7月 23rd, 2009 § 喧嘩 はコメントを受け付けていません § permalink
腰まで流れに入り長い竿を垂らしていた釣り人が振り返り、岸辺に集まってきた。近くの橋を渡る人間も柵に凭れて並んで眺めている。中には下校途中の子どもたちもいた。一樹の新しいスニーカーを見て大山は、紐は中に入れておいたほうがいいと足下に座って手を出し、俯いたまま石ころのある所は避けろ。走りゃ相手は追いかける。
紺色の体育の時間に着るジャージという軽装で、他は何も携帯していない。各自ポケットから包帯を取り出して河原に座り手首に巻き始めた。佐藤が巻き方がわからないというので、大山が皆に向けて俺のを見てろと自分の左手を巻き始めた。柴田、青山とバンテージを巻き終え、ポケットから紙切れを取り出して大山に差し出した。大山は、青山に向かって、視力は書かなくてもいいんだよと皆を笑わせた。
大山は経験があり年上であったから、何かと皆の世話を焼く立場に回った。黄色のジャージの中牟田の連中も姿を現し、一樹達の近くに来て同じように、バンテージを巻き始めた。大山は皆から預かった紙切れを持って、中牟田の安藤の元へ近寄り、互いの紙切れを眺めながらこれとこれかと小さく囁き合った。紙には身長と体重と名前が記入してあり、同じような体格を並べ相手を決めた。
一樹は、中牟田の連中は思っていたほどではないなと、痩せて手足ばかり長い自分たちを棚にあげて、足首や手首を回し、軽く跳んでストレッチをはじめた。大山が組み合わせを読み上げ、一樹は二番目に中牟田の桜井と殴り合うことになった。
「さあ、始めるけど、決まりは守る。昔、全員で乱闘になって警察の世話になった。痼りも残ったらしい。そういうことなし。ふたりだけが殴り合う。急所は狙うな。卑怯なことをやると後で笑われる。やりすぎだと思ったらすぐに止める。殺し合いじゃないからな。俺とか大山が目を覚まさないってことも有り得るし」と安藤は口元をやや曲げて説明した。一番目は、大山と安藤だった。
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7月 21st, 2009 § 未来の廃墟 はコメントを受け付けていません § permalink
外回りの営業から社へ戻る途中の橋を渡り終えた歩道で、荷押し車に豆腐の文字が染められた旗を立てラッパを吹く青年が、店の名前の入った羽織姿で売り歩きをしている。依田は確か店は築地にあり、遠く歩いてラッパを吹き販売していることを知っていた。新宿の自宅マンションで妻や娘が時々音を聞きつけ買っている。脇に「未来の廃墟」と書かれたものをぶら下げているので、 なんだろうと声をかけると、お客に豆腐を渡し終えてから頭を掻き、
「これは店には内緒なんです。自作の詩と写真でつくったものでして」
渡された¥800のシールが小さく貼ってある冊子を捲ると、写真プリントと手書きの記述で十数ページが構成されている。前文に記されたものを読み、依田は財布から千円札を出して釣りはいいよと購入してから、慌ててこれもと笑って豆腐を一丁買った。すまなそうに頭を掻きながら青年は、ありがとうございます。丁寧に頭を下げた。
客が頂戴といって数人集まってきたので、それ以上尋ねることをやめて社に戻り、ページを捲った。
ーこれは未来が廃墟であればいいなと祈りながらつくりました。
私は現在東京都内で豆腐の売り歩きをしています関係で、ほうぼうをラッパを吹いて歩き眺めるうちに、時折コンパクトカメラで撮影をするようになりました。もともとは上司から顧客の多い場所を撮影して新人に教えるためにはじめたものでした。時々勝手にシャッターを押し、未来がガラスとステンレスとコンクリートで覆われながら、その隙間にはぺんぺん草の生える廃墟のような未来になって欲しいと思うようになり、そんな場所ばかり撮影したものをまとめてみました。したがって「未来の廃墟」というわけです。
廃墟は、荒廃し放棄され人の去った空間ですが、空白の空間が残されたままの未来世界であるならば、私はおいしい豆腐を歩き売ることを続けられそうな気がしています。
写真家・豆腐販売・詩人 諸星彰 (Akira MOROBOSHI) ー
続くページには、取り壊された空き地や、解体されたビル、放置された荒れ地などの写真プリントが貼られ、各プリントの下には、地名と撮影年月日に加えて、短く「空間の奥行きと壁の罅割れ」「決して刈り取られない草地」などと、プリント毎にその光景のポイントを説明記述してあり、これも手書きで記されている。万年筆の小さな文字だった。雨に濡れた街角や、冬空のものもあり、数年に渡った記録だった。
依田は、ページを捲りながら、バブル手前あたりの生まれか。お前の生まれはどこだ。まだ若い青年の顔つきを想いだそうとしたが、口元のラッパばかりが浮かんだ。社員は全て帰宅したがらんとしたオフィスで、豆腐に醤油をかけ、箸でつまみながら、けっ。ふざけた餓鬼だと呟いてまた冊子を捲り、自称三つの肩書きを持つ若い男に対して徐々に羨望が膨れ、箸を銜え両足をデスクに放り上げ、周囲を見回してネクタイを緩めた。
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7月 21st, 2009 § 羊 はコメントを受け付けていません § permalink
「綿羊はね、我慢強いので病気になってもなかなかその症状を現さない。なんでかねぇ。そういう進化をしてきたとしか言えない。医者の俺がこういうのは不謹慎だが、飼育側の管理が大変でさ。でも大丈夫だよ」
専属の獣医の男がそういって真っ先に箸をつけた。羊が死んだから肉を焼いて喰って呑むので来い。沢渡が呼ばれた小屋には、すでに黒々と日焼けし酒に酔っているのかそうでないのかわからない顔つきの腕の太い男達数人が円座になって座り、中央には卓上コンロが三つ置かれて、脇に山盛りになった肉の一部がジンギスカン鍋にのせられ、ひとりは立ち上がる煙を開けた窓へ向かってパタパタとあおっていた。
随分前に病気で牛が死んだと聞いて、頭部を埋めて骨にしてほしいと頼んだことがあり、1年後に掘り出したものを天日で乾燥させよく洗って持ち帰った。時間があればこの牧場を訪れ、まだ学生の頃には寝転ぶ牛に向けて画布を立てかけ油絵を描いたこともあり、入り口の事務所の壁に飾られて、観光客から誰が描いたと聞かれるわよと受付の女性に労われた。
沢渡がまだ幼い頃から叔父が農閑期にこの牧場で働きはじめ、重機を転がし、あるいは牛の眉間に石を投げつけて追い払う叔父の仕事ぶりを見ながら、理由もわからず引き寄せられた。
今日の仕事は仕舞じゃ。まだ午後の3時すぎだったがコンロの上には次々と肉が乗せられ、赤い血を残したまま男達の口へ運ばれる。酒は焼酎の一升瓶が数本置かれてあり、酒と肉を交互に腹に収めていた。箸を伸ばした沢渡に酒の酌をしながらひとりの男が顎を動かして小屋の奥にある寝床を示し、この間そこに仏さんを一日置いていた。と囁いた。牧場の背後に連なる連山で滑落した登山者が岩山の中腹に引っかかり、救助する側が辿り着ける場所ではなく、見守るうちにその登山者は動かなくなり、どうにか近寄った人間が長い棒のようなもので肉体を更に下へ滑り落として収容したが、遺体を運ぶ搬送の車が一日遅れたという。牧場の男達は双眼鏡で代わる代わる様子を見ていた。遺族には話せねえな。すると、別の男が、怖がるなよ。この間じゃねえよ。三ヶ月位前のまだ雪のある頃だ。と肩をつついた。羊も人間も死ねば同じよ。と盛り上がった鍋の上で焼けた大きな肉を箸でつまんだ。
小屋で宿泊する予定の沢渡をからかったのだったが、歯茎から鼻孔に広がる羊の匂いが、身体に染み付けば大丈夫だと、勝手な闇雲さで沢渡は自ら一升瓶の焼酎を並々とつぎ肉を頬張った。まだ日が暮れぬうちにあれほどの肉はなくなり、数本を空にしても酔った素振りの無い男達は仕事の片付けに立ち上がり、旨かったな。旨かったろう。と言葉少なげに声をかけ、後始末を沢渡に任せて小屋を出て行った。
さすがに件の寝床では横になる気がせず、コンロを広げた畳に布団を敷いて酔いと膨れた腹の消化に任せてごろんと横になって早々に寝入った。深夜沢渡は布団に座り、暗闇の中寝床を眺めている自分に気づいた。腹の底から羊の濃い匂いを戻しつつ、窓の外へ、下山してくる登山者の足音を耳を澄まして待っていた。
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7月 21st, 2009 § 斧 はコメントを受け付けていません § permalink
歩いていると素足の下に痛みが走り、それまで握りしめていた右手の斧を手前に放り投げた。腰を下ろし地べたに座り込んで左足の裏をみると細長い板がサンダルのように張り付いている。古い木箱の割れた木片に釘が残っていた。ゆっくり引き抜くとビニール袋に開いた穴から水が漏れるように一筋の黒い血が流れ出た。左手の親指で傷口を塞ぐように強く押さえながら、雑踏ならば大勢に押し倒されているだろうかと混雑する新宿駅構内が浮かんだ。転がった刃を濡らした色のほうが赤いな。
Tシャツの裾を切り裂き、足に巻き付けてキツく縛ってから、放り投げた斧に手を伸ばし、杖の要領で体重を預けて立ち上がり一足踏み出すと、激痛と共に流れ出る。こうした子どもじみた罠で戦意喪失し座った途端に首をはねられた無念の想いも浮かばぬうちの停止、切断、消去というものがこれまで累々とあったな。と水滴がひとつ垂れるように思った。
歩む度に足裏が濡れて滑り、しかし今更片足でけんけん飛びの移動はできないぞ。薄笑いが広がり、「誰とも分かち合えないまま引き受ける」と唇が動いた。書いた事も読んだこともないのに、詩人になったような気分になり、群れから迷い出た一匹の獣となったと思った。
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7月 18th, 2009 § 悪 はコメントを受け付けていません § permalink
「わたしはいかにも善良ですって拡声器を使いながらしかも大声で叫ぶ政治家がいるでしょ。さすがに善良とはいわないか。でも、あなたこそが悪だと、耳を塞ぐたびに思っていたわ。同じようにね、絶対自分が正しいってその正当性を、泣きながら説明していた子がいたのよ。中学の時。あの時も、その子の一番黒い醜いものを眺めている気がした。正義の味方が現れる番組を観ながら、ひひひと薄笑いを浮かべる悪の親玉が出てくるでしょう。可愛いいわと思ったものよ。悪意を薄笑いで表現するなんて有り得ないから。悪い奴ってのは、だからまっとうな真剣さや熱中に浮かび上がるんだと思い込んでいて、ボランティアなんかしている敦子のサークルに誘われると、自分が悪に染まるってよりも、知らずに押し隠していた悪を見えるようにされちゃうわって怖くて断ったのよ。ほんとよ」
いつになく饒舌なユリの言葉は、はじめて聴くような唐突な内容だった。多分、自分が言い出したことが発端となっていると貴司は思いながら、このまま黙って聴こうと決めた。随分長い時間、自分の取り組んでいる一意専心を話したばかりだった。
「人間が善良であるなんてよっぽどじゃないと示せないと思わない?」
ユリがこちらの態度を批判するように顔を向けた。
「君は、悪ってなんだと思うの?」
「傲慢。差別。ひとりよがり。暴力。怒り。いじめ。無関心。う〜ん。悪は世界を滅ぼそうとしているなんて思ってないわよ。むしろより良い世界で長生きしたいんじゃない。悪はまずシニックであることは間違いないと思うわ」
「悪徳って言葉がある。誰かを犠牲にして、騙して得をする商売なんかもそう呼ばれている。でも、よく考えれば、必死になって人を騙している姿を浮かべるとなにか健気だよね。やくざな人が肩で風を切って繁華街を歩くような、暴走族が鉢巻きをして集団で自暴自棄に走り抜ける時代ではなくりつつあるけれど、彼らにはどこか幼気で子ども地味た小心がにじみ出ていたよね。不良と呼ばれたことに得心するよ。良くないだけで悪そのものではない。今はむしろ、家族が離散して誰もサポートしてくれない子育てに気が振れる母親の手元に、空白がぽっかり現れるような時代で、これは悪とは違うかもしれないけれど、そういう不安を言いたいわけ?
車を運転していると後ろから救急車が走ってくる。脇に寄せて停車する。そうした運転手は皆社会に対して善良な行為をしている実感があるはずで、そうした感覚を忘れたくない人もいるよ」
ユリは、紅茶のカップの脇へ前のめりに膝を置き頬杖をして、横を向いたまま、
「そうね。破綻の可能性の問題ね。でも、あなたのその喋り方にも悪が滲んでいるわよ。自分以外に対する放棄のような悪意。何か罪を背負わなきゃいけないかもね。一度落ちてしまって、更正への道だけが善良を示す唯一の方法だとしたら、哀しいけれど、わたしは嫌いじゃないわ」
紅茶の残りに口をつけ、口元だけ微笑んだ。貴司はユリとの結婚がひとつの罪であり落下であるかもしれないと思った。胸のポケットから指輪を取り出した。
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