中学を出る頃から母親の私を見る眼差しが変わった。
気にしないようにつとめていられたのは、父親のいつまでもかわらない緩くやさしい視線が、帰宅の遅い父親の仕事のせいもあって、こちらにまとわりつかなかったからだと思っている。
通学の電車の中の香りのキツいコロンの男達の、地獄からもどってきたような目つきが、母親の中に見え隠れするようになり、こちらも食卓から逃げるように過ごすようになっていった。同じ頃から同性の友人達が母親と重なり、身重な女の蔑みのような眼差しを受けて、独りで部屋に籠るようになった。
この身体は見られる為に在るんだと開き直って化粧を覚え、鏡に向かうと、お酒に酔ったような投げやりな心地が大きくなって、勤め始めてからは、母親の瞳の中に宿ったものが、こちらの眼差しにも在ると実感することも何度かあった。草臥れていくことが成熟なんだと何度も諦める度に、無駄な脂肪も増えた。
仕事の関係で外に出た街角で仰いだ陽射しが眩しくて、暗がりの路地へ駆け込んで座り込み、暫く両手で顔を隠すようにして呼吸を止め、私の見える頭は、見られるこの身体のものじゃない。どうしてこんなにも違うのだろうと繰り返して呟きながら、嘔吐して下から小水を漏らしていた。バッグから取り出したハンカチで口を拭い路地の奥を見やると、小さな子どもが1人いて、ふいに足元の小石を拾ってこちらに投げるのだった。瞼の上にごつんと当たった。子どもは下品な家畜を眺めるような怒気を含んだ顔つきで睨み、きびすを返して走り去った。濡れた下着を脱ぎ、大きく息を吸ってコンパクトミラーで額を見ると、少し裂けて血が流れている。私は立ち上がり、数日前に結婚を申し込まれた同僚の男の、草臥れた背広を憶い出し、彼と一緒になろうと決めていた。