9月 17th, 2008 § セラピストとインフラ はコメントを受け付けていません § permalink
マジョラムはシソ科の多年草で、沈静、血圧降下作用があるのよ。
スザンヌのコテージの深いソファーに座った坂下は、漂う香りを吸い込んで頷いた。
この国では、まだセラピストは公に認知されていないけれど、民間での資格などはあるようね。リラックスなさい。
安藤がスザンヌを同伴して坂下のコテージに現れた理由は、夫を亡くしたスザンヌを癒したい他に、スザンヌがプロのセラピストで、公的機関の専属で何年も本格的なPTSD患者の対応をしてきたことを憶い出し、坂下に会わせたかったからだった。
とはいっても皆がそれぞれ初対面に近いあの夜は、既に患者を含めた二人が酔っぱらいで、この料理まだ土がついていると、皆で笑うだけの陽気なウエルカムパーティーとなり、それ以上のものではなかったが、川上が安藤を呼んだタクシーで見送り、坂下がスザンヌのコテージまで歩いて見送った帰り際、ちょっと待っててと、自分の名刺を坂下に渡し、よかったら連絡してと、診察をする旨を彼女から申し出たのだった。どうやら安藤が坂下のことを多少説明していたのだった。
坂下の英語は自信がなかったが、できるならば英語でと云われ、これまでの自分の生い立ち、家族関係などを静かにゆっくり話した。スザンヌは真直ぐに坂下の瞳を見つめて何も喋らず、時折頷きながらペンを走らせた。
オーケィ。今日はここまで。今度はいつ来れる?とドアまで坂下を誘導した。坂下は稚拙な英語力が恥ずかしかったが、スザンヌのセラピストの表情にこの時信頼を寄せていた。
坂下が帰ろうとすると、スーザンとネイティブな声が横からして体格の良い男が歩み寄り、ハグをした。スーザンから、ビル、こちら坂下さん。彼は今セラピーに来ていたの。坂下さん、こちらビル。ここからすぐのコテージのオーナーでカナダ人よと紹介してくれた。坂下は手の甲の濃い体毛に指先を絡ませるような握手をしてから二人に会釈して歩き出した。スザンヌと個人的な用事がありそうなビルは、メイビーネキストタイム。と手を振った。
坂下はラップトップで少しずつ仕事をはじめていた折、ADSLでは速度が足りないと、拡張回線の工事を依頼していた。オーディオの修理に来た電気店の主人が再び訪れて、今度は上田電気店取締役、上田義男と書かれた名刺を差し出した。このあたりは、湖畔を離れるとネットインフラなどまだない。携帯だって微妙です。湖畔は海外のオーナーが多いから、彼等の要望で90年代半ば頃から、ISDNを使う人が多かった。そのネットインフラ開設陳情、嘆願者が、どうやらビルだと坂下は上田から知った。
ビルは、相当なシステムをコテージにあつらえてあり、避暑地のほうが仕事ができると、こっちに来てしまった。時々帰るようだ。上田は、湖畔のほぼ全ての電気関係の工事を請け負っているようで、住民のことも詳しそうだった。坂下は新たな企画書を作成する上で、一世代前のラップトップに乗せていたアプリケーションではプログラムのテストができそうにないと判り、すぐにビルのことが浮かび、スザンヌの二回目のセラピーの後、教えてもらったビルのコテージのドアをノックした。
両手を広げたビルが現れ、坂下は腕を差し伸ばすと、いきなり両肩を抱きしめられハグされた。 苦笑しながらコテージに入ると、リビングのソファーに青年が座ってチップスを口に運んでいた。ビルはふたりを見比べるように首を回し、お前達知らないんだなと、タロウ、坂下、と紹介した。坂下は、あっ野上タロウクン?と、野菜を分けて貰いにいった際、離れのプレハブから出て行く後姿を憶い出した。
座ったまま頭を少し下げたタロウは、変わらずにチップスを口に運び、低いテーブルに置かれたモニターを眺めながら、手にはコントローラーを持って操作を続けていた。
坂下は、訪問の理由を手短に説明し、こちらのシステムは完璧と上田電気店の主人に聞いたので伺ったと、現在抱えているPCのCPUなどを加えた。ビルは、了解。とはっきりとした日本語で答え、タロウの横のソファに座れと促した。
ゲームをやっているのだろうと、タロウの見つめているモニターを眺めると、30インチほどの液晶モニターには、天気図が映し出されており、どうもそのプログラムをタロウがカスタマイズして、動きの調整を行っているようだった。口笛を鳴らして眉を曲げ、坂下は驚いた。
タロウに仕事を任せたの。スパークリングでいい?ビルは坂下の答えを待たず、明晰な日本語で栓を抜きながら目の前にペリエを置いた。日本語完璧ですね。と坂下が言うと、ボク、翻訳もするから。とビルは自分の胸をたたいて笑った。
9月 17th, 2008 § 轆轤 はコメントを受け付けていません § permalink
こりゃあ繊細だなあ。轆轤の回転を止め、普段は寡黙な本川は声を出した。その声に自分で驚いた。
ホテルのラウンジで、ヒトミの仕事の様子を聞いていると、携帯に吉本から戻ったと連絡があり、よ〜し行きましょう。つくりましょ。と立ち上がりながら、愚痴を本川さんに話す為にとっておいてよかった。と笑った。
ヒトミは叔父さんこのひと接骨師だから腕には自身があるわよ。体験コースご指導よろしく。と背を押し本川を預けて、棚に載せておいた自分の小さなテラコッタを手にとり、カワムラに模様はどうしたらいいかしらと釉薬見本をカワムラから受け取り独りで勝手に作業をはじめた。
お願いします。本川は吉本に渡された申込書に記入しながら、結納をしているような気分になった。
あたしも腰を一度やってね。座骨神経痛で一ヶ月臥せっていた。ヤツに代わりを頼めたから助かった。今度やったら治療をお願いしようかな。と挨拶代わりの台詞に本川は幾分緊張を解き、腕を捲った。
カワムラは、ヒトミの束ねた髪が一筋ほぐれて自分の腕に触れる度に、本川のほうを眺め、ヒトミがとうとう男を選んでしまったという傷心が膨らんだ。どうか付き合ってくださいなどと言うつもりは毛頭なかったが、度々叔父を尋ねる溌剌とした姪っ子として、年上だったが憧れるような気分を加えて恋をしていた。ヒトミの頼みは全て受け止めて、大皿の大作に挑んだときは、三日間休みをとって泊まり込んだヒトミと随分話したものだったが、吉本から逃げたことは言うなとグギを差された。カワムラはこれを姪には手を出すなと受け取り、そんなつもりはありません。と答えたが、仕方ないと諦めた。
吉本は、五十になる手前で会社を辞めたのは、陶芸をやろうと決めたからだった。地方都市の割と大手のデパートに大卒で入社し、県内の支店を数年ずつ回って本店に戻り、経営の企画開発をやり手の上司の下で腕を磨いたが、いうなれば隷属された飼い犬のようだといつも感じていた。催し物会場で幾度か陶芸展を行った大家の陶芸作家の家に挨拶に行く機会があり、上司は用事があるからと吉本ひとりを送り出した。盛況な展覧会をありがとうございました。次回も是非お願いいたします。と礼を言うと、北陸の作家宅から工房へ誘われて、そこで働く二人の青年に出会った。精悍な顔つきをした男性と女性は会釈をしてあれこれ教えてくれた。吉本は作家の作品の善し悪しなどひとつもわからなかったが、このふたりの青年の引き締まった修行僧のようにさわやかで凛々しい表情がいつまでも残った。
酒の席で、部長となって管理職らしい腹を気にするようになった上司に、陶芸をやってみようと、定年前に辞めようかと思っていると伝えた。ぷっとグラスに口びるをつけたまま部長は吹き出して、お前には無理だよ。諦めろよ。即座に返して笑った。
独身を貫き、付き合いのゴルフも趣味程度だったが、ひとりで回るときもあった吉本は、まだ身体には自信があった。今を逃せばあとはないと決断して、市内の割高だったマンションを値切られたが売り払い、退職金を加えて、幾分かの貯蓄を残し、湖に近いJRの駅前にアパートを借り、購入した湖畔の土地にログハウスを独りで建てながら構想を練り、清算しても残る人間関係の澱を、肉体を鍛えることで振り払おうと人が聞けば、頭のおかしい人間と思える滑稽さで、基礎のセメントから取り組んでから既に十二年が過ぎていた。
それにしても皆真っ白ですね。茶碗も皿も。
本川が問うと、最近だよ。ここ2年ほどでこうなった。それまではあれこれやってね。このあたりは目利きが多くて、五月蝿いのだわ。自分の趣味と生理を振り返って、そこのカワムラの意見も素直に聞く事にしてこうした。すると評判が良くなってね。
あら、最近流行なのよ。こういうシンプルなもの。叔父さん知ってて戦略だと思っていたわ。新たな塊を練り始めたヒトミが、会話に入り込むと、俺はこのスタイルをもう変えないと思う。吉本は下を向いたままやや頑固さを秘めた口調で答えた。
長石釉で白くする。志野焼で有名です。とやや尖った自分の口調を押さえるように吉本は加えた。
飯盛り碗を整形し終えた本川は、う〜んと腰を伸ばし、わたしがどこかの接骨師に整体治療してもらうというのはなんかおかしいですかね。唐突に言った感想が皆に受けて、皆がどっと笑った。カワムラも、この人ならヒトミさんを大事にしてくれそうだと目を細めた。
また来ますのでよろしくご指導ください。本川は独りでも来たいと思った。これからシーズンなので、仕込みが大変でね。憂鬱ですよ。と笑う吉本は、引き締まった腕を差し出し、本川の手を力強く握った。叔父さんたまには母の料理をまた食べにきてね。ヒトミは、叔父に本川を認めてもらった誇らしさを隠さず、先に車に走り込んだ。吉本は、ああいうヤツですがよろしく頼みます。とヒトミに気づかれないように小さく頭を下げた。片付けをするカワムラも顎をあげ、本川をみやって同じように頭を下げた。
9月 17th, 2008 § 斥力 はコメントを受け付けていません § permalink
シベリウスですかぁ。斧を振り下ろした坂下に向けて手をあげた川上が声をかけた。
この小屋はまさか薪で風呂を焚かれているんですかぁ。いかにも自分に会いに来た様子だったので、坂下は首に巻いたタオルで汗を拭ってから斧を置き、どうぞとコテージの中へ川上を迎え入れた。
入り口の脇に置かれた土にまみれた野菜の山を見つけて腰を曲げた川上に、坂下は、野上自然農園で譲ってもらいました。勿論お金は支払いました。と説明して、簡素なソファーに座るよう促した。
わたしはビールにしますが、どうします。珈琲もあります。と坂下がベックスに既に口をつけ一口飲み干したのを川上は眺めて、じゃあビールいただきま〜す。と無邪気な声を出した。
坂下のコテージには、川上の指摘した通り、シベリウスが流れており、それもかなり良い音響であったので、部屋に入った川上は、突っ込むことも忘れて、感心したようにビールに手を出した。
ジャズも聴きますが、湖の音やこの土地の空気はクラシックが相性が良いようです。二本目のベックスを川上の前に置いてから、オーディオ機器の前迄歩きボリュームを絞って戻り、で、どんな御用です。先日のイベントサポートのことかな。と坂下は座った。
月に二回の隔月曜日は博物館は休館日で今日がその日であること。実は安藤ミツコも坂下に断り無く此処へ誘った。夕方迄ニースで仕事だから、あと一時間ほどで来ると思う。思った程この辺りには有能な青年が少なくて、皆ほとんどが海側か内陸の地方都市で働いている。自分もあなたも安藤も、青年というほど若くないが、青年は他にも数名いる。湖の商工会と町の観光課の人間から、観光活性化イベントを是非盛大に行いたいが、アイディアがないので、頭を捻るよう頼まれている。初対面に近い坂下にこんなことを頼むのもなんだが、安藤ミツコの間違いを正したいので、協力してもらいたい。と続けると、ビールは丁度二本空になった。
坂下は何も答えずに立ち上がり、キチンの冷蔵庫へ歩き、ベックスを両手に4本抱いて戻り、どうぞ。と川上の前に二本置いてから、あっ車でしたか。タクシーで帰ってくださいね。車のイグニッションキーと交換ですよ。というと、川上はポケットからキーを取り出してテーブルの上に置いた。
最後の安藤サンの間違いを正すというのが、一番気になるなあ。と坂下は明るい声を出して、でも、正したいというのは我侭な響きがある。あなたの個人的な欲望であって公私混同ではないですか。と続けた。
あなたは率直な方だ。安藤ミツコには三度振られています。三度というのが凄いでしょ。
間違いというのを、なんとなく想定することはできるけれども、異人の私が、彼女の断りもなく知る事はいけないと思うな。気分的にも。無論、いきなり、それはいけないよとモノを申す立場に私はいないよ。と坂下はきっぱりと答えた。
川上は三本目を少しずつ呷りつつ、暫く考えるような仕草をしてから、了解しました。確かに我々まだ知り合ったばかりです。こういう場所にいると、会話のできる人間が少なくて。日常会話のことではないです。なんといえばいいかな。常套句を使わずに核心を的確に共有するとでもいったら大袈裟かなぁ。
核心ってそんなもの誰にとっての何ですか?常套句というのは、実によくできた言語だと思いますよ。
あなたちょっと仕事できるでしょう。でもストレスで落ち込んだ。その理由は女なの?
ベックスを煽る毎に、二人とも相手の揚げ足をとるような口ぶりになり、坂下ははっと彼のペースに巻き込まれるな。と戒めた。
安藤ミツコが今晩わとドアをノックした時は、外には夕闇が訪れており、川上は小さな杯の熱燗を唇を尖らせて吸い込み、猫舌なんだよねと安藤へ手を振った。坂下はフライパンで酒の肴を作っており、川上さんドアを開けてと、キチンからいらっしゃいと迎えた。
安藤の後ろにはもう一人女性が立っていて、手にはワインをぶら下げていた。あら〜スザンヌさん。と川上は立ち上がり、ドアを左手で押さえて迎えた。坂下は、濡れた手を拭きながらキチンよりドア迄歩みより、はじめまして坂下ですとスザンヌに手を伸ばした。
閉店間際にスザンヌが来て、夕食に誘われたんだけど、大勢のほうが楽しいかなって。坂下さんごめんなさいね。
スザンヌです。少々日本語喋ります。コンバンワ。ミツコは友だち。川上サン知ってます。
9月 17th, 2008 § スザンヌ はコメントを受け付けていません § permalink
ロバートがスザンヌの肩を抱く写真を手に取り、亡き夫の口髭あたりを指先で辿った。
飛行機に乗る前に、息子家族から今年は先に決まったスケジュールがあって来れない。ママが一人で行く事はないよ。と連絡があったが、スザンヌは秋迄滞在する事を決めた。最愛の夫が病死して二年過ぎて、はっと大切なことを忘れていたと憶い出して、飛行機チケットを購入した。随分久しぶりのような気がした。
年の離れた夫のロバートは、結婚してすぐに父親から譲られた異国の別荘に毎年欠かさず妻を連れて避暑滞在し、異国の文化を母国と同じように愛した。地元の人々からも愛された。溺れる子供を救助した時の表彰状が、コテージに飾られてある。
スザンヌにとって、この湖は、他のどこよりも夫との濃密な記憶の広がる特別な場所だった。
管理スタッフと一緒にコテージの窓を開け放った初日には、ロバートの教え子のミツコが顔を出し、スザンヌを抱きしめて、ロバートは残念でした。と泣いてくれた。
久しぶりの避暑地の知り合いを回って挨拶をして、最後にロバートとふたりで夢中になった吉本の工房に寄ると、カワムラが笑顔で迎えてから、ソーリーとロバートを偲んでくれた。
ロバートとスザンヌに、私たちも素人なんですよと、吉本とカワムラが陶芸をゼロから教えた。スザンヌはコテージの食卓をすべて自作のセラミックにしたいとロバートと誓い合うほど、セラミックアトリエに通った。工房の隅に隠していたカワムラのセラミックを、スザンヌはいたく気に入り、初めて購入したのは、セラミックアトリエの商品としての器ではなく、カワムラのセラミックの板だった。カワムラは、酷く照れて何度も断ったが、スザンヌが競り勝った。ライト家の夕食に呼ばれた吉本は、カワムラの板の上に盛られたローストビーフに驚き、以降カワムラを真似た板皿を数枚捻ったが、これはカワムラのオリジナルだよと、ロバートに諭されてからは、そうだなと頷き、自分は生活の飯盛り茶碗、湯のみ、お銚子だけにすると決めたのだった。カワムラは、ライト夫妻の博識を敬愛し、何冊も書籍を借りるのが楽しみだった。
汚さぬよう気をつけて丁寧に一ページづつ捲るのが、カワムラの休日の過ごし方だった。セラミックアトリエを開いて四年目の吉本に雇われて、二年後には、ボーナスだと、まとまった金と湖畔迄歩いて30分はかかるアパートの鍵を渡され、貯蓄も少しずつ増えたが、カワムラには逃走の怯えが消えずに、休みの日も、どこかへ出かけるなど考えなかった。ロバートが亡くなる前の年の夏にロバート・ライトに誘われて、二人で釣り糸を湖に垂らしていると、ロバートは不意に英語で喋りはじめた。カワムラは彼が何を言っているのかさっぱりわからなかったが、繰り返されるユアギルトという部分だけ記憶していた。ロバートは途中で両手を前に放り出して喋るのをやめたが、独りの部屋に戻り辞書を開いて調べると、どうやら「お前の罪悪感」という意味であることを知り、翌朝早くまだ眠っていた吉本を起こし、なぜロバートは私のことを知っているかと詰め寄った。吉本は、落ち着いて最初から話せとカワムラを座らせ、不安そうに話が前後するカワムラの言葉を確かめると、珈琲を入れて後でスザンヌに確かめるから心配するなと肩をたたいた。吉本はロバートが地方検事を勤めたやり手の正義感であることと、スザンヌがFBIやNSAのスタッフに特化したセラピストであることも承知していたので、おそらくロバートはカワムラが身体から滲ませる後ろめたさから何かを感じ取ったのだろうと、できればスザンヌに心理療法での治療を頼もうと考えた。
スザンヌはロバートと同じ印象をカワムラに抱いていた。真直ぐな青年なのに覇気がない。彼には何か絶えず苦しみがあり、それを押し殺すように抱いている。ロバートはカワムラのセラミックはピュアで人間性に溢れているのに、と英語で付け加えた。吉本は不安そうに俯いて座るカワムラにそのままを通訳し、目を見開いてライト夫妻を見上げたカワムラをそのまま手で抑制させ、スザンヌに治療をお願いできないかと、カワムラから聞いた全てを話したのだった。
話を聴き終えたロバートは、頭を何度も頷かせながらカワムラに近づき、頬を大きな手のひらで包み。オケィオラィトとゆっくりと呟いた。カワムラはどうしてかわからないまま涙がこぼれた。
週に一度は必ず工房に制作に来るライト夫妻は、その度にカワムラを連れてコテージに戻り、通訳を吉本を指名しとにかく本人にこれまでを語らせることが大切よ。あなたもこの機会に英語を勉強しなさいと微笑んだ。
スザンヌは二年ぶりにこの湖畔を、ロバートが此処を愛した理由を再び確かめるように、道沿いの樹木に手を触れ、水際の小石を拾い、草むらの中へ手を差し込みながら歩いた。今年は歩く時間が増えるわと思った。朝と昼と晩と歩こうと思っていた。
ロバートと最期に過ごした夏に、セラミックアトリエのカワムラという青年の告白を受け止めて、スザンヌは、彼はこの国に蔓延する病の象徴なのだと理解した。端的に言えばエゴの喪失であり、自己という感受が備えられないまま大人になった。ロバートは、自分の父親は、原爆開発に携わった祖父から償いの意味で日本へ行きなさいと言われてこの避暑地を買ったのだと、若い頃説明されたとスザンヌに話した。私は単なる親日家だが、祖父は殺戮に加担している。祖父は他人ではないから、遺伝子に生きているから、私の行為ひとつひとつに償いの意味は込められる。それはわたしにとっても嬉しいことだよ。夜の湖畔を腕を組んで歩きながら、ロバートは深い瞼を潤ませた。
スザンヌのセラピーにより、カワムラには愛の欠落が認められた。身体の中に愛を収めるべき場所が用意されているのに、そこがぽっかり空洞になっている。もしかすると、この用意されていること自体を教えられていないのか、と吉本に尋ねると、吉本は、我々この国の人間は皆同じかもしれないと答えた。
スザンヌとロバートは、この空洞に愛を置く事ができるが、育む努力を怠るとこれが朽ちていき、弊害を与えるのだと説明した。育み方はいたって簡単で絶えずその愛に向かって言葉を紡ぐのだ。吉本は黙り込んでから、カワムラに通訳した。
するとカワムラは、父親には感謝している。母親が亡くなり私を運転席に乗せてトラックを運転して仕事をしたことも記憶にある。ただ父親は両親とうまくいってなかった。私を預けてから、尚更よくなくなったようだ。祖父母は溺愛してくれたが、思春期の私はそれを突き放すところがあった。微力な老人ふたりを前にして暴れたこともあった。一度だけ、父はお前は母親に似過ぎていると車の中で呟いたことがあった。
父親が所帯を持って再婚し、子供ができたと電話口で聞いたとき、この世に存在しない母親に似ている俺が、父親と二度と会う訳にはいかないと悟った。
陸自での不祥事というのは、強姦傷害事件で、これはもみ消され表沙汰にならなかった。その事件の主犯の人間を皆が知っていたが、組織の上の血縁者ということで、事故として扱われ、被害者の女性もは金を握らされて任意辞職を促された。私は冬山訓練時の夕食の後、犯人の男を呼び出すと、仲間を二人連れて現れた。私は負ける気はしなかった。三人とも徹底的に殴り倒し、おそらく主犯の男の両手首を折った。気づくとこちらも身体中に傷を負っており、そのまま雪の中へ逃げた。もう戻れないと考えて、山の中穴を掘り中でこのまま死んでもいいと考えた。
主犯の男は、入隊した時から事件の起きる時迄、親友だった。と一気に言葉を紡いだ。
スザンヌは、カワムラに向かって、あなたは三回同じ事を繰り返すことになってしまった。それは、大切なものの喪失よ。ママ、パパ、ベストフレンド。そしてその原因はすべて自分だと勘違いしている。これは私たち人間にとってとても堪えることなの。避けようがなかったことかもしれない。でも、あなたは今、吉本という良き師に出会い、他にも友人がすでに居る筈だわ。共に新しく育まれ共に愛し愛されている。この今の愛を失わない為に生きれば、過去の喪失は癒されるわ。隠し事をせずに話したい事があったらいつでも話すことよ。英語も話せるようになってちょうだい。ロバートもそれを望んでいる。と最期には微笑んだ。
9月 16th, 2008 § 農園 はコメントを受け付けていません § permalink
病んだ子を連れて、とんでもないところに来てしまった。家を建ててしまった。慣れない肉体労働でストンと死んでしまったよう背を向けて横たわる夫を、房子は上掛けを腰迄下ろし半身を起こして見つめた。幾度となく繰り返す深夜の溜息が今夜も漏れた。狭いベッドから立ち上がり窓際迄進んでカーテンを指で寄せると、夜なのに湖面がみえた。先が見えないわ。あなた、私はもう少し気が振れたままでいるわ。と清明な目つきで夫を見下ろした。
野上誠一は、地方都市の代理店を勤めあげるつもりで、人の嫌がる痛がる仕事を率先して引き受け、景気の落ち込んだ時も、社長を励まして乗り切った。先導するリーダーとしての資質ではなかったが、ほうぼうに客を増やし仕事先の評判も悪くなかった。御陰で家を振り返らずに仕事に疾走し、呑めない酒の席にも必ず座り、人の言う事を全て頷いて聞いた。すると、四十半ばで中学生の息子が不登校となり、伴って家を守る妻が錯乱した。息子は妻任せだったし、子供の言うなりの妻は、髭の生え始めた息子が怖くなった。などと夜中に叫んだ。最初はどこにでもあることだと高を括っていた。加えて、馴染みの仕事先で、唐突に、上目遣いでご家族はいかがですか。大変ですね。と声をかけられた。同じことが他でも繰り返され、首を傾げて腰をあげ、会社には黙って興信所に依頼して調べると、信頼していた若い部下の一人がリークしていたことがわかり、詰め寄ってなぜだと糾すと、あんたはセコいんですよ。安い仕事ばかり真剣でさ。やめてくれればいいなってね。と何事もなかったようなつるっとした顔で言われた。
幾度かその部下の斬新な提案を、会議で斥けた記憶はあったが、あまりに子供じみた復讐にあきれかえり、同時に会社のために生きる事をやめようと決めたのだった。あのひとは気の振れた家族がいるんですよ。その原因は本人でしょうね。といった風説は、辞職願いを出した後も、別の方角から、あの人はどこかいい加減だったという修正評価が添えられて届いた。会社には一切を説明しなかった。私物を片付けて、このときはすっかり家族の為に引っ越すことにしたと吐露し同僚に頭をさげ、裏切られた若者をみると薄笑いを浮かべていた。野上は、世の中には絵に描いたような「悪意」というのはあるのだな。と妙なことに感心した。若者には恨みなど感じなかった。
家族は、主人の説明を気の振れたまま受け取ったと誠一は考えていた。兎に角、この妻とこの息子はなんとか守らないといけない。所帯を持って五年程で手にした宅地と家はまだローンが残っていたが、売り払って清算し、少ない退職金で辺鄙な荒れ地を格安で譲ってもらい仕事の顧客だった小さな建設会社に無理を云って安普請平屋を一ヶ月で建てた。建設会社に雇ってくれと懇願したが断られ、ほうぼうを足を膨らませて歩き仕事を探し、牧場で事務と放牧牛の管理の仕事を契約でなんとか決めて、食事の足しにしようと土地を耕し野菜を植えた。最初の冬に大雪が降り、小さな弱い平屋は屋根が凹んだ。屋根の傾斜が、この土地では通用しないと、助けにきてくれた近所の商工会の人間が教えてくれた。誠一は誰にも相談せずに独りで決めた。春になって屋根の修理をしながら、自分の欠点は独りで決めることだとすとんと判った。
一人息子のタロウの、最初の不登校の理由は単なる頭痛だった。だが頭痛は繰り返し襲った。朝は特に酷かった。頭痛を訴えても家族も学校も具体的な対応をしないことが意志的な不登校を加速させたのだった。母親は、学校にいかないなんておかしい。人様に顔向けできないなどと気が振れた。夜逃げかよとタロウが呟いた引越しの後も、房子は隙があれば誠一の肩を鉛筆で刺した。誠一は黙って堪えた。タロウはそれをドアの隙間から眺め、両親は他人だと強く思うようになり、率先して何かを相談することなどなくなった。父親も、何かを話そうとしなかった。家族が頑に閉じて、けれど寄り添っているように、外からは見えた。貧相な平屋を時間をかけて手入れして、書面上転校した中学には、ひとつ繰り下げて同級生が進学を考える時、2学年の教室に通いはじめた。庭の農園の野菜の種類も一時は増えたが、タロウが家に居ない時間房子は農園にかかりきりになり、誠一が牧場で貰ってきた犬に、ジロと房子は名前をつけて可愛がるようになって、ある夜、静かな食卓で、あたし、今までどうしていたのかしら。と呟いた。誠一は食べるのをやめ、溢れ出る涙を隠さずに拭った。タロウは高校へ行くよと加えた。
近所付き合いも始めた房子は、無農薬というのが良いらしいと一人で決めて、誠一に沢山の専門書を購入させ、誠一も、嫌な所を真似るものだと、然し妻の決心を許して興味を持った。タロウが大学には行かないと、再びゲームオタクになり、高校を卒業した時には、誠一はそうか、好きにしろとだけ言って、逞しく健全になった房子とふたりで無農薬農園づくりに夢中になった。通りかかった湖畔のホテルのシェフが、野上家の素人にしては大袈裟な農園を覗きこみ、幾度か立ち話をするようになり、翌年の春には、無農薬野菜数種類をホテルと契約した。タロウは、二十歳を過ぎ、自分で探したアルバイトを繰り返すようになったが、小金が溜まると、誠一に離れを造ってほしいと申し出て、プレハブの自分の部屋を建てさせた。同時に食卓にタロウはあまり顔を出さずに、改造したプレハブの中で、コンビニの弁当で夕食を済ませるようになった。
野上農園の野菜はホテルの客にも評判が良く、シェフの紹介で他の店にとも契約することになり、屋根の潰れた平屋も寒冷地に完全対応する改築を少しずつ繰り返し、菜園も車で通う場所に新しい農地を借りて拡張し、収穫時にはアルバイトを頼むチラシを駅前に置くようになった。房子は誠一よりも無農薬野菜の持続経営に熱心で、農園の監督を妻に任せた分、息子が気がかりとなりはじめ、たまに二人で海沿いへ釣りに出かけるようになった。どうこうしろと諭すことなどなかったが、隣に息子が黙って釣り糸を垂らしているだけで、過去がやわらかく変容し、安心できた。