卓袱台

12月 13th, 2009 § 卓袱台 はコメントを受け付けていません § permalink

 引き戸を後ろ手に閉めると、金属質な籠りの中、植物が鼻孔から瞳の奥へ薫り差し瞼が 潤んだ。河原の土手をダンボールで滑り落ち、笹の繁みの中で緑色が滲んだ膝小僧を頬に すり寄せた身体の形が皮膚の下に弱く広がった。深く吸い込んでから呼吸を整え、目を凝 らしたが、店の中にはそれらしいものは見あたらなかった。  
 雨の残りが俄に降って、駆け込むほどではない軽いものだったが肩は濡れていた。知ら ぬうちに身体に染みたのかなと袖口に鼻を近づけると、手の甲に黒いものがぽたんと垂れ た。  
 ほんの数分前、お互い驟雨に慌てたのだろう、今時の赤い長髪に隠れた華奢だが固い肩 が額に当たり顔を顰め、妙に女性的なコロンの香りが鼻につく白いツナギ姿に身を構えた のだったが、意外に繊細な柔らかい声でスミマセンと腰を曲げて頭を下げられ、痛みは和 らいだ。背丈のある細い身体の背中に有坂石材店と印刷された文字を読んで、走り去る姿 に、石というのは、つまり墓なんだろうなと一瞬印象と認識が揺らぐのを遊ばせるように 空を見上げ、細かい雨の落下に暫らく顎を預けると、眉間に焼き栗を乗せたような甘い痺 れが丸く残っていた。   » Read the rest of this entry «

世界への傾き

11月 8th, 2009 § 世界への傾き はコメントを受け付けていません § permalink

 弱い木枯らしが足下に寄せ、地面の舗装面との乾いた摩擦音を、不連続にかさこそと、儚さの塊のような風情で転がってきた小振りの枝を、祐介は、拾い上げた。良い形をしているとか、偶然が気持ちに含まれたなどというわけではなかった。手首の腕時計から促され、教室に戻り始めた大学構内の校庭の、脇にある道沿いで、ただ拾っていた。思ったよりもまだしなやかさのある手にした枝が、どういった種類の樹木であるかわからなかった。

 30分という時間で何か素材を探す課題をうけて、教室から外に出ることが、学生という立場、身分のものにとって健やかな弛緩を与えた。大学進学という自らが選んだ拘束に出資している将来への展望よりも、祐介は愚痴のようなリスクを考えては友人に笑われた。首を傾げる姿勢を続ける聴くばかりの講義よりも、このような個人の能動を評価の対象とするというのは悪くない。校庭でソフトボールをする人間をベンチでぼんやり眺め、かといって頑張るパッションを稼働させるには季節が悪いと思った。

 一旦教室に戻って、早々に作業に取りかかっている他の学生の、楽しそうなざわめきの中机の上の枝をどうしたものかと暫く眺めた。見つけてきた素材でなにかをつくらねばいけない。与えられたテーマはない。全く自由であるが、時間内の作品提出と同時に90分の行動を説明しなければいけない。後日制作説明に対する講評を加えたレポート提出し採点評価される。級友たちは、あらかじめ準備してきた絵具で拾った石に顔を描き、あるいは画用紙に拾ったゴミをコラージュをしたり、木片に鑿をいれて人魚のようなフォルムを掘り出す者もいた。祐介は、半ば感心して級友たちの、真剣な手つきや眼差を眺めていた。
 90分の時間を、準備に30分。制作に30分。作品説明と講評に30分を割りあてられていた。制作時間が残り10分ほどとなって腰をあげ、祐介は教室を出て購買にて虫ピンを買い、戻ってから壁に枝を、虫ピンが見えないようにとりつけて、教室の入り口まで戻りその様子を眺めてから歩み寄り再びとりはずし、窓の形が午後の日差しを抜け影を描いた場所に設置場所をかえた。赤い布テープをそこにふわっと絡ませて乗せるときに、何度か繰り返した。十数回繰り返して、諦めたような仕草でおしまいとした。ベンチに座った時、誰か女子学生のものだろうか、髪を束ねるために使ったのかもしれない。放られてあったものを手にひらにまるめ鼻に近寄せて匂いを確かめてからポケットに入れていた。

 つぎつぎと級友たちの自己正当化する作品説明を聞きながら、お前たちはみんななんて分かりやすいのだろう。と祐介は考えていた。同時に自分の番が回ってきた時に、何をどう説明すればいいのか、途方に暮れた。案の定、壁際に立った祐介を見つめる数十の瞳には、手抜きしたなという薄笑いが滲んでいた。

 「窓の影が落ちた壁に拾った枝と赤い布を置きました」
 それ以上加えることのできなかった短い説明に、それって何だと級友たちの野次のような批判が重なったが、祐介はわからないと答えた。

シングルギア

10月 27th, 2009 § シングルギア はコメントを受け付けていません § permalink

 「街のメッセンジャーが乗り出して流行っているが、都会の話だ。この辺りでピストに乗るなんて後悔する。俺だったら乗らない」

 この人最近キャノンデールのカーボンで走ってるんだよ。達夫が別荘地で遭った高価なロードレーサーの所有者の坂本を指差すと、達夫に向けて坂本が微笑みながら声をかけた。
 海外のメーカーの完成品なども飾り始めて品揃えが増えた篠田自転車店は、店の名前をシノタバイシクルとカタカナにした看板を新しく下げた。一時は下降するだけだった商いが、最近のエコブームと、団塊の世代の移住にともなった顧客の増加で、右上がりとなり、思い切り入荷した軽自動車ほどの値段のするバイクが三日で売れて驚いた。幾度か都内の専門店の知り合いを尋ねて勉強した店主は、近くの山岳レースなどのスポンサーにもなって、達夫が子供の頃のパンクを修理していた薄汚れた親父とは見違えて精悍になった。自転車の他に興味のない達夫にとって、この店の繁盛はこの上もなく嬉しいことであり、学校帰りの達夫と店主が時々取り寄せた専門誌を頭をつき合わせて眺めていることもある。坂本も、頻繁に店に顔を出しパーツを注文する常連であり、その豊富な財力と知識で店主にいろいろと新しい情報を教えていた。ネットで注文すればこうした店など必要ない坂本も、達夫のように真っすぐに同じ方向を向いている青年と会うのは楽しいと思った。達夫が最近店に来ては近寄ってしげしげと眺めている、シンプルなバイクの向こう側に回って、
 「一度乗ってみるか」
 達夫の返事を待たずに、走るのは舗装だけだぞ、と店主は肩を叩いた。達夫は坂本と店主の見送りを受けて、生まれてはじめてシングルギアを走らせた。

 「ペダルが重いのはいいけれど、重量も若干重いですね」
 「ハンドルは多分クロモリだよ。トラックレースは急激に加重がかかるから剛性を高めている。最近のピスト乗りはサーカストリッカーが多いけど」
 紅潮した顔で戻ってきた達夫は、坂本と車体の細部を指で触りながら座り込んだ。
 「俺はストリートトリックなんか興味ないス。ただ身体を持ってかれるような加速感はリアルですね。身体に正直に反応する」

 
 坂本は達夫の意見を聞いて、俺も欲しくなってきたと笑った。週末は客が多く、ほとんどがマニアックな指向の素人だから、ただ売るわけにはいかず、細かい調整や修理、パーツの組み替えもするので、篠田は達夫に週末にアルバイトをしないかともちかけた。坂本はあの子だったらこのあたりをシングルギアで走り回るよと店主に囁いていた。夏休みならば連日でもいい。アルバイト代の前払いで、あのピストを乗ってもいいぞ。と畳み掛けると、達夫は飛び上がって喜び、お願いしますと頭を下げ、その日は、ややクラシックなデザインのコルナゴのピストを坂の途中で諦めて押して上がって家に戻ったが、終始顔が崩れたままだった。

意識

10月 15th, 2009 § 意識 はコメントを受け付けていません § permalink

 ATMの前に並ぶ中年女性のでっぷりと張りつめた尻を眺めて、肩に近寄り、昨日は獣を抱いたよ。男は呟きたくなったが、化粧の香りに顔を背けた。

 猪を罠で仕留めたのはこれで十匹は越えたか。斜面対して垂直に掘った穴に落ちたというよりも、逃げ込んだような小さい獣の額を二三度尖らせた鉄棒で突き刺し、四肢を痙攣させたまま引きずり出してから、矢庭に獣の肛門へ指を差し入れ自分の陰茎を突き刺し数分で果てた。土砂降りの中、獣の歯茎から吐き垂れた白い泡は自分のものだと思った。俺は仁王のような顔をしている。はじめてのことだった。衝動の在処を探すことをやめて、獣の糞に塗れた性器を打ちつける雨で洗っていた。まだ、朝だった。

 都内のマンションを車と一緒に売り払い、口座も移し、移転先は広島の生まれそだった町の隣にアパートを借りて住民票はそこへ移した。以前から国有林と私有地が深い山襞に隠れる場所を調べ何度か登山者の格好で実際に歩き、ほぼ2年かけてから場所を決定し山小屋をつくりを始めた。最初は富士の裾野の樹海にでも小屋をつくろうと考えたが、生きていないものを含めた雑多の訪問者が多いだろうからとやめた。

 ブナの原生林まで歩いて、折れた樹木を探し、ひとつを抱えて小屋に戻り、樹木を削り球体を掘り出す日々を始めた。月に何度かは、山を下り温泉宿で身体を洗って着替え、バスの走る県道まで歩いてから町に出て、金を下ろし買い物をした。蕎麦屋にも入ったが、旅行者でないと気づかれる前に、同じ暖簾をくぐることをやめた。知られたくなかった。小さな駅の公衆トイレで財布から免許証を取り出してから、丁度昨日が自身の65歳の誕生日と知った。免許証を買ったばかりの鋏で細かく切り刻みトイレに流した。この時まで離さずにいた小さなラジオも不燃物のゴミ箱に投げ入れた。

 町から小屋に戻るまで半日を要した。2ヶ月目で腹を下し、数日寝たままでもう駄目かと思ったが、身体の余計なものが絞り出されたような軽快さと飢えですっと立ち上がり、獣をとらえる罠をこしらえはじめた。4ヶ月経過した時、小屋から見下ろせる沢に人の歩く姿をみつけ、即座に数日掛かって小屋を解体し、更に奥へ移動してまた粗末な小屋をつくりはじめていた。半年後、町へ下りる理由がなくなっていた。

橋の下

9月 17th, 2009 § 橋の下 はコメントを受け付けていません § permalink

太い腕には内側に入れ墨もあった。鼻、耳、唇にピアスが突き刺さり、腰には鎖をじゃらじゃらぶらさげた、語尾を上げる大きな声の男が煙草を吸いながら、髪を青く染めた痩せた未成年らしい年下を時々蹴っていた。あれだって二十歳そこらじゃねえか。時々というのは、年下のやらかした不手際に怒って説教をしながら歩き回り、2分に一度は蹴った。1時間はそうしていた。2分というのは、あたしは計ったから。腕時計で。ストップウォッチで。だから顔とかは蹴らなかった。そんなことしたら気絶して説教聞けなくなるからね。

橋の下で寝泊まりしてまだそんなに日にちは経過していないと何度も繰り返すホームレスは、芝村一男というしわくちゃの印刷会社の名刺を差し出してから、それしかないから返せと懐に仕舞った。煙草と缶珈琲を買ってこいと要求してから、なにしろ話し慣れていないからねと続けた。

青い髪の子供は、我慢強いというか、うたれ強いっつうか、さっさと倒れればいいものを、健気に何度も起き上がっては正座してさ。俯いて声ひとつ出さないわけさ。
ピアス野郎はそれが気に入らないんだろうね。靴の爪先で狙うように蹴る。周りには薄笑いを浮かべた仲間が結構いたな。ほらここからだと、あの柱で隠れるから全部で何人というのはわからないよ。誰も手をださなかったよ。周りで見ているだけ。
いつまで続くんだと思ったよ。あれじゃ死ぬわ。警察が来ると嫌だなって思ったね。だって追い出されるからね。え、大丈夫。そりゃよかった。いずれあと数日で動くけどさ。電車で他所に行く予定なのさ。

ピアス野郎の仲間だと思っていた子供がね、一番背の小さな子供が輪から離れて河原に歩いてさ、両手に石を持って戻って来るのがみえた。他の連中は気づかなかったと思うよ。何気なかったから。その子供がさ、輪に戻って行ってピアス野郎の後ろに立って、まずは片手の石を地面に置いた。ひとつは持ったまま。あのガキこれで仕留めてくれってアニキにお願いするんじゃねえだろなと思ったら、入れ墨男の肩を、ぽんぽんってたたいた。ねえねえという感じだよ。説教も途切れがちになってた野郎は、なんだと振り返った。その餓鬼はなんだかんだと小さくちょっと口にしたようだったが、ここからは聞こえなかったね。そしたら餓鬼が野球のピッチャーみたいにフォームをして、ピアス野郎の目に尖った石を打ち込んだのよ。殴った瞬間に血が横に飛んだ。ぱん。って音がしたから目ん玉が破裂したんじゃねえか。ホースで水まくだろ。あんな感じの細い血がシュッと横に吹いた。ピアス野郎は顔面を押さえてぎゃーと叫んだ。背の小さな餓鬼は、その入れ墨男の顔の手を左手でどかすようにして、風呂から水が溢れるように血が流れてる目を狙うように、更にがっ。がっ。って打ち込んだ。三度目は、地面の石と取り替えた。6,7回は続けた。三度目には、ピアス野郎は地面に倒れて、最後には声も出なくなった。7回目は、膝ががくんと動いただけだった。
周りの連中も、あたしも、身動きできずって感じだった。なんか新聞配達の子供の背中を見ているようだった。

あの餓鬼、石で殴りながら、ほら逃げるなよぉ。手をどかせよぅ。と小さな声で唄っていたらしい。あとで立ち尽くしていた連中のひとりに聞いた。何喰わぬ顔で川で手と顔を洗ってた。