7月 14th, 2009 § 終 はコメントを受け付けていません § permalink

 青田は、ちゃんとブーツを履いて転倒に備えてそれなりの恰好を揃えろよ。結果的にはよかったと思うはずだ。半袖に半パン、スニーカーで400ccを170キロも頃がしてきた沢木に、お前バカかと付け加えた。

 15.6の頃から中型バイクで通学し、単車を転がしてすでに十年近く過ぎた青田のキャリアはその走行距離からして沢木の及ぶところではない。山奥にあるダム管理の仕事場の、650ccのオフロードやら解体されたカブやら250ccが無造作に置かれた青田の元に、ようやく単車を買ったよと報告も兼ねて、大学を卒業したと思ったらダムの管理に就いたとはどういうことか確かめたい気持もあって沢木は初の遠乗りをした。初夏の田園を切り裂くように走った。

 沢木が後輩から5万で買ったスカイラインは、首都高で錆びたマフラーが落ち、後ろのトラックからトーヘンボクと訛のある声に笑ってしまったが怒鳴られ、これアメ車かと笑い飛ばせないほど燃費が悪く維持費でバイト代がごっそりと消え、ディズニーランドでの修復のバイトにはその移動力を重宝したが、駐車場にも気を使わねばならず、いくら格安の中古でエンジンは音もいいし良く回ったけれど、5千キロも乗らないうちに廃棄処分とし、中型バイクの新車をローンで組んだ。沢木にとってスピードのある加速移動することが現実感を得る体感をもたらすのでそれを好み、わざわざ一山越えた遠方の缶詰工場の深夜のバイトを選び、何が目的かわからない気持で夜中と早朝走った。

 林道だからそれは腹を擦る。タイヤもパンクするかもしれない。赤い新車を置いておけという指示に従って、沢木は青田のオフロードの後ろにしがみつき、スターウォーズのエアーバイクに乗っているようなスピードで、途中黒曜石の吹き出す林道を駆け上がると湿原が広がっており、見渡すと谷の小さな隙間に青田の仕事場がみえた。青田がこの仕事をはじめて一年と数ヶ月過ぎていた。

 あの崖の黒曜石でつくった矢尻がかなり遠方でも見つかっている。ここが原産だろう。地形図を広げた説明に頷きながら、青田が執拗に時間をかけてつくったカレーライスを食べ、雑然と散らかった仕事場兼住居の生活を沢木は、はじまったばかりの新しい生活であるはずが、既に終わってしまった世界のようなニュアンスが漂っていることに気づいて冬はどうしていたと尋ねると、ああ気が振れたと短い答えが返った。

 MBM紙に描きかけのチャコールデッサンがイーゼルに置かれてあり、描かれているものをよくみると、部屋の入り口の脇に傾いたような変哲のない作業靴の突っ込まれた棚箱の一部をそのまま短い線の反復で、淡いトーンが作られていた。

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3

7月 14th, 2009 § 3 はコメントを受け付けていません § permalink

「何も信じていないって言い張るのは、そういう意固地な自己を崇拝してるっつう恥を曝してるわけさ。自己愛をさらけ出す独我的幼児性にすぎない。愛も同じで大いに使う奴ほど中身は必要ない。そう叫ぶ自分がイコール愛っつうオチ。君たちを信じているなんてよく言うよ」

「崇拝とか信じるってコト自体、共有のイメージとして分かち合えた時代はないんじゃない。殿様や天皇を信じたわけじゃなくて、従わされたわけだし。サラリーマンだって会社を信じているとしたら幼稚すぎるわ。なんだか狡い呪文よ」

「ジュモンってうまいこというね。ああせいこうしろって背中を押されたら逆らわずに身体を動かしたほうがまあ気楽だよな。考えるのが面倒くさかったんじゃない?仲間や家族は信じてたんじゃねえか?」

「まじでそう思うのかよ」

「信仰とか崇拝とは違う。猿の子供のように寄り添うしかなかっただけよ」

他に誰もいない屋上で、緩い風に前髪を揺らしたヒロシが指をのばすと、夕焼けの反射が雲に残った海の上に飛行船が浮いていた。ダイスケはユウコの肩をつついて缶ビールの栓を抜いた。ユウコはヒロシに新しいビールを渡しながら、

「祈りを捧げるってどういうことかしら?どういう感覚に支配されるんだろ」

「例えば、家族が事故かなんかで病院に運ばれて、そこにたどり着くまで、どうか無事でいてって思うでしょ。そんな感じじゃない?」

「それだったら、宝くじが当たりますようにって思うのと変わらないじゃないか」

「違っちゃいけないの?」

「自分じゃなくなる。この身体を棄てるってことかもしれない。できる筈ないと思うが」

「いやいや人間の力の及ばない未来をこうしてくれって誰かに頼むわけだろ」

「神頼みって、まんまじゃん」

「世界はなるようにしかならない。幽体離脱に近いのかな」

「罪を償う贖罪を願う対象も神だっていうよね」

「家族に謝ったってはじまらない。身体を棄ててどこが贖罪なわけ」

「罪ってこれも実感ねえし」

「人を殺すと罪だと言うけれど、その罪ってどういうことか誰も教えてくれなかったしなあ」

「殺してみなきゃあわからないってか」

「祈ってみなきゃあわからないってどうやるの」

「不倫って罪よね?」

「言葉を一度すっかり棄てるか」

屋上の手すりに肘を伸ばして寄りかかり首都高の流れるヘッドライトの帯を眺めたヒロシは、俺もお前らもくだらないと呟いた。
ユウコは携帯を取り出し、今夜は時間があるかいというメールを読み千夜が過ぎる感覚が手元に小さく潰れた。
ビールの空き缶を順番に踏みつぶし振り返ると、飛行船はもうダイスケの視界から消えていた。

「あたしたちって歴史上希有なほど幸せでありながら、最低な感じがするわ」

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反射

7月 13th, 2009 § 反射 はコメントを受け付けていません § permalink

 後部座席で血が滲み皮膚が深く剥がれた拳を手の平で包み、寝起きのように静まって波紋の絶えた湖面の心で誰も何も教えてくれなかったと呟いて、誰もというのは店の人間でもなければ同席した後輩でもないです。我ながら妙な弁解をしていると思った。

 男が隣に座り声をかけた時は手で遮ってお銚子と料理を追加し、これで終いにしようと思っていたが、携帯に着信があり外へ出て契約が取れたと上司から労いの声を聞き、結構長かった交渉の甲斐があったと歓び、誰か呼び出そうかとアドレスをスクロールしながらカウンターに戻った。
お猪口はやめだ。祝いだ。置かれたばかりの銚子からコップに熱い酒を注いで飲み干して、更に酒を追加した。
 さきほどの男が、いきなり太股を掴んで、口元を近づけ卑猥なことを口走った。カウンターの向こうに立つ店の男が顔の前に手を合わせてこちらに頭を下げるので、常連の扱いにくい客の一人なのだと理解し、席を移動する旨を伝え、奥のテーブル席に座りなおした。
 軽い一人酒で済ます予定を、残業はもういい。呼び出し合流した後輩ふたりと刺身の盛り合わせを頼み、今夜は俺が持つ。焼酎のボトルを頼み、ウイスキーにも手を出した。契約のひとつやふたつと浮き立つほどのことはない。話の流れで後輩のひとりは聞いた事のない社内への愚痴をもらしたが、あざーすと新しい料理を口にしてオフレコでたのみますと笑う程度のことだった。
 トイレに立つと先ほどの男が、レジの前の女性客のハンドバッグを手で掴み、酔っぱらった声で陳腐な誘いをしており、店主も柔らかくお客さんやめてよともめていた。行く手を塞がれ、店主が再び頭を下げた。わかったわかったと男は一旦カウンターに引き下がり振り返ってこちらと目が合った。思ったよりも若い男だった。
 そのまま洗面所で用を足して手を洗っていると、鏡の中に件の男がぬっと顔を出し、文句があるかと声を投げた。もう帰れと小さく返した。うるせえと手の平で額のあたりを水平に殴られたが、向こうが顔をしかめた。
 気づけば、後輩ふたりが両脇で両腕を掴み、頭から醤油でもこぼされたかと濡れたものが左目に流れたので指で拭うと夥しい量の血だった。ぐったりと妙な形に倒れた男の片方の頬骨が陥没し、口から白い泡のようなものと黄色いものを吐き出していた。男の手には小さなナイフが握られていたことを、後輩から後で聞いた。

警察で取り調べを受ける前に、緊急外来にて処置され、胸の下、右腕の内側、後頭部に切傷があり、後頭部は後少し場所が悪ければ危なかったわよと女性医師に言われた。右手の拳は中指の根本に皹が入っているらしい。

先程の店のオーナーかと間違えた刑事に名刺を差し出すと、店長にも話を聞いたが、とにかく相手は重体だとこの時初めて聞いた。正当防衛ってねあなた、TVや映画の話でね。そんなものねえよ。素人が酒呑んでキレるってのが一番始末が悪いんだよ。

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異形

7月 12th, 2009 § 異形 はコメントを受け付けていません § permalink

 短髪の襟足がコンビニの入り口から水平に差し込む夕日で金色に光り、ノースリーブの肩から二の腕の産毛も同じようにきらきら透き通った。
 青い短パンから細く伸びた足はレジの前で交差され、声をかけられて入り口に立つ男友達に向けた横顔に立体感を与える健康そうな歯をみせて微笑んだ。近寄った若い男の声ばかり際だち、女のそれはあまりに細いので聞き取れない。籤に当たってヨーグルトを受け取った女は、わ。と一言喜んだ。

 女学生のような黒いスカートと白いブラウスで、襟元のボタンをふたつほど外し、顔に不似合いな太い黒縁の眼鏡のわきを親指と人差し指で持ち上げるようにしてから、顔を前に突き出した口にトンカツをくわえて、顎を上げた。頬にはソバカスがあり、肌はブラウスよりも白い。食事中すみませんと達郎は声をかけた。

 どちらも二十歳前後の女性だった。OLだろうか。高校生だったかもしれない。年齢は尋ねなかった。一度怪我や瘡蓋や夏の太陽に焼かれて引き締まったようなこどもの鎧の皮膚を一夜で脱ぎ捨て、再び羊水を浴び産まれたばかりの危うい薄さの皮膚に着替えて間もないような儚さに纏われた皮膚と見え、触れることはできない。そんなつもりはなかったが最初から諦めるしかないと思った。

 どちらも達郎の両手の指で作る輪の中に収まる腰の細さで、かといって少女の面影を棄て女を選んだ決心のみえる腰つきであり、共にこれまで話したこともない種類の「女」だった。そしてふたりとも達郎に、あなたのような無礼な「男」の人ははじめてと後に語った。

 青い短パンの女はミノリと名乗った。カメラを差し出してあなたを撮影したいのだが、少し時間をいただけるかと尋ねると、男友達にみせたものと同じ笑顔に当惑の丸い輪を瞳に足して、なぜ?と答えた。
 すぐそこに空き地があるから。指を指して歩き始め建物が取り壊されたまま草も刈られていないへこみの前に立ち振り返ると、声をかけた場所に立ち尽くしたままだった女は、小走りで近寄り、名を名乗り、あなたはと尋ねた。

 女学生のような女は最後まで名を名乗らなかった。自分の自転車があるというので、アスファルトの車道を二度往復してもらい、これでいい?と自転車に跨ったまま達郎の前に止まり自分の腕時計を眺めた。名詞を差し出すと、眼鏡を直しながら近づけて、文字が小さいわと達郎の名前を読み上げた。面倒なことから解放されたと臆面もない表情で私から電話するとだけ言い残し、ふくらはぎの筋肉を固く膨らませて走り去った。

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躊躇

7月 11th, 2009 § 躊躇 はコメントを受け付けていません § permalink

深夜になるとイヤフォンを耳穴に差し、砕けた下ネタばかりを期待するラジオを聴いて寝坊を繰り返していた。多分小難しい書物を紐解くよりも、怠惰に即効性のある先端の情報を得るに最適と決めつけて、日々急流の中先導の魚を追いかける気持ちもあった。見えない世界を漠然と憧れる、どこにでもある土地にいた。だから若き日の夜は、黒い穴のように点々と残ったが今では何もみえない。

施設の中では講堂の次に広く天井も高い。ちょっとした音も反響する。方形の木枠にガラスが天井まで並んだ北窓からの反射光に引き寄せられ、日陰の部屋のような落ち着きのある美術室に集まる人間は、放課後になれば家に走り戻り翌日の授業の為の大量のホームワークを延々と厚い教科書に向かって処理する時間を前倒して放り出し、油絵や石膏デッサンの活動とは名ばかりの、スケジュールのない自己責任で過ごせばよい空間にて、ギターを弾き、卓球をし、年上は年下には無関心で、ただ散漫に会話を交わすだけだったが、授業の度にクラス移動をし、グランドで運動をし、学食や外の店でラーメンをすすり上げる以外の、身を横たえる空白の場所となり、日々の盛んな抑圧や緊縛を弛緩させる効果はあった。当時美術を選択科目として履修しても、野外写生などの時間つぶしと放られ、この空間はほとんど使われていなかった。

こどものくせにプライドばかりが高い勉強もよくできる人間がここぞとばかり集まる教室で、控えめな日々根気のいる学習を淡々と反復する鈍獣のような者が、時間の経過とともに早熟な大人の表情を隠さぬようになり、神経症の結果のような仕方で一科目に突出し他をすべて捨て去る態度で、世を渡る処方のような弁えの仕草を憮然と行う者もいて、彼も同じ空間の所属だった。

環境的にはだからそんな中、油絵の具をパレットに流しだし、出鱈目に近い勝手な絵図を指導者もいない空間でひねもす繰り返したのは、今思えばあまりに超然としている。ただ、そんな場所であるからこそ、ほとんどの同世代の人間が無関心であった「白いゼロ」である画布が、ひどく貴重でかけがえのないとりつく島となり、それ故の躊躇がこれも遅々と育ち、そしてその戸惑いを弱く発酵するに任せたが、未来とその空間を直接結びつけなかった。

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