「幾つもの終わりのあとに」と万年筆で、薄いみどり色の原稿用紙に黒いインクで書くと、文字のほとんどが薄いオレンジ色の文字枠からはみ出た。最初の文字と最後の括弧が滲んだ。紙の繊維のせいだろうか。力がはいったからだろうか。慣れていないペン軸で別の紙の上に幾筋も線を引いた。久しぶりに空漠とした自由に充ちた休日の朝だった。
万年筆を握ったことを憶い返すと、汚れた流しで古くさい水道の蛇口から水を流し、中指の爪の横に染込んだインクをピンク色の石鹸で随分長い事擦るように洗い流していた光景が浮かび、あのときは確かすっかり洗い落とせなかった。光景に散らばる符号を数えると25年が過ぎていた。
仕事の帰りにウインドーに並んだ手帳が目に入り、印刷されている新しい年の数字を眺め、年の瀬までの日にちを数えていた。そのまま店に入って棚に並ぶ文房具のあれこれを、久しぶりに眺める知人のような気分で手にとり、裏返すように眺め、棚に戻していた。レジの横にあったガラスケースに丁寧に並べられた数種類の原稿用紙が目に止まり、ルビ罫のない少し潰れた方形の並ぶものがどうしても欲しくなった。学生の頃のレポートは、原稿用紙だったこともあるような気もするが、廉価な20枚がパッケージされた誰もが気軽に使う雛形で、消しゴムと鉛筆を使っていたと記憶にはある。ほとんどは横書きのものを、単位取得の為に簡単に間に合わせるように書きなぐっていた。以降、仕事でも原稿用紙を使う必要に迫られた憶えはなかった。聞くと百枚セットとなっている原稿用紙は思ったよりも値段が高く、丁寧に取り出して答えてくれた店員に対して一度は断るつもりが生まれたが、ガラスケースの上の原稿用紙の縁の下から覗いた奇麗に並べられた万年筆に目がいくと、即座に幾本かを指差して、これもみせてほしいと口に出していた。大きめの袋を抱えて店をでる時に、おそらく作家と称する人々が使う道具なのかなと思った。
自宅の書斎の上に原稿用紙を置いたまま、休日の朝と決めて(勿論、酒に酔った深夜に冷水を飲み過ぎて目覚めてしまった時等も)、椅子に座り、まず万年筆の調子を白い紙に線を引いて確かめてから、気の向くままに、食事のメニューや、野球の試合の結果や、会社の窓から見えた機影に座る自分とかを取り留めも無く文字にして、ヘタクソな自分の文字を改めようという気持も生まれるたあいもなさで続けた。どこかで見たようなくしゃっと丸めて失敗をゴミ籠に放り込むことなど一切せずに、一枚がそれなり万年筆で尽くされると広げたまま裏返して引き出しに重ねた。一ヶ月は自分の書いたものを取り出して眺め直すこともなかった。ただ「万年筆で書く事」をあれこれ試していたように思う。目的等なかった。
家族と出かけたショッピングの際に、デパートの小さなギャラリーの水彩画を、理由無くみつめるより前から目の中に置いていた。目玉を額縁のガラス面に近寄せると鉛筆の柔らかな線が、紙の微細な凹凸を潰して走るその下に、淡く絵の具が滲み込んでいるのがみえた。描かれた線の鉛筆の太さも様々で、時折絵具に吸い込まれるように滲み失せ、時折深く彫り込まれた線の溝に絵具が流れ込んで水路のように眺められた。人間の描いたものから指先の動きを、指先の動きから人間の吐息のようなものを想起していた。これはおそらく私が万年筆で原稿用紙に文字を書くようになって、みえるようになった世界なのだと、帰り道ささやかに独り静かな喜びがひろがった。
一年が過ぎてもみどり色の原稿用紙は、引き出しにすべて仕舞われることはなかったが、書き仕舞ったものは、残りの枚数よりも多くなった。遅々とした愚鈍な行為だったが、三ヶ月目になって新しい広辞苑を購入し、乱雑に書きなぐっていた文字を、できるだけ丁寧に時間をかけるようになった。文字を綴りはじめて自身の語彙の無さに呆れたこともあり、万年筆を握る前に、日々使ったことのないような言葉を辞書の中で見いだしてから、言葉を最初に置いて書き始めるようなことも度々繰り返した。グラスにウヰスキーと氷を入れて手にしながら椅子に座り、丁度電話を受け取り、そのまま相手の言葉の中に入り、知らずうちに原稿用紙の上にグラスを置いてしまい、結露の水分を吸い取った原稿用紙とインクがリングを下の用紙迄染込ませたのを受けて、そのリングに沿って丸い円弧を万年筆で描き、言葉を円弧の外縁に沿って時計回りに綴ったこともあり、小さく独りごちていた。拙い戯れでよかったし、それ以上を求める気持は生まれなかった。だから賀状をすべて万年筆で書こうと決めたことは、流れに素直に従ったまでのことだったが、この時大きな問題が生じたのだった。
2008年11月14日 18:20