轆轤

9月 17th, 2008 轆轤 はコメントを受け付けていません

こりゃあ繊細だなあ。轆轤の回転を止め、普段は寡黙な本川は声を出した。その声に自分で驚いた。

ホテルのラウンジで、ヒトミの仕事の様子を聞いていると、携帯に吉本から戻ったと連絡があり、よ〜し行きましょう。つくりましょ。と立ち上がりながら、愚痴を本川さんに話す為にとっておいてよかった。と笑った。
ヒトミは叔父さんこのひと接骨師だから腕には自身があるわよ。体験コースご指導よろしく。と背を押し本川を預けて、棚に載せておいた自分の小さなテラコッタを手にとり、カワムラに模様はどうしたらいいかしらと釉薬見本をカワムラから受け取り独りで勝手に作業をはじめた。
お願いします。本川は吉本に渡された申込書に記入しながら、結納をしているような気分になった。
あたしも腰を一度やってね。座骨神経痛で一ヶ月臥せっていた。ヤツに代わりを頼めたから助かった。今度やったら治療をお願いしようかな。と挨拶代わりの台詞に本川は幾分緊張を解き、腕を捲った。

カワムラは、ヒトミの束ねた髪が一筋ほぐれて自分の腕に触れる度に、本川のほうを眺め、ヒトミがとうとう男を選んでしまったという傷心が膨らんだ。どうか付き合ってくださいなどと言うつもりは毛頭なかったが、度々叔父を尋ねる溌剌とした姪っ子として、年上だったが憧れるような気分を加えて恋をしていた。ヒトミの頼みは全て受け止めて、大皿の大作に挑んだときは、三日間休みをとって泊まり込んだヒトミと随分話したものだったが、吉本から逃げたことは言うなとグギを差された。カワムラはこれを姪には手を出すなと受け取り、そんなつもりはありません。と答えたが、仕方ないと諦めた。

吉本は、五十になる手前で会社を辞めたのは、陶芸をやろうと決めたからだった。地方都市の割と大手のデパートに大卒で入社し、県内の支店を数年ずつ回って本店に戻り、経営の企画開発をやり手の上司の下で腕を磨いたが、いうなれば隷属された飼い犬のようだといつも感じていた。催し物会場で幾度か陶芸展を行った大家の陶芸作家の家に挨拶に行く機会があり、上司は用事があるからと吉本ひとりを送り出した。盛況な展覧会をありがとうございました。次回も是非お願いいたします。と礼を言うと、北陸の作家宅から工房へ誘われて、そこで働く二人の青年に出会った。精悍な顔つきをした男性と女性は会釈をしてあれこれ教えてくれた。吉本は作家の作品の善し悪しなどひとつもわからなかったが、このふたりの青年の引き締まった修行僧のようにさわやかで凛々しい表情がいつまでも残った。
酒の席で、部長となって管理職らしい腹を気にするようになった上司に、陶芸をやってみようと、定年前に辞めようかと思っていると伝えた。ぷっとグラスに口びるをつけたまま部長は吹き出して、お前には無理だよ。諦めろよ。即座に返して笑った。
独身を貫き、付き合いのゴルフも趣味程度だったが、ひとりで回るときもあった吉本は、まだ身体には自信があった。今を逃せばあとはないと決断して、市内の割高だったマンションを値切られたが売り払い、退職金を加えて、幾分かの貯蓄を残し、湖に近いJRの駅前にアパートを借り、購入した湖畔の土地にログハウスを独りで建てながら構想を練り、清算しても残る人間関係の澱を、肉体を鍛えることで振り払おうと人が聞けば、頭のおかしい人間と思える滑稽さで、基礎のセメントから取り組んでから既に十二年が過ぎていた。

それにしても皆真っ白ですね。茶碗も皿も。
本川が問うと、最近だよ。ここ2年ほどでこうなった。それまではあれこれやってね。このあたりは目利きが多くて、五月蝿いのだわ。自分の趣味と生理を振り返って、そこのカワムラの意見も素直に聞く事にしてこうした。すると評判が良くなってね。
あら、最近流行なのよ。こういうシンプルなもの。叔父さん知ってて戦略だと思っていたわ。新たな塊を練り始めたヒトミが、会話に入り込むと、俺はこのスタイルをもう変えないと思う。吉本は下を向いたままやや頑固さを秘めた口調で答えた。
長石釉で白くする。志野焼で有名です。とやや尖った自分の口調を押さえるように吉本は加えた。
飯盛り碗を整形し終えた本川は、う〜んと腰を伸ばし、わたしがどこかの接骨師に整体治療してもらうというのはなんかおかしいですかね。唐突に言った感想が皆に受けて、皆がどっと笑った。カワムラも、この人ならヒトミさんを大事にしてくれそうだと目を細めた。

また来ますのでよろしくご指導ください。本川は独りでも来たいと思った。これからシーズンなので、仕込みが大変でね。憂鬱ですよ。と笑う吉本は、引き締まった腕を差し出し、本川の手を力強く握った。叔父さんたまには母の料理をまた食べにきてね。ヒトミは、叔父に本川を認めてもらった誇らしさを隠さず、先に車に走り込んだ。吉本は、ああいうヤツですがよろしく頼みます。とヒトミに気づかれないように小さく頭を下げた。片付けをするカワムラも顎をあげ、本川をみやって同じように頭を下げた。

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