誓い

9月 13th, 2009 § 誓い はコメントを受け付けていません § permalink

22年の間、紆余曲折はあった。 流れるものが枯れても共に泣いた妻が癌で不意に逝った時、自分が不幸などとは思わなかった。悟と路子と三人で過ごした八年を繰り返し辿る日々が変わる訳ではなかった。独りになって家族の元へ逝こうと思うことはあったが、生きていれば結婚し可愛い妻と孫を連れてきただろう悟の成長の陽炎を、食卓やニュースなどあらゆる事から想起することで、死んでなどいられないとひたすら静かに毎朝起きるのだった。妻と泣き崩れること自体が幸せということなのかと逆さまを納得する錯乱も静かに流れたが、それに慣れることはなかった。絶えず意識は先鋭化し、茶碗をみつめるとそのうち割れてしまうと思った。仕事は大袈裟な突出を控えた、草むしりのような残務処理を率先して選び、最初は同情的だった同僚との会話もなくなり、妻が泣きつかれて寝入ってから、毎晩歴史書を捲りながら、死んでいった人々の面影を追うことで、今生きている筈の悟の姿を、昨日より鮮明に捏造したい気持が膨れるに任せた。そうした時間を生きることが自分の与えられた使命となったと考えた。

秋川を殺そうと三度考えて二度止めている。最初は、事故から3年目に2年の禁固刑の実刑受け出所した秋川が、両親と共に自宅に訪れ、頭を下げた時に明快な殺意というものが初めて芽生えていた。一週間後に妻に秋川を殺してくると告げると、路子は動転し、そんなことをしてもわたしの気が済まない。あなたがいなくなるとわたしはどうしたらいいと殺意を封じ込めた。路子との生活が私を鮮明にしてくれていたので、その後18年の間、殺意は消えたわけではなかった。秋川の動向は絶えず調べていた。

病院のベットで、路子は自分の余命を察知したのだろう、わたしが逝ったらあなたの好きにしなさいと微笑んでくれた。あなたのその目つきだったら、睨んだだけであいつは死んでしまうわ。悟と待っているわね。小さく囁いた時に二度目の殺人を考えたが、いざその気になって詳細を調べた秋川の家族の様子が、生きていた筈の悟が辿る人生の幻視したそれとあまりに酷似していたので、躊躇いが生まれ挫折した。然し、秋川の近隣の住民から、家庭内暴力のことを聴き出したことで、三度目の殺意を成立させることができた。決行まで2年費やした。

2009年5月15日 09:31

路傍

9月 13th, 2009 § 路傍 はコメントを受け付けていません § permalink

「向こうの六彦がバスケの試合が終わったとかでそこを走ってきた。やあじいさん元気かと肩で息をはあはあさせて座り込んで、疲れた〜といいやがる。ここでたらふく水を飲みやがってえへへと笑ってまた走ってった。あいつは高校か中学生か」
三郎は半ば独り言のように呟きながら六彦が口をつけて喉まで水を垂らしながらむしゃぶりついた蛇口のある外の流しで汚れた両手を手首までゆっくりと洗い、首に廻した手ぬぐいで拭ってから腰にぶら下げ、胸のポケットから煙草を取り出し火を点けてから椅子代わりに使っている切り株に腰を下ろした。
庭先に筵を広げて座り込み、食事の足しにと自分たちの畑で細々と栽培している枝豆を枝から鋏で取り分けながら、明子はもう高校だよと答えてから、
「ああいう若いもんが疲れたっていうのはなんだか気持が良いけど、いい大人が疲れた疲れたっていうのを聞くと、こっちまで疲れちまうね」
明子もまた独り言のように俯いて鋏を動かしながら、漂ってきた煙を吸い込んだ。

三郎は何も答えず目元がぼんやりするまで煙草を長くふかし、いい大人ってのは、あいつしかいない。家の前から続く路の先を眺めながら思った。たしかに六彦の疲労はすぐに快復する健気さに満ちているが、あいつが繰り返すツカレタは、まるで病気か怪我の病人が治らない痛みを、地獄の底で延々と痛い痛いと云っているようなものだと、顎を向けて明子の背中をみつめた。

「そうだなこっちまで痛くなってくる」
疲れてるんじゃなくて憑かれてるんだわ。と胸の内に言葉を棄てた。

2009年6月 9日 11:33

8月 23rd, 2009 § 土 はコメントを受け付けていません § permalink

 臨月の里美は、夫に聞こえるように廊下の電話で帰らないからと母親に伝えた。耳元を離れてから母親のダイジョウブなのと語尾を伸ばす声が手首の中聞こえたが構わず受話器を置いた。背骨を腰のあたりで反らすようにして左手で下から腹を抱え撫で、目頭に振り落ちた前髪を耳へ指先で戻して振り返ると、夫は偉そうな表情でこちらを見て頷いている。何もわかっちゃいないのに。里美は黙って夫の座るダイニングテーブルへ戻り、食べかけの朝食の牛乳に口をつけ、乳牛を飼うって大変かなと言った。本当は不安だったが、里美は夫の元で産みたいと思った。

 3年前、亮介の両親が大雨で緩んだ畑の始末の最中に小さな崖の土砂の崩れに巻き込まれた。晴れ上がった翌日の午後になって、配送に走っていた宅配の運転手からどうもおかしな場所がある。連絡を受けた村の駐在が、崩れの下に露出した長靴をみつけ大騒ぎとなり、村の消防団が駆け集まって掘り出したが既に遅かった。ふたりともまだ壮健だったが、崖下の農業用用水路に座り込んでいたところを不意に頭の上から根をつけた樹々をともなった土砂の塊が落ちて上半身を水路に落としたらしかった。現場はなんとも小さなその場限りの小さな崩れだった。皆がなんでこんなことにと同じ言葉を漏らした。夫婦で並んで同時に事故に遭ったことが、痛ましいともそれでよかったとも囁かれた。社での業務中に報告を受け頭が殴られたように痺れたまま列車に飛び乗り帰省した亮介は遺体を前にして、慰めの言葉も聞こえず声も出ず涙も出なかったが、列席の村人に頭を下げ葬式を終えてから東京に戻り、即座に辞職願いを提出し、学生の頃からの独り住まいを片付けて実家に戻り、2週間程放置された田畠の手入れをわけもわからずにはじめていた。
 一人っ子を東京の大学へ進学させて、時代に合った好きな人生を送らせることにした亮介の両親は、村の寄り合いで、折角の跡継ぎなのにと幾度も声をかけられたが、この家も家業も俺たちふたりで仕舞いにするよと笑っていた。そんな話を、四十九日法要で父親の兄より聞いて、両親の田畠を引き継ぐ勉強を始めた旨を報告し、これからいろいろと教えてくださいとまだ都会の青年の顔できっぱりと言葉にした。その時学生の頃からつき合っていた里美も駆けつけており、あたりから浮いたような清楚な白い顔で、亮介の隣に座っていた。
 里美からここに住むわと法要の片付けの後切羽詰まった言葉を聞いて、亮介は一度帰ってゆっくり考えろと返していた。俺は来てくれとは言えない。なにしろ先がみえない。君は都会育ちだからな。と笑った。里美は相談されずに実家に戻った亮介から顛末を携帯で聞いた時にもう決めたことだった。

 所帯を持って朝霧の中、若い夫婦が農作業をする姿を村人は、遠くから眺め今時の若い者だから続くまいと小さく噂が流れたが、日ごとに手入れされた田畠は、以前より行き届いていると半年で掻き消えた。妊娠を知った従兄弟の良文がさとみちゃんおめでとうと家から預かってきた果物を差し出し、甥の耕造と四人でおいしいねえとスイカを食べる里美を眺める亮介は、帽子の痕を額に残すほど日に焼けて、半年前とは見違えるほど両腕も太く固くなっていた。里美は良文の母親に、この土地ではそんなものすぐに駄目になるわよ。子供じみた花壇はやめなさい。叱られたことを思い出し、だって庭にも花は必要よ。と笑いながら弁解すると、良文は、妻の夕子が今度テニスに誘うってさと言った。

8月 22nd, 2009 § 脛 はコメントを受け付けていません § permalink

 山岡は帰宅できないまま二日ほど寝ずに仕事を続け、仕上げを部下に任せ、オフィスのパーティーションで仕切られた応接ブースにあるソファに倒れ熟睡していた。ソファから見上げた壁の時計は、午後4時すぎを示していたことだけ記憶していた。ソファの背と膝掛けの隅に顔を埋めるように寝ていると気づいてから、瞼を閉じたまま時計盤を思い出していた。振り向いて壁をみればどのくらい眠っていたかわかる。

 まただ。先ほどから何度か聞いている。枝を折るような脛の音が頭の後ろで小さく立ちあがった。女性社員が毛布でも掛けてくれるのだろうか。だが、オフィスの業務の音は一切しない。体重の移動で足首から膝迄走るような脛の音だけがクリアに響いて消えた。誰かが背後に立っているのかと、ようやく身体を解して目を開け上半身を捻って振り向き、まず壁の時計をみると4時前だった。どうやら午前らしく、オフィスの灯りは消されており、丁度時計盤に外からタクシーだろうかヘッドライトがゆっくり回るように届いて時間がみえた。
 窓の外から入り込む街の灯りで、薄暗い応接ブースには山岡の他には誰もいなかった。タオルケットが身体に掛けられており、目覚めと知覚と夢が混ざったかと思い返したが、夢の名残は無かった。立ち上がり応接ブースだけ電灯を点け、湯沸かしへ歩きながら、だがあの脛の音は妙にエロティックだったと、匿名の女の足だけを浮かべて火をつけ、珈琲を入れてソファに戻り、皆が出社する時刻迄もう一度眠ろうかと、珈琲を腹に流し入れてから横になった。
 机のカップから湯気が揺らいでいると眺めてから瞼を閉じ、大きく息を吐くと、再び目の前あたりの、カップと目頭の間あたりの近距離で、脛の音がピキと走った。はっとして目を開けると、視界の隅に白いストッキングの脹脛が、さっと消えるような残映をみたような気がした。再び目を閉じればまた音がする。それもいいものだなと山岡は緩く思って瞼を閉じた。

 急性の心筋梗塞で嘔吐したままの山岡を終業間際の社員がみつけ、救急車で運ばれていた。意識混濁の患者の周りで看護師が脛を鳴らしながら立ち回っていた。

群れ

8月 9th, 2009 § 群れ はコメントを受け付けていません § permalink

 「わたしはわざわざ身動きできない通勤電車に揺られて眉を顰めた表情をつくりながら、実は安心していたのだと思います。電車ばかりではございません。夏祭りや、バーゲンなども人が多ければ多い程、歓びの度合いは高かったのでございます」

 晩春の昼過ぎ時、天麩羅蕎麦の脂が少々腹に凭れたような気がして、大きめなミネラルウォーターを持参し、一気に半分ほど飲んで赴任したての浅岡は、散り終わった桜の枝を見下ろしネクタイを緩めて椅子に座り、取調室で品の良さそうな婦人を前に、黙って話を聞いていた。部長からとにかくなんでもいいから話をさせろ。お前は聞くだけでいい。と指示されていた。

「肉親がひとりもおりません。両親はまだ幼い頃亡くなりました。ふた親とも50近くになってからわたしを産んで育てたので、19の時には短い患いの後、続けて亡くなりました。働き始めてから今までずっと独りでしたので、途中からわたしの体は人様に見えないのではないかと思うようになりました。幾度か薬を飲んで死のうかと思いましたが、遺伝でしょうか、丈夫なもので翌朝にはけろっとして起き上がるのでございます」
 女は茶碗を両手にとり、ゆっくりと口をつけ音をたてずに茶を飲んだ。器を机に戻さず手の平に置いたまま、お名前はと尋ねたので、浅岡と答えてから、気まずさを打ち消すように即座に、それで。と話の続きを促した。
「ぎっしりと身体を寄せて揺れる電車の中で、痴漢行為をみつけました。立派な紳士でした。被害にあっている女性は顔を顰めて俯いていましたので、私はその紳士の手の甲を思い切りつねったのでございます。男性はびくっとしましたが、表情には出さずに手を隠しました。最初はそれだけでございます」
 浅岡は、同じような光景を見て、自分は男の腕をねじり上げたと、自分の顛末が思わず口から漏れそうになり、慌てて堪え、ミネラルウォーターのキャップを開けた。