去年よりも季節が早く到来したのか自分の軀がいよいよ老いたのかそのどちらも正しいとひとりごちて家の外の蛇口を使い菜を冷水で洗うのは鮮度を保つことに加えて茎の集まる菜の根あたりの土の残りを目で確かめ丁寧に洗い流す必要があり年々骨張ってきた手首を赤く腫らしてもこれができなくなったら仕舞いだわ今度は口には出さなかったが夫やお菜漬けを呑気に待つ親族の美味しいと悦ぶ顔を浮かべ赤く腫れた指先を擦り合わせて口元からふうと息で温めつつ樽に研かれたように青々と輝いた菜を積み上げ自分の息災が今ここに見えていると和子は思った。堪え性の夫が痛みを声に出す前兆はあった一ヶ月前に医者嫌いの夫の調子が茎が折れるような簡単さで呆気なく崩れ軀を動かすことを厭うようになり日々の食卓で箸が止まる手元にふたりの不安が灯火のように集まる。平素から手間をかけた料理をこしらえることが当たり前だったがあの止まった箸が動くよう小さな祈りを加え不慣れな食材も俎板に乗せるようになった。年齢を重ね一線から退いた後もキャリアを使って庭やら大工など一切を人頼みにせずに自力で難なく仕上げる起用で繊細な夫の指先にこの地の土の黒い粒子が擦り込まれ風呂上がりで緩んだ皮膚の隙間にまだ残っていてもそれがむしろ頼もしいと振り返り日に日に白くなる手首の先がどこか遠い知らない者のようで和子は夕食の片付けの後独り湯槽の中に身を沈め同じように土が染み込んだ自分の指腹を撫でながら淡い哀しみを湯に広げてから明日の朝残りの菜を洗ってしまおうと立ち上がり窓を開け大袈裟に湯気が散逸する澄み切った星空を仰いで深呼吸をする。時に遅くまで晩酌を続けた夫は既に寝床に入っている。
重機で車両を引き上げた男たちのひとりが雪があったこともあるがそれよりも柔らかい土が彼を救ったと地元紙の小さな記事の中で答えた。年老いた父親は妻を亡くしてから以前に増して頑なになり嫁をとらない息子に対して無神経な小言を繰り返すことが多くなったけれどもまだ健やかな血の気の多い息子の一郎は元来楽天的な気質でこれを笑って済ます母親の遺伝子を受け継ぎ普段寛容であったが頑迷な父親は母親の寄り添いに甘やかされた我侭を頓挫成熟させてしまったと疎通できない男親を背後から黙ってみつめることがあった。まるい月の出た夕食の席で孫の顔をみることができなかった亡妻は可哀相だ早死したのはお前のせいだと唐突不意に憤怒を露わに息子へ投げつけ女気の無いこの家は絶えたと同じだ視線をTVに向けたまま続けるので息子にしてみれば珍しく机を叩き立ち上がって夜道あても無く車を走らせた。残された父親はぽかんと惚けた顔つきでTVのチャンネルを変える。一郎は父親に対して母親ほどには情愛を注がれた記憶がなかったがこれはどの家も似たようなものだ職場でも酒の席でも笑いながら頷き合ったことはありむしろ父親とふたりの暮らしを哀れむ声をそのまま自明と受け入れていたのでまさか自身が不自然であると思ったことはなかった。本来は連れ合いが宥めるように含め抱く筈の年々軀の不自由に照応する父親の本性のような癇癪を直に剥き出しにされ十代の頃の父親殺しの妄想が再び蘇る感覚が浮かび独りで部屋に移って無理矢理女を浮かべ酒を呑むことも幾度かあった。速度等出したわけではなかったが氷結したアスファルトに薄く乗った雪に速度を落としきれず滑って左へ緩く大きく曲がる国道でセンターラインを少し超えあっと声が漏れた途端対向車の大型トラックの横腹に引っかかり弾かれて右に回転し元へ戻ったと同時にエアクッションがパンと顎の前に広がりガードレールの無い左側へつんのめるようにまっすぐに落ちながら車体はひっくり返り脳天を打ちつけてから放り出された。気づくと頭の左半分が泥土の中に埋まり腰から下が車に押し潰され苦いようなざらついた土の挟まった歯茎を舌で撫でていた。
光一は公民館で酒も出される男たちの会合に欠席したことはなかったが別段楽しいと思ったこともなかった。持ち回りで長や会計などの役を一年果たす共同体の小さな区域の二十ほどの世帯の顔合わせであり祭りなど行事の準備であったり葬式や婚礼の場合もあった。嫁が田舎の暮らしに我慢ができず女自体というよりそのまだ若い親たちの子離れ出来ない悪意と愚痴にまみれて娘に注がれた囁きがむしろ破綻を促した三年間の結婚婚礼も老いた親が続けて亡くなった際もこの公民館ですべてが済まされた。父親が五十手前母親が四十すぎに生まれた一人っ子の光一は親の年齢的な育ての感覚に影響されて人生を折り返し老いていくなだらかな坂を下る足つきで十代を控えめに過ごし倹しい農家でもあったから早くからゴルフ場などでのアルバイト収入を親から喜ばれたので高卒で親が知り合いに頭を下げて牧場で働きはじめその関係で幾つかの資格をとり降りた街の酒場で女に出会って直情的に関係を結んだがこの時から結婚離婚まで女の言う成りだった。光一が公民館の庭先の手入れをはじめたのは離婚し両親が亡くなってからだが片付いた住家の手入れされた親たちの痕跡の始末を引き受けるうちに更に丹念に枝を払い整地など繰り返しその流れで会合で一言俺がここの片付けをやりますと皆の頷きを得ていた。光一の丹念は松の枝を丸く刈り込み石組の花壇に鮮やかな花を植えるようなことではなくただ単に雑草を抜き落葉を片付け余計を払うだけだったが田舎の集落にありがちなその場を凌ぐ生活のつぎはぎのような赤や青のビニールやプラスチックを片付けて無くしあるがままを丁寧に温存させる始末の持続は苔寺のような清潔を顕すようになり二年ほど過ぎた会合で普段は環境に無関心の男たちが公民館の縁側に座して酒を交わしながら透明な庭を肴にして口々に光一を褒めた。牧場の仕事も十五年が経ち農家の出稼ぎや退職後の初老の男たちへの細やかな指導が皆に好まれた。自身で行う些末な仕事道具をまずは数年そのまま使ってから経験を注ぎ改良を加え時には刃自体の形を変え鍛冶屋に発注するなどに余剰収入を使い特別な趣味も欲望も持つことなく朝早く目覚めて庭先に蹲り耳を澄まして自身の道具で雑草を抜き取り枝を払い土を耕す。
小学校の頃からはじめたピアノのレッスンが中学に入った時恥ずかしくなり朝子は街場なら平気なのにと子供の頭で何度も思った。田畑を回りに広げた集落だから家々が離れているとはいえ早朝から腰を曲げて畑仕事をしている近隣の大人たちの姿を小さく窓から眺めつつピアノを弾くアンバランスはその臆病な音にも顕れた。そもそも本人も母親もピアノで将来を見据えるつもりはなかったし母親自らの手習いを同じように娘に与えることに矛盾などなかったが朝子の躊躇いの理由まで母親は即座に嗅ぎ取り自分の育ての手法自体が蔑まれてはなるものかと意地になり毎朝夕の稽古をやめさせなかったその意固地が娘にインプラントされ羞恥自体がここに結晶化したのだと勤め先の都市から駆けつけた29歳になった朝子は胸に手をあて憶いだして振り返り、何か弾きなさいと父親に諭された葬式に嫌よとそれを断ってただ棺の花の中に横たわった母親の白い顔を長い間見つめた。農家ばかりの田舎の村の田畑にピアノの練習曲が朝夕聞こえることは子供も畑の手伝いにかりだされる共同体では意味のずれた生活が無理矢理併置されている違和感があり率先させている母親ひとりへ好奇が集中し役場勤めの父親も同僚から逆説的に揶揄われたが無頓着を装ってしか妻子を庇えなかった。けれども葬式で父と娘に近づく近隣の男も女も口々にあたしたちの村は気丈な亡き母親のおかげで毎日ピアノが聞こえたと懐かしむようなことを盛んに添えるので、驚いた顔を隠さずに朝子は思ってもいなかった種類の嗚咽に身を任せた。
ATMの前に並ぶ中年女性のでっぷりと張りつめた尻を眺めて背後に近寄り-獣を抱いた-男は女の耳元へ囁きたかったがビニールじみた化粧の香りに顔を背けた。斜面に対して垂直に掘った穴に落ちたというよりも逃げ込んだ小さな獣の額を二三度尖らせた鉄の棒で突き四肢を痙攣させ震える肉の塊を引きずり出して肛門へ陰茎を突き刺し声をあげて数分で果てた。土砂降りの中獣の歯茎から吐き垂れ湯気ののぼる白い泡が放って吹き出した自らの精とみえ俺はどんな顔をしている自身の歯茎を指でまさぐってから衝動の在処を探すことをやめ糞と黒土に塗れた性器を雨で洗うのだった。森の奥まで歩き折れた樹木を探し抱えて戻り枝を三角に集めた小屋とは云えない隙間を補強し中に座して材を削り球体をナイフひとつで時間をかけて削り出すことに意味などない。徐々に軀に力が漲るのだった。幾度か山を下り温泉宿で身体を洗い着替えバスの走る道まで歩いてから街に降り金を下ろし道具など買物をして蕎麦屋にも入ったが店の者から詮索の声が掛けられる前に同じ暖簾をくぐることをやめた。腹を下し痛みに悶え死ぬかと球体の散乱する寝床で諦めも降ったが数日後余計なものが絞り出されたような軽快さと飢えの軀で立ち上がり獣をとらえる罠をこしらえはじめた。2ヶ月が過ぎ川下の公衆便所で財布から免許証を取り出し昨日が自身の誕生日と辿り細かく切り刻み流しこの時まで気象情報などに聞き耳を立て身から離さずにいた小さなラジオもいらぬと便器の脇に置いた。街から小屋に戻るまで1日をかけて歩く。数ヶ月経過した時小屋から見下ろせる沢に小さく人の歩く姿をみつけ即座に数日掛かって枝小屋を解体し百ほどの彫り上げた球は往復して運び移動した山奥で壁や床に球体の埋め込まれた粗末な小屋を今度は丁寧に箱形にとつくりはじめる。