5月 7th, 2011 § 炎 はコメントを受け付けていません § permalink
「最近やたら眠気が早々と落ちる」
独り言のように呟いて風呂に入ると立ち上がった川本はそのまま戻ってこない。山岡は、それを気にするでもなくこの時ばかりと時間をかけて削り尖らせた枝に肉の塊を差し込み、炙って焼き上がったところへチーズをのせ坂上に渡してから、手の甲に垂れた汁を妙に赤い舌で舐めとりグラスを呷った。
炎の中で枝が小さくはじけた後、昼間は聴こえることのない、ここからは離れているはずのせせらぎの音が冷気を纏い落葉を震わせ弱く地面を這って来る。坂上は受け取った枝付き肉を持ったまま襟を立てた。十五年か。
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3月 31st, 2011 § 噂 はコメントを受け付けていません § permalink
「あんた、なんでそんなにがんばるの」
古い友人が最初に焼き鳥屋でそういったなと、篠田は憶いだした。相手は遣繰りの為、ニ年前に金を借りた遠い親戚の女性だったが、同じような口調で、
「ちょっとは自分を大事にしないさいな」
告げるようにして、向こうから電話を切った。
借りていた金をようやく全額完済した旨を報告する連絡を、出向くには仕事があって無理だから電話で済まして申し訳ないと、最初はこちらから一気に喋っていた。返済すれば何の不平等もない筈だが、借り手と貸し手というのは、その出会いによって力関係が決定し、それは以後変わらないと、相手の声の中考えるでもなく思っていた。 » Read the rest of this entry «
3月 18th, 2011 § 音の子 はコメントを受け付けていません § permalink
ようやくつま先がペダルにとどくほどの年齢の子の指先は、まだたどたどしい。幾度も途中で止まったけれども、隣で静かに見守る風な初枝は叱るでもなく、子供の肩に手を乗せ再び弾くことを促すようにゆっくりリズムを与える。少し出遅れるように少女は小さな顎をそのテンポに合わせて、左右の指先の位置を確かめるようにして、まだ拙い音の波の中へ入っていった。
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1月 16th, 2011 § 転落 はコメントを受け付けていません § permalink
日曜日の午前だったが取り付けた工作機械の稼働の様子を最初の段階で直に確認しておく必要があり、社長から申し訳ないと頭を下がられていたが、いえ休みなんて寝ているだけですからと、坂本本人も、以前の事故の責任を感じていたので、快く引き受け、若い社員には家族サービスしろと肩を叩いて、土曜の搬入も遅くまでひとりで業者に付き合い、明日もよろしく頼みますと、業者にむかって社長の真似をしていた。
昼前にはテスト稼働のチェックが終わり、工場倉庫の鍵を閉め、昼飯はこってりとしたものでも喰うかとよく晴れた空を見上げていた。この時は鮮明に覚えている。
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12月 8th, 2010 § 10年 はコメントを受け付けていません § permalink
気づけば十年なにもなかったように時間は過ぎている。
同じ場所に寝起きして、日々の繰り返しが時を支えたという安堵もどこかにある。
仕事の仲間と酒を交わしたが、交わした人間は何かに追われるように職場を後にしていった。昨日声をかけられるまで、自身が古参兵だと考えたこともなかった。
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