躊躇

7月 11th, 2009 躊躇 はコメントを受け付けていません

深夜になるとイヤフォンを耳穴に差し、砕けた下ネタばかりを期待するラジオを聴いて寝坊を繰り返していた。多分小難しい書物を紐解くよりも、怠惰に即効性のある先端の情報を得るに最適と決めつけて、日々急流の中先導の魚を追いかける気持ちもあった。見えない世界を漠然と憧れる、どこにでもある土地にいた。だから若き日の夜は、黒い穴のように点々と残ったが今では何もみえない。

施設の中では講堂の次に広く天井も高い。ちょっとした音も反響する。方形の木枠にガラスが天井まで並んだ北窓からの反射光に引き寄せられ、日陰の部屋のような落ち着きのある美術室に集まる人間は、放課後になれば家に走り戻り翌日の授業の為の大量のホームワークを延々と厚い教科書に向かって処理する時間を前倒して放り出し、油絵や石膏デッサンの活動とは名ばかりの、スケジュールのない自己責任で過ごせばよい空間にて、ギターを弾き、卓球をし、年上は年下には無関心で、ただ散漫に会話を交わすだけだったが、授業の度にクラス移動をし、グランドで運動をし、学食や外の店でラーメンをすすり上げる以外の、身を横たえる空白の場所となり、日々の盛んな抑圧や緊縛を弛緩させる効果はあった。当時美術を選択科目として履修しても、野外写生などの時間つぶしと放られ、この空間はほとんど使われていなかった。

こどものくせにプライドばかりが高い勉強もよくできる人間がここぞとばかり集まる教室で、控えめな日々根気のいる学習を淡々と反復する鈍獣のような者が、時間の経過とともに早熟な大人の表情を隠さぬようになり、神経症の結果のような仕方で一科目に突出し他をすべて捨て去る態度で、世を渡る処方のような弁えの仕草を憮然と行う者もいて、彼も同じ空間の所属だった。

環境的にはだからそんな中、油絵の具をパレットに流しだし、出鱈目に近い勝手な絵図を指導者もいない空間でひねもす繰り返したのは、今思えばあまりに超然としている。ただ、そんな場所であるからこそ、ほとんどの同世代の人間が無関心であった「白いゼロ」である画布が、ひどく貴重でかけがえのないとりつく島となり、それ故の躊躇がこれも遅々と育ち、そしてその戸惑いを弱く発酵するに任せたが、未来とその空間を直接結びつけなかった。

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