まだ闇を混ぜ砕く粒音が頭蓋を震わせる墨中景薄ぼんやりと揺れて誘う白帯の儚さの黒々とした砂浜の泡筋まで千鳥足でひき寄せられて膝までを崩し落とすとまずは腰から下の夥しい数の裂けた傷が潮で溶かされて皮膚の下を染めるように広がる徒な肉を直に逆撫でる悪意というより獰猛毒に似た痛みに奥歯に音を立て胃袋からの呻きの塊を宛ら折れた歯を吹き出すかに辺り構わずぼろぼろ零す。だがこの時、男の面縦横の目にみえないもので縛り続けられていた険しい張りつめた表情から緊迫がすっと消え、内側の肉の膨らんだ弛緩の顔へ変貌する脱力を借り尾骶骨を垂直に支えていた上からの綱を自ら唐突に断ち切る行成りさでぺたんと骨を崩して座し、終焉か始まりかわからないまま闇雲に目指した場所に到頭膝を折り畳んだ。辛うじて砂へ突き立てた両腕の骨に走破の残精の重さを軀を震わせながら預け背肉が緩く微動する弓曲の姿勢でやや上目遣いの眉を曲げ辺りの様子は見えるわけではなかったが男の走りの中で数多繰り返された広がりの理解は、此処の濃密に充満する介錯の気配が近寄る香りと巨大人の小水の異様を放つ泡波に撫でられる膝小僧と待ち構えていたかの身を渦状に巡る重く振動する音場自体に在った。見上げても天が定かではないのは海辺にぽつねん生々しい山ノ肉を黒烟が覆っているからだったがこの墨は自らの血肉毛穴から垂れ流しの気配の足で森の戒めやらを引き連れてきているからだと弁えた男は山ノ肉が潮に融ける時を待つように瞼を閉じる。光など必要ではなかった。 » Read the rest of this entry «
反閇の鎬
8月 25th, 2013 § 反閇の鎬 はコメントを受け付けていません § permalink
流涙
5月 12th, 2013 § 流涙 はコメントを受け付けていません § permalink
長いソファの両端に女は膝に両手を置いたまま背筋を伸ばし微動だにせずため息を堪えて唇を結び辛うじて小鼻だけ動かして呼気を吐きかんばせに薄く浮かんで現れるさまざまな表情を睫毛に指先で触れて無人の脱衣場で下着を脱ぐ幼気を真似るでもなく記憶を流して下に落とし男は半身を崩し左手で頤を支え俯き時折頚を埋めた肩をぶるっとひとつふたつ震わせ深海の遠吠えのような低い嗚咽を隠さずふたりの男女がその周囲の吸い込まれ吐かれる大気を二度と吸い込むことのできない重金属へ変成する鋳型となった軀で累々と涙を流している。窓の外の冬の陽光は朧な白い霞に遮られ時の速度が愚鈍に遅延するかに涙と光を鈍く混じり合わせいつまでも同じ事が繰り返されることを望むような色合いで彼らを支えふたりは傍らの存在を充分に涙の輪郭に感じ取りながらも男は濃度の増す血流の混濁の外へ女は氷原の白い植物のような寡黙さの上空へ飛翔したいと生存の指向を低いところから上目遣いで位置させつつ差異を尚一層強調して孤立する涙それ自体の示す自己を只管にそして白地に裏返った現実のリスクとして互いの涙流が決して交わらない確信の証となって流れ出るのだと得心する変成鉱物宛ら煌めく濡瞳をまずは重く成熟させるのだった。 » Read the rest of this entry «
黒土
2月 21st, 2013 § 黒土 はコメントを受け付けていません § permalink
去年よりも季節が早く到来したのか自分の軀がいよいよ老いたのかそのどちらも正しいとひとりごちて家の外の蛇口を使い菜を冷水で洗うのは鮮度を保つことに加えて茎の集まる菜の根あたりの土の残りを目で確かめ丁寧に洗い流す必要があり年々骨張ってきた手首を赤く腫らしてもこれができなくなったら仕舞いだわ今度は口には出さなかったが夫やお菜漬けを呑気に待つ親族の美味しいと悦ぶ顔を浮かべ赤く腫れた指先を擦り合わせて口元からふうと息で温めつつ樽に研かれたように青々と輝いた菜を積み上げ自分の息災が今ここに見えていると和子は思った。 » Read the rest of this entry «
謬愛の地
10月 21st, 2012 § 謬愛の地 はコメントを受け付けていません § permalink
牛蒡の根を銜え横腹の痛みを堪える男は二つ谷向こうに下った山崖に手のひらの格好で浮く窪地の小さな集落縁に在る倹しい家に残した妻が朝方子供の頬を平手で打ったことを思いだし唾を吐き水の引いた淵跡に近づくと犬の首に紐を繋げる。束縛を厭う犬は小さく歯茎を捲り唸ったが男の手で頭を小突かれ地に尾と顎を伏す。大きな者に吹かれて流れ去った白霧が残した朝露に濡れた犬の腹を撫でた指を舐め男はまた牛蒡をしゃぶる。つま先で吸い込まれた水の形を残す地を掘れば濡れたものが見える。雪解けから初夏迄窪みに水を張る涸淵は水が地に吸い込まれてからまだ然程時が過ぎていない。 » Read the rest of this entry «
腕落ち
7月 7th, 2012 § 腕落ち はコメントを受け付けていません § permalink
遠い時間の向こうに顎を寄せ頭骨が髪の生際の皮膚を薄膜へ張りつめる耳の裏に歯をたてた覚えはある ー が名を忘れてしまっている女が恰も自らの股からぬるりと絞り出して放り ー 色の塊を叫び吐いた口元のカタチが細い顎に残され ー そして離れずに獣の一部のように蔑んでみつめる裏腹な距離を意固地に保って向こう岸のモノよ下卑た解釈を加えてから今一度自らの血肉を整えて拒絶するかの女の、ー 出来れば誰もいなくなってから隠れて持ち帰ってしまおう。それから考えるわ ー 赤い舌に強かに陰る淫猥な滴りの瞳に乾いた斜視が男の目玉に宿り、あるいは抱いた女よりも遠い記憶の陰の黒い骸の女親から無用が移り遺ったと幾度か考えたことのある面倒に似た違和ばかりの発疹のようなしきりに痒い重い瞼を、瞑ろうとも瞬きもせずにぐったりとたっぷりとそのままに立つ恣意を昂らせる気配が役者のようでもある皮肉を輪郭に微動させる男の、落ちた腕を眺めている姿は無表情を頼りにしていた。 » Read the rest of this entry «