめて、皆がその気分に膨れ、本日は貸し切りですと書かれた紙の 貼ってある焼鳥屋で、終いには跡取りが料理などもして、おそくまで酒を呑んだ。
 森田が 差し出した引き取り代金と書かれた封筒には、きっちりと卓袱台とストーブを買った値段 のまま入っていた。結局最後まで三人とも、これからどうするんだといった種類の事を、 一言もこちらへ寄越さなかった。
 谷田部に渡した広角レンズで撮影した焼鳥屋の鉄の カウンターの写真を、皆が誉めた。谷田部は、設計と、施工がいいからなと、でも嬉しそ うにはにかんでいた。  
 
 馴染む間もなかった、気も無かったぽかんとした白い部屋を見回してから、ドアの鍵を した。隣で、コンニチワと声をかけられた。見知らぬ女性が、同時に隣のドアの鍵をかけ ていた。会ったことのない隣人に世話になりました今日でここを出ますと自分の口から出 る言葉を可笑しく感じながら、いえこちらこそと随分知った物腰でにこやかに微笑む隣人 を記憶のどこかで喪失しているような錯覚が生まれた。酒に酔った夜にでも総菜の差し入 れを頂いたかもしれない。  
 
 有坂宅からの帰り道に予約した宿の主人は、中庭に窓の面した静かな部屋まで案内し、 こんな旅館ですのでご自由にお使いくださいと、夕食のメニューを説明して、お酒はいか がしましょうと尋ねた。  
 古い旅館ではあったが、この街では、大きな観光やビジネスのホテルは無いから、客は 自然と駅前の此処を選ぶのだろう。奥には増築された棟が見えた。お銚子二本を頼んだ夕 食は、魚料理が並んだ簡単なもので、おかわりはせずに、白い糊の効いたシーツの布団に 沈むように寝入った。仰向けになって天井を眺めると病床の老人の瞳が重なった。  
 
 老人は峠を越し、こちらも二日続けて見舞った。選んだ写真の入った額縁を持って行っ た二日目には、昼飯をご馳走になり、そのまま家族や職人達とたあいもなく話して、その 夕方には、老人から孫娘とゲンタとの関係を茶化す軽口が零れて、これでひとまず大丈夫 だろうと次の日には列車に乗るつもりで、有坂の家人と宿にその旨を伝え、朝早く起きて、 最後にこの駅前だけでもとカメラをぶら下げて散歩などした。相変わらず雪の降る気配は 無かったが冷え込んで、霜などが影に白く立った。いつもと変わらない仕草でシャッター を押した。人気無い線路にカメラを向けると、ファイダーの中に白い大きなぼんやりとし た太陽が頭を出し、その柔らかい光に刺激されてクシャミがでた。  
 さっぱりした心地で旅館の朝食を摂ってから宿の支払いをしている時に有坂の母親から 電話があり、老人が朝方四時過ぎに息を引き取ったと聞かされた。通夜から葬式まで出席 させて貰うことを告げて、安藤工務店に出向き、跡取りに、喪服を貸して貰えないかとい うと、自分も通夜に行くのでだめだと断られた。葬式には大勢顔をだすだろうと言うので、 他に借りることを諦め、貸衣装屋を教えてもらい、懐かしいような感覚で黒い背広に腕を 通した。老人の死は、予測していたせいか大きな感情の高ぶりは無かった。  
 
 有坂宅までの坂道の途中で、森田、安藤、谷田部の三人と出会い、連れ添って有坂の玄 関へ入った。ゲンタと職人は女たちを手伝って動き回っていた。老人は前日のまま布団に 横たわっていたが、顎は真下に落ちて、口には薬の染み込んだ綿が詰められ人間ではなく なっていた。老人の足元の襖が取り払われて、隣の和室と繋げられ、料理や酒などが用意 されてある席に焼香を済ました三人は座り、先に来ていた近所の人間と簡単な挨拶を交わ して、早速コップに手を伸ばしている。  
 焼香をしてから廊下に出ると、窓の外に、見舞いの時には気づかなかった自宅に併設さ れている石材の工房が見え、戒名を彫り残した墓石が幾つかあった。まさか、自分のもの など作らせなかったろうな。いささか不謹慎無礼なことを巡らして、通夜といっても近し 3詭 い者たちの席だからこれで失礼しようとすると、母親に呼び止められ、リビングに通 された。  
 息を引き取る前  
 おじいちゃんが  
 あいつが帰ってきて  
 謝ったよ  
 と言いました  
 お気を使っていただいて  
 ありがとうございました  
 
 お寿司を食べていってください。娘を呼び、ゲンちゃんも食べなさい。廊下に顔を出し て、ちょっと向こうにいっています。と出ていった。似合いのカップルに見える二人が座 ると、ゲンタが、雨の日は申し訳ありませんでした。鼻血がでていると知っていました。 そのまま走って仕事に戻って気になっていました。おやじさんに叱られました。  
 これまでこちらには寡黙を守ったようだったゲンタが娘のような眼差しを向けて話した。 今考えれば、あの鼻血のおかげで、この街での暮らしを謙虚にはじめられたよと答え、そ れきり黙って寿司に手をだした。  
 娘の注いだビールを、赤いマグロを頬張ったまま流すと、離れた部屋に横たわる老人の カラダの刺青が浮かび、老人の傷物にされちまったよという声が聞こえ、何か異様に柔ら かい不思議な食感の中で唐突に老人の喪失感が溢れ、味が消えた。    
 出されたものを頂いて、ゲンタと娘にご馳走様と言って、老人の顔を見て帰ろうと腰を 上げた。広げた和室には、先程より人間が増えて、爪先を立て片膝の母親が、客にビール を注いでいた。さすがに通夜だからひっそりとした弔いであったが、谷田部たちの押し殺 したような笑い声も漂っていた。老人の枕元に座り、白布をとり、すでに生き物ではなく なった老人の、魂の抜けた顔を眺めると、この男の生きてきた煌めいた時間をもっと聞き たかったのにと、関わりの薄かったこちらにも悪戯に哀しいものがこ込み上げてくる。  
 満開の桜の散る中、祖母を霊柩車で山奥の焼き場に送った春が思い起こされた。片田舎 の告別式の、母屋のたたきに並んだ告別客の、扇状に並んだ靴を眺めていた。そこから離 れて、お教を唱える坊主の草履がきちんと先を揃えて並べられ、何かそれが腹立たしいの だった。  遠方に散って所帯を持った叔父達は、臨終に立ち会う覚悟で数日前から帰省して、まだ 大丈夫だなと連日の酒の席で、やはりあの時も、明日には一度戻ろうかなと祖母の丈夫な 体を明るく話した翌日の午前に、五人の子供達を床に集めて祖母は逝った。叔父達の背の 隙間から、祖母の顎の真下に落ちるのを見て、魂が抜けた瞬間がわかった。末の叔父が、 「かあちゃん」とこれまで聞いたことのない幼児の声で叫んだ。通夜には、叔父達が代わ る代わる冷たくなった祖母を抱きしめ、添い寝をし、泥酔して弔った。こちらも孫の筆頭 であったから、祖母に可愛がられた記憶が溢れ、生者の無力さに涙が流れた。  
 火葬場で名前を呼ばれ、見てみろと祖母の燃える身体を小さな窓から覗いた。後ろから、 腹のあたりの黒く燃え残っている場所は腫瘍だろうなと教えられた。諦めがつくからと肉 親は交替して覗いたが、長女だけは厭がった。肉が燃え切って大きく張って残るあばら骨は、 祖母の逞しさであり、本質だと感じていた。  
 白い布を顔に被せ、手を合わせて立ち上がり、振り返って目が合った母親に頭を下げて、 ではこれでというと、こっちへきなさいよ。まあ座れ。こっちこっち。と三人に呼び止め られが、首を振り、母親に告別式は明日ですかと聞くと、三人の隣りに座った背広の男が、 そうです。こちらで、お葬式をやって、ここからご遺体を火葬場まで運び3詭ます。と事務的 な説明をした。葬儀屋らしかった。考えてみれば、墓石の制作を生業としていれば、馴染 みに葬儀屋もいるだろうが、通夜の席で、順序正しく説明されるのが疎ましかった。  
 再度頭を下げ、私はこれで失礼しますと部屋を出て、玄関で靴を履くと、背後にゲンタ と娘と母親が指を揃えて、ありがとうございました。と深く身を折るのだった。恐縮しな がら有坂宅を背に坂道を下り、そのまま小春へと歩いた。  
 
 小春のママは寡黙だった。こちらもビールを飲んで、年末年始は開けるんですか。頓珍 漢なことを投げた。葬式が終われば、列車に乗って、この街を出ます。頼みもしない白玉 小豆の皿を出されて、甘い菓子と酒を交互に口に運んだ。  
 友人が、突然亡くなった知らせを受けたことを、床の玉砂利を眺めて憶い出していた。 一人ではない。三人の面影が浮かんだ。いきなりな病気で高校の頃のじゃれて遊んだ同級 生と、一つ上の先輩。彼は就職が決まってバイクで転んで逝った。もう一人は、中学の同 級で、高校から大学、彼の割と早い結婚まで会う機会もなかったが、二、三度の同窓会で 顔を合わせたことはあった。彼の車を販売する仕事を聞きつけて電話を掛け、出物はない かとこちらから尋ねていた。  
 彼の妻もよく知った同じクラスの綺麗で大人しい女性だった。無沙汰の時間は、会えば 消えるようだった。二人の娘と三人目に男の子を育て、正月には我々の世代にとっては見 本のような家族揃って着飾った年賀状が届いた。何度か同級の他の友人等と一緒に炬燵で 鍋を囲んだ。十四、五の頃を正確に覚えていて、あの時お前は泣いてたなといきなり言わ れて、戸惑いに似た記憶が降り注いだこともあった。結婚する間際に、腹を切って内蔵を 摘出し、それですっきり痩せたし、酒も控えた。決定に曇りがない明朗な静かな男で、人 生を早くから弁えているような愛妻家だった。そういえば安い中古車を更に安く売ってく れた上、頼まないのにタイヤの交換を無料でしてくれた。だがそこまでで、家族同士の付 き合いというものはなかった。まだ互いに若かった。  
 夏の終わる夜、同じクラスだった女性から電話があり、訃報を聞かされた。その女性は 亡くなった男の妻の友人で、多分誰も知らないからそちらから知らせてほしい。近い連中 数人に電話をすると、冗談にしては質がわるいぞと、電話の度に怒鳴られた。  
 数人は通夜に駆けつけたが、こちらは足が竦んで行けなかった。告別式には、同じクラ スだった黒い者達が方々から集まり、まだ残暑のきびしい日射しの下で黙して群れながら 互いに途方に暮れた目つきを交わし会っていた。突然の事故であるとか病に倒れたならば 納得はいくが、一体どうしてだと、通夜に行った一人に聞くと、詮索するなと戒められ、 暗黙に弁えていた。  
 二年後の夏の終わりに、亡き彼の未亡人から墓参りに行ってくれないかと連絡があり、 最初に電話してくれた女性と三人で、市街地から離れた墓地まで車を走らせた。先に逝く なんて許せなかった。未亡人はそう言って、でももう大丈夫。三人で墓石の前で酒を飲んだ。  
 ママがふいに、アリサカのおじいちゃんがねえ。一度私を誘惑したことがあるのよ。と 零した。そりゃあ私とは二十近く離れているけど、ダンディーな人でね。あなたと同じ位 の時この街に来たらしいわ。それから三十年。それ以前の事は一切口にしなかった。奥さ んは早くに亡くして。背中の彫り物も、みんな怖がるからって、見せたがらなかった。そ ん3詭なに見たいのなら布団の中でだって。まっすぐに私を見るから嬉しかった。  
 瞳がぼやけた風に遠くを眺めながらママは、薄く笑みを浮かべて話すのだった。店の隅 には、純白の霞草がこんもりと飾られていた。  
 今日は、これで仕舞いにしましょうとママから言われて店を出て、そのまま深く冷え込 んだ夜の街を歩いた。前を行く男の手に提げられた包みを眺め、今夜がイブで明日がクリ スマスと気づいた。  
 翌日の葬式では、末席で坊主のお経を聞いて、棺に入れられた老人に献花し、母親にど うしてもと頼まれ、市の火葬場まで付き添った。縁者と共に車に乗り込む前に、谷田部が、 聞いたよ。お父ちゃんが死ぬ前に、あんたを呼んだんだってな。息子と間違えてさ。と小 さく話しかけた。間違えたわけじゃないんだ。と答えてそのまま乗り込んだ。
 白く焼けるまで別室で簡単な飲み物を用意されたが、手をつけず外へ出た。市街地から 車で山を越え林に囲まれた一方通行の火葬場で、都会の近代的な炉が幾つも並ぶものと違 ってひっそりとしていた。駐車場の脇のベンチに座り、空を仰ぐと、建物からひとつ突き 出た煙突から白い煙が昇りはじめていた。肉を天に昇らせて骨を残すわけだ。  煙草を銜えて胸に大きく吸い込むと、老人の幾つかの言葉がこちらに染み渡る心地がし た。 雪が降らなくてよかったと思った。  
 骨まで拾ってよいのかわからなかったが、ここまで来れば、残された家族に従うしかな いと決めて、膝のあたりの白い小さなものをひとつ箸でひろって壺に入れた。  帰りの車の中で、母親が、娘があなたをお義父さんの息子だと思っているんです。一言 いってやってください。障子の外でゲンタは、こちらの洩らした言葉を聞いていたのだろう。
 わかりましたと答え、縁者だけの食事の席で、娘の隣りに座り、多分おじいちゃんは、 得体の知れないまっとうに生きていないようなワタシを見て、家出した息子さんと重ねた んだよ。銭湯では、なんとなく背を流し合った。その前に焼鳥屋で腕の傷口をみせてくれ た。あなたのお父さんが亡くなって、一気に実の子を想う、そういう気持ちになったんだ ろうね。すると娘は、あなたが本当の叔父さんでなくても、私はそう思うことにします。 おじいちゃんにもそうしてきましたから。向かいに座ったゲンタに、小春で老人が自慢げ に君のことを話してくれたと言うと、食いしばった顔をして小さく肯いた。宿まで車で送 ってくれたゲンタを待たせて、古本だがよかったら読んでみてと、残りの文庫を渡した。
 宿泊の延長を頼んだ旅館の主人に礼を言い、靴を履いていると、谷田部があらわれ、リ チャード・セラの画集を、持っていってくれとあの宮島の手提げ袋から取り出した。  
 本当は、自分の作品集だといいんだけれど無いからさ。あんたがオレの作品を受け止め てくれた最初の観客のような気がしてさ。何か照れるように、言うのだった。森田には、 さっちゃんの葉書のこと話したよ。やつはそうかいとそれだけだったけど、やつもこっち もそれで何かすっきりした。お父ちゃんの通夜の時そんな事話した。あんたに言われたよ うに、いつか個展を開くよ。どこかで聞きつけて観に来てくれ。部屋にあんたの写真飾った。 悪くない。被写体がいいからな。  
 
 焼き鳥旨かった。作品制作頑張ってください。たまには千束に帰っておふくろさんに顔 をみせてやりなさいよと付け加えると、肩を揉んでやる。と谷田部は素直に答えた。  
 宿を出て歩き始めると、ふわふわと柔らかいものがちらつきはじめた。手のひらに乗せ ると結晶が美しく残った。  
 手提げを持ったまま、駅前から踏み切りを渡って、いつだったか通り過ぎたことのある クルミ理容店という床屋のドアを開けた。小太りの主人がすでに冬休みになったのだろう、 まっすぐに鏡に映った自身をみつめる利発そうな小学生の髪を丁寧に刈っていた。  
 ありがとうございました。めりはりのある声で頭を下げた小学生がドアを走りでてから、 どうしますかと尋ねられ、短くさっぱりと答えていた。椅子が倒され熱いタオルで顔を覆 われた。主人がカミソリを研ぎながら、今日はやっと積もるな。という呟きを零した。   
 カミソリの刃が瞼のしたまで舐めるように運ばれる度に、この小太りな主人に全てを預 けているようなものだと、切り裂かれても構わないような身の投げだしをして、この秋を 巡り返していた。頑なに自身を特殊へと閉じる切っ掛けとなった「喪失」という名のブラ ックボックスの蓋はいつのまにか開いていて、全身が痛んだはずの光景や想いまでが、柔 らかい温もりを纏って控えめに記憶の池に漂っている。この街でひっそりと息づく固有な 魂がこちらのどこかに交錯したからだろうか。手拭いで顔を都度拭って向き合う朴訥稚拙 なこちらの反射に、真摯な魂がその灯りを投げ返してくれた。人の存在それ自体が、紆余 曲折を経ても尚、歪みや矛盾を越え本来的な香りとなって、再び人に降り注ぐという当た り前に気づかされた。そしてこれが、これからも生きる為の自らの魂を確かめることとな った。  
 剥いたゆで卵のような顔が鏡に映り、脇に立った小太りの主人に、お客さんちょっとア ブナイね。と薄くなりかけた脳天を櫛で梳かされると、鏡の中の顔は、はにかむような、 子供の笑顔になって崩れた。

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