白いパンプスが湿った地面の濡れた葉に埋まって汚れたけれど、スポンジを踏んでいるような柔らかい感触に、いっそ足首迄飲み込んで欲しいと思った。
予算が乏しい仕事を、バスで行ってきますと一人で社を飛び出し、小雨の降る駅前で1時間以上はかかる道のりの日に数える程の発車時刻を指でたどり、待ち合わせの間肩掛けバッグの中身を確認し、乗車した時には、自分ひとりしか乗車客がいなかった。途中、雨が一度激しくなったが気にならなかった。
季節が一度冷え戻り、新緑の樹々が春を待つような気温が続き、こちらの姿勢も影響されて軌道に乗った筈をはじまりに戻され、仕切り直すようなムードが社にも広がって、瞳はそれをおもしろがっていた。小さな雑誌の小さな掲載記事の為の取材分が足りていないと判り、編集の人間は皆が記載をやめようと相談している時、知っている所がありますと手をあげていた。
アポも取らず、カメラマンもいらないです。と少し大きな声で口にしたのは、少々強引だったかもしれない。帰れば叱られることもあるだろうがそれでもいい。峠を越えて窓を流れる雨水が消え、その向こうに流れる遠い景色が霧にまぎれているのを眺めながら少し前を憶い出していた。同じ編集の年上の同僚から唐突に酒の席で優しいことを耳元で囁かれ、それまで気に止めていなかった存在がいちいち視野に入って、明るく行こうと誘われた隣の市の遊園地でのデートは学生のような乗りで二人でラーメンを音を出して平らげ手を振って別れたが、三度目の夜だった昨夜、車の中で抱きしめられた途端突き放していた。当惑する表情の男を瞳はまじまじとみつけ返して、どういうつもりなんだと口に出す男の言葉を最後まで聞かずに車から降りていた。社では朝からこちらを見つめる視線に気づいていたが、気づかぬ振りをして、それが気象と重なって鬱陶しさがつのるばかりだった。
終点の高原の二つ手前の神社の鳥居で下りると霧の中で、数十メートル先は白く消えていた。休日は観光客で賑わうこともある参道から脇に入った店の料理を取材して、店主から妙な季節ですねと差し出された温かいどぶろくを両手で悦んでいただき、謝礼を言って頭を下げて、無事取材終了の報告を携帯でしてから降りたバス停の時刻表を見るまで、そのまま戻るつもりでいた。次の発車まで随分時間があることが判ると、まだ残る霧の中の、学生の頃、うぶな恋人とふたりで湖畔を歩いた事のある湖まで歩きはじめていた。
単独行にしろ十代から何度も登ったことがあり、記憶も鮮明で大したことはない。昨夜のベッドの寝入る前には普段の格好で買い物にでかけるような気軽さででかけようと思っていた。朝になり窓を開けると雲が広がり、目当ての方角は目視できなかったおかげで、眉間に皺を刻みながら戸棚からリュックを取り出し、雨具やら携帯食料やらライトやらまるで何かの避難民のような支度をして、それを担ぎ、スニーカーを靴箱に戻して登山靴に替えて靴ひもを硬く縛った。
本川が接骨医療を選んだのは、高校卒業間際の、家族も友人も誰ひとりとして自分の将来等関知しない日々の中で、何気なく書店で手にした資格の並んだ書籍に職業の詳細が書かれていて、何度か読むうちに、自身の内向的な性格や接骨医療の、所謂医者と異なり、医師の資格は必要なく柔道整復師という資格取得が比較的容易であることから、専門学校を選び、同じ書籍に掲載されていた遠い街の接骨医院で働きながら資格取得することを決めたからだった。
父親は鉄工所を経営し、本川の幼少の頃には、錆臭い工場に若い工員が数人働いていて、痩せた本川を抱き上げて巫山戯て遊んだ記憶もあったが、中学に入る頃から経営が行き詰まったようで、働く人間はいなくなり、父親ひとりで不機嫌そうに溶接の火花を散らせており、本川にしてみればこんな辛気くさい工場を継ぐなど考えられなかった。父親も、自分の明日がまず心配であり、長男の事等二の次で、跡継ぎの事等考える余裕はなかった。気の小さな母親は、父親のいうなりだった。
それでも、数年して本川が資格を取り、実家に戻って自営の接骨医院を開設したい旨を父親に告げると、老いた父親は無理をして、自宅の近くに借地して安普請の医院を長年の知り合いの業者に依頼して建設し、本川の月々の実入りから支払いを約束させ、開業を近所に知らせると年寄りが寄り付くようになっていった。
開設してから5年ほどで、仕事は安定し環境にも定着し、本川の実直を知る近くの人間が手を回し見合いを都合し、流されるままに所帯を持つに至ったが、結婚後1ヶ月で嫁は家を出ていった。表向きには性格が合わなくてと、あまり話さない母親が方々へ説明したが、本川は結婚ということがわからないまま女と同居し、女という生き物がわからないまま、女は他人のままぷいと拗ねて出て行ったにすぎないと感じていた。夕食では何も話さない。夜は歯磨きと同じなのよ。終わると背を向けて先に眠る。と出て行った嫁は外で殊更大袈裟に話を膨らませ、私は被害にあったと吹聴したが、その噂を聞いてもそのとおりだと本川は気にしなかった。
中学の頃は絵を描くのが好きで美術部に入り、友人と油絵を楽しんだが、絵を描いても飯を喰っていける筈がないと子供の頭で早々に諦め、高校は柔道部に入って身体を鍛えることに専心した。接骨医療は、肉体労働なのでこの頃に作った身体のお陰で仕事にへこたれずにすんだが、一人で遣繰りするのはどこか父親とやはり似ており、何か偏りが生まれ、自分の寡黙さを増長させ鏡に映る顔には絶えず不機嫌な皺が刻まれていた。気を紛らわせる必要があると、近くの山に登る事をはじめたのだった。
湖畔に辿り着いた瞳が、人影の無い散策路に沿って歩き始め時には、バスの発車時間に間に合わなくても構わないと決めていた。ものを複雑に考える事は苦手なのに、結局複雑にしてしまう自身の傾向のこれまでのあれこれが散漫に浮かんだ。大学の頃、友人からもっとオシャレに気を使いなさいと注意されて、そんな身分なら勿論そうしているわと答え、後になって身分とはお金のことなのだと気づき、自分の浅ましさにあきれてどうしたらいいかしらと電話を返すと、男と付き合いなさいと突き放された。友人が遠ざかってから、自分は同性から男の振りをしているように見えるのだと、自分の肉体がまな板の上の食材のように感じられるようになり、洗面所で何度も吐いていた。吐くものがなくなってから、この生々しい身体と付き合うほかはないと決めたけれども、あの時の嘔吐感は消えたわけではなかった。
霧が薄くなりはじめ、新緑の樹々の姿が根元より広がりだすと、湖の姿は以前来た時とはまるで違った風に見えるのだった。水面に残った霧が水平に流れ出し、弱く風が流れ始めていた。霧の中では音も消えるのだろうか、いきなり小動物の鳴き声が幾つか高く響き、体感が変わり、重怠い想念も吹き流されるような気がした。
バッグを足下に放り、膝を折って太腿と踵で尻を支えて座り、上空に小さく穴があき、そこから青空がのぞくのを眺めると、これまで白黒の世界を迷っていたような気がした。
ふいに、煙草の煙の香りが漂ってきた。振り向くと湖畔のすぐ近くにあるベンチに座っている男がおり、男は無表情に頭を下げた。
本川は山に入ると何も考えなかった。何も考える必要がなかった。ただ耳を澄まし、呼吸を整えながら歩けば、自分の身体の様々な音が、樹々と人気無い大気の空間で際立ち、蠢いているこれこそが自分なのだと、後頭部が麻痺したようになって、時々内蔵の動きまでもが感じられるのだった。
連休ではなかったから日帰りの短い山登りと決めて、痩せた足で背を曲げながら父親に連れられて小学校高学年の時一度登山したことのある山だった。登り口の社までヒールでお参りにくるほどに気楽な山だが、季節柄か、登山口には足跡があまり見えなかった。