winter voice

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明るくなる前に強い風が流れたようだった。濡れたテーブルの上の瓶が倒れていたので、瓶の形に助けられた残りを勿体ないと立て直し、そのまま口につけ思わず流し込んだが喉元から下が受け付けない。土の上に吐き戻してから瓶の中身を地面に注ぎ落とした。霧が晴れても雲と溶け合って残り、今日は陽射しは望めない。腰を下げスニーカーの解けた紐を結び、岩の間から炎の残りを紅く見てから、根拠なく樹々の枝が消えて広がる空を見上げつつ思った。
焚き火の上に金網を乗せ、魚やら肉やら野菜を焼いて酒を呑み、そういえば近くで臭ったぞと暗闇の中木の根本まで歩き、指先がきつく匂いを放っても酒の力で笑いながら、指先を舐め銀杏を拾って焼いていた。
なんだか最期の晩餐のようだと誰かが口に出すと、最期って一体何の最後だ。と皆が考え込むような時間があって、やはりまた同じ者が、やはり最後のようだ。と呟いた。
曇天と霧の名残が、数時間前の焚き火の炎を受け止めて、時間を緩やかに繋ぎ止める。これが快晴であったなら、散らかした庭のテーブルの上になど見ることもないだろう。辺りを歩き、小枝を拾って座り込み焚き火に組み上げると、しばらくして煙が細く立ちのぼり、下にまた動く炎が小さくのぞいた。
「冬の音ってやつは録れたのか」
息を吐いて白いよと笑顔をみせる青山が煙の向こうから声をかけた。

2008年11月10日 17:27

幾つもの終わりのあとに

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「幾つもの終わりのあとに」と万年筆で、薄いみどり色の原稿用紙に黒いインクで書くと、文字のほとんどが薄いオレンジ色の文字枠からはみ出た。最初の文字と最後の括弧が滲んだ。紙の繊維のせいだろうか。力がはいったからだろうか。慣れていないペン軸で別の紙の上に幾筋も線を引いた。久しぶりに空漠とした自由に充ちた休日の朝だった。
万年筆を握ったことを憶い返すと、汚れた流しで古くさい水道の蛇口から水を流し、中指の爪の横に染込んだインクをピンク色の石鹸で随分長い事擦るように洗い流していた光景が浮かび、あのときは確かすっかり洗い落とせなかった。光景に散らばる符号を数えると25年が過ぎていた。

仕事の帰りにウインドーに並んだ手帳が目に入り、印刷されている新しい年の数字を眺め、年の瀬までの日にちを数えていた。そのまま店に入って棚に並ぶ文房具のあれこれを、久しぶりに眺める知人のような気分で手にとり、裏返すように眺め、棚に戻していた。レジの横にあったガラスケースに丁寧に並べられた数種類の原稿用紙が目に止まり、ルビ罫のない少し潰れた方形の並ぶものがどうしても欲しくなった。学生の頃のレポートは、原稿用紙だったこともあるような気もするが、廉価な20枚がパッケージされた誰もが気軽に使う雛形で、消しゴムと鉛筆を使っていたと記憶にはある。ほとんどは横書きのものを、単位取得の為に簡単に間に合わせるように書きなぐっていた。以降、仕事でも原稿用紙を使う必要に迫られた憶えはなかった。聞くと百枚セットとなっている原稿用紙は思ったよりも値段が高く、丁寧に取り出して答えてくれた店員に対して一度は断るつもりが生まれたが、ガラスケースの上の原稿用紙の縁の下から覗いた奇麗に並べられた万年筆に目がいくと、即座に幾本かを指差して、これもみせてほしいと口に出していた。大きめの袋を抱えて店をでる時に、おそらく作家と称する人々が使う道具なのかなと思った。

自宅の書斎の上に原稿用紙を置いたまま、休日の朝と決めて(勿論、酒に酔った深夜に冷水を飲み過ぎて目覚めてしまった時等も)、椅子に座り、まず万年筆の調子を白い紙に線を引いて確かめてから、気の向くままに、食事のメニューや、野球の試合の結果や、会社の窓から見えた機影に座る自分とかを取り留めも無く文字にして、ヘタクソな自分の文字を改めようという気持も生まれるたあいもなさで続けた。どこかで見たようなくしゃっと丸めて失敗をゴミ籠に放り込むことなど一切せずに、一枚がそれなり万年筆で尽くされると広げたまま裏返して引き出しに重ねた。一ヶ月は自分の書いたものを取り出して眺め直すこともなかった。ただ「万年筆で書く事」をあれこれ試していたように思う。目的等なかった。

家族と出かけたショッピングの際に、デパートの小さなギャラリーの水彩画を、理由無くみつめるより前から目の中に置いていた。目玉を額縁のガラス面に近寄せると鉛筆の柔らかな線が、紙の微細な凹凸を潰して走るその下に、淡く絵の具が滲み込んでいるのがみえた。描かれた線の鉛筆の太さも様々で、時折絵具に吸い込まれるように滲み失せ、時折深く彫り込まれた線の溝に絵具が流れ込んで水路のように眺められた。人間の描いたものから指先の動きを、指先の動きから人間の吐息のようなものを想起していた。これはおそらく私が万年筆で原稿用紙に文字を書くようになって、みえるようになった世界なのだと、帰り道ささやかに独り静かな喜びがひろがった。

一年が過ぎてもみどり色の原稿用紙は、引き出しにすべて仕舞われることはなかったが、書き仕舞ったものは、残りの枚数よりも多くなった。遅々とした愚鈍な行為だったが、三ヶ月目になって新しい広辞苑を購入し、乱雑に書きなぐっていた文字を、できるだけ丁寧に時間をかけるようになった。文字を綴りはじめて自身の語彙の無さに呆れたこともあり、万年筆を握る前に、日々使ったことのないような言葉を辞書の中で見いだしてから、言葉を最初に置いて書き始めるようなことも度々繰り返した。グラスにウヰスキーと氷を入れて手にしながら椅子に座り、丁度電話を受け取り、そのまま相手の言葉の中に入り、知らずうちに原稿用紙の上にグラスを置いてしまい、結露の水分を吸い取った原稿用紙とインクがリングを下の用紙迄染込ませたのを受けて、そのリングに沿って丸い円弧を万年筆で描き、言葉を円弧の外縁に沿って時計回りに綴ったこともあり、小さく独りごちていた。拙い戯れでよかったし、それ以上を求める気持は生まれなかった。だから賀状をすべて万年筆で書こうと決めたことは、流れに素直に従ったまでのことだったが、この時大きな問題が生じたのだった。

2008年11月14日 18:20

カーディガン

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朝は粉雪が吹き付ける中、路面の雪を蹴りながら、手のひらに雪玉をこさえながら登校した。
トラックのチェーンの音も真綿を巻いたように柔らかく通り過ぎた。
昼前には雪がやみ、午後から日差しが真直ぐに落ちて、路面の雪を溶かしところどころ黒い穴をあけていた。
緩やかに傾斜する帰り道、タイヤの間に残った積雪の固まった部分を歩きながら、時々足に体重を乗せて滑らせ、陽光と吹き出す汗で身体が重くなり、ジャンバーのチャックをあけ、中に重ね着していたカーディガンを脱ぎ、片手に持ったまま、助走をつけて滑ると、徐々に滑る距離が増えた。

家が見える頃になってようやく、手に持ったカーディガンが崩れ、溶けたタイヤ跡の地を這って濡れひどく汚れているのに気づいた。このカーディガンは、母親が、今朝のような寒い日の為にと胸にイニシャルを入れて編み上げてくれたものだった。
わたしはあの時、母親にごめんなさい汚してしまったと言う勇気がなかった。
汚れたカーディガンを庭の隅にある道具小屋の奥に押し込み、母親には、晴れて暖かくなったから脱いで、学校に置いてきてしまったと嘘を言った。

中林は、窓の外に瞳を甘く濁したように視線を固定させたまま、独り言のように話し続けたが、ふいに、
「あなたなら母親に素直に謝ることができますか?」
「私たち子供はきっと皆嘘をついた。おなじように嘘をつくしかなかった。そういう時代だった」
「そういう親だった」
瞳孔を動かしてこちらをまっすぐにみつめるのだった。

母親は数日後物置から汚れたカーディガンを見つけた。なにも言わなかった。丁寧に洗って干し、畳んでしまったようだった。その仕草にこちらが気づいても知らぬ振りをしていた。
嘘が認められたと理解したのではなく、罪を背負わされたのだと思った。
以降、何かヘマをする度に、母親は溜息をついて暗い表情を隠さなかった。カーディガンの罪が都度蘇るようだった。いっそお仕置きをしてもらったほうがよかった。

「還暦を超えて五年になります」 年齢を聞くと、自ら犯した罪等忘れたような平常心溢れる声で、中林晴彦は即答した。

2009年1月 7日 04:41

臨界

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佐世子は耳元にかかる髪をかきあげてから、細いフレームを白い指でつまむようにして眼鏡を外し、
「これが無いとあたりがぼうっとするのよ。みえないわけじゃないけど」
気のせいか瞳孔がやや広がった瞳で真直ぐにこちらをみつめた。なるほど焦点が自分の後頭部あたりに感じると坂本は思った。
「眼鏡をするでしょ。すると、よく見えるというより、見えることろがピックアップされて、それが極端で、むしろ疲れるわ」
「どのくらいなんだろう。そのぼうっとというレヴェル。街を歩くには不自由ではないでしょ?」
目を細め視界を狭窄させるような目つきで坂本は珈琲カップを丸いテーブルに置いた。

佐世子と以前会った時には眼鏡等していなかった。おそらくコンタクトレンズをしていたと坂本は考えてから、なぜ眼鏡にしたのだろと、
「前は眼鏡していなかったよね」
と重ねて尋ねた。

坂本と佐世子は大学の頃の同級生で、学生の時はそれほど近しい関係ではなかったが、卒業後、それぞれがデザインと雑誌編集という立場に就いたので、仕事の先々で出会う事があり、会えば軽口を交え声を掛け合うようになっていたが、ここ数年は、坂本の思いがけない転職により、出会う事がなくなっていた。お互いどちらかと云えば寡黙な人種に当てはまり、盛んに交遊を広げるタイプではなかったので、余程緊急の用事がない限り、わざわざ連絡をする気持を持ち合わせていなかった。

一度暖冬となって気温が上昇した次の日の、冷気が流れ込み極端に冷え込んだ二月の頭の午後に、坂本がケルトの図案資料を求め神保町の古書街を歩いていると、コートの襟を立てた佐世子が、古書店のウインドーを覗いている姿をみつけ、近くから久しぶりだねと声をかけた。
相変わらずデザイナーであるけれども、ネタが枯渇していると口元で笑う佐世子を、坂本は懐かしい気持で喫茶に誘った。

「高校生の頃からコンタクトよ。眼鏡にしたのは、いつでも気軽にぼうっとできるから」
佐世子は、再び口元だけ笑うようにして、肉親に話すような口ぶりであっさりと答えた。
「それより坂本君には驚いたわ。几帳面なエディターが物書きになるなんて」

最近の女性としては化粧気がないし、ダッフルコートの下の重ね着の一番上のセーターも着古した藁葺き色で肘あたりに毛玉がある。寸法が大きいので男物かもしれない。けれど身なりに頓着しない佐世子は、いつもどこか清潔な感じがすると坂本は思った。
近況を報告し合ってふたりともカップを飲み干してから、佐世子は窓の外の道行く人をなんとなく追いかけるように見たまま唇を閉じた。しばらく佐世子の横顔を見てから坂本も誘われるように窓の外へ視線を放った。西陽がビルをシルエットにして差し込み、ここでようやく店の中に小さく流れている曲が、シェーンベルクのピアノ協奏曲だとわかった。坂本は窓を眺めたまま、佐世子の住まいも、趣味も、何も知らないことが、なんとも不思議だと思った。

2009年2月22日 15:34

夜の道

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人気の無い交差点で車を止めるとカーラジオがノイズを拾った。数時間の運転で車内は若干結露し、ウインドウの四隅が曇っているのでシートベルトを緩めて左手首の袖を指先に包んで拭うと、痕跡が信号の光を屈折させるので、先ほどより喧しい視野になってしまった。この交差点の信号の時差は随分長いなと感じ始めた時、誰もいないと思った筈の歩道に背を丸めた女が立っている。俯きながらゆっくり同じ場所を回るようにサンダルの踵を時折アスファルトに打ちつけるような仕草で、両手はポケットに垂直に突っ込まれ、気づけば、田園の広がる人家の灯りも遠い場所で、国道から逸れた脇道であったので、こんな時間に家を飛び出した癇癪持ちの嫁が、憤りを収めきれずにいると思った。

海沿いを走る頃は、夕陽の残照を眩しく受け止めていたが、内陸へ向かい始めるとすぐに濃霧となり暗くなった。電源も持たず一泊の出張だったが取引先とのやり取りで携帯のバッテリーは切れ、公衆電話を探して家族に帰宅の遅れを連絡することもせずに、深夜寝静まった家のドアを音を殺して開ける自分の姿勢などを思い浮かべた。県境を超えるとラジオの電波が途切れ、チューニングを直したが地形の関係だろう、流れる曲やパーソナリティーの声も途切れがちとなり、ラジオを切ると途端に物寂しくなり腹も減った。コンビニの灯りをみつけて車を寄せ、菓子パンと缶コーヒーを買って座席で簡単な夕食を済ませ、高速に乗ろうかと一度は考えたが、どうせ夜中になるのだからと呑気に下の道を行くことに決めた。

海に行くならお土産は貝殻でいいよと手を振った子の声を憶い出し、言い訳を並べたががっかりする娘の表情ばかり克明に浮かぶので、次の連休には海へ連れて行こうと再びつけたカーラジオから流れる曲に合わせて呟いていた。

信号が青になったので、ヘッドライトを点けギアをローに入れクラッチを踏み込んでアクセルを弱く踏み込むと、交差点左手の歩道の先の女の俯いていた顔がこちらに向けられた。ライトに照らし出されると、女の挙動は停止し、前のめりに前髪を右手でかき分け車の移動に合わせた睨みつけるような視線が、道に飛び出した鹿のような動物めいたひたむきな輝きをともなって弓矢のように届いた。その強さにこちらも縛られるように首を左へ回転させたが、衝動的な反射でアクセルを踏み込み、左手の指先で瞼を押さえてから、ラジオをつけた。フロントミラーに、真直ぐこちらへ走る女の姿が見えると背筋から両腕に鳥肌が走り、大きく息を吸い込んでから、車を脇へ寄せて停車させ、女を待った。

2009年5月 5日 08:31