7月 21st, 2009 羊 はコメントを受け付けていません

「綿羊はね、我慢強いので病気になってもなかなかその症状を現さない。なんでかねぇ。そういう進化をしてきたとしか言えない。医者の俺がこういうのは不謹慎だが、飼育側の管理が大変でさ。でも大丈夫だよ」
 専属の獣医の男がそういって真っ先に箸をつけた。羊が死んだから肉を焼いて喰って呑むので来い。沢渡が呼ばれた小屋には、すでに黒々と日焼けし酒に酔っているのかそうでないのかわからない顔つきの腕の太い男達数人が円座になって座り、中央には卓上コンロが三つ置かれて、脇に山盛りになった肉の一部がジンギスカン鍋にのせられ、ひとりは立ち上がる煙を開けた窓へ向かってパタパタとあおっていた。

 随分前に病気で牛が死んだと聞いて、頭部を埋めて骨にしてほしいと頼んだことがあり、1年後に掘り出したものを天日で乾燥させよく洗って持ち帰った。時間があればこの牧場を訪れ、まだ学生の頃には寝転ぶ牛に向けて画布を立てかけ油絵を描いたこともあり、入り口の事務所の壁に飾られて、観光客から誰が描いたと聞かれるわよと受付の女性に労われた。

 沢渡がまだ幼い頃から叔父が農閑期にこの牧場で働きはじめ、重機を転がし、あるいは牛の眉間に石を投げつけて追い払う叔父の仕事ぶりを見ながら、理由もわからず引き寄せられた。

 今日の仕事は仕舞じゃ。まだ午後の3時すぎだったがコンロの上には次々と肉が乗せられ、赤い血を残したまま男達の口へ運ばれる。酒は焼酎の一升瓶が数本置かれてあり、酒と肉を交互に腹に収めていた。箸を伸ばした沢渡に酒の酌をしながらひとりの男が顎を動かして小屋の奥にある寝床を示し、この間そこに仏さんを一日置いていた。と囁いた。牧場の背後に連なる連山で滑落した登山者が岩山の中腹に引っかかり、救助する側が辿り着ける場所ではなく、見守るうちにその登山者は動かなくなり、どうにか近寄った人間が長い棒のようなもので肉体を更に下へ滑り落として収容したが、遺体を運ぶ搬送の車が一日遅れたという。牧場の男達は双眼鏡で代わる代わる様子を見ていた。遺族には話せねえな。すると、別の男が、怖がるなよ。この間じゃねえよ。三ヶ月位前のまだ雪のある頃だ。と肩をつついた。羊も人間も死ねば同じよ。と盛り上がった鍋の上で焼けた大きな肉を箸でつまんだ。
 小屋で宿泊する予定の沢渡をからかったのだったが、歯茎から鼻孔に広がる羊の匂いが、身体に染み付けば大丈夫だと、勝手な闇雲さで沢渡は自ら一升瓶の焼酎を並々とつぎ肉を頬張った。まだ日が暮れぬうちにあれほどの肉はなくなり、数本を空にしても酔った素振りの無い男達は仕事の片付けに立ち上がり、旨かったな。旨かったろう。と言葉少なげに声をかけ、後始末を沢渡に任せて小屋を出て行った。

 さすがに件の寝床では横になる気がせず、コンロを広げた畳に布団を敷いて酔いと膨れた腹の消化に任せてごろんと横になって早々に寝入った。深夜沢渡は布団に座り、暗闇の中寝床を眺めている自分に気づいた。腹の底から羊の濃い匂いを戻しつつ、窓の外へ、下山してくる登山者の足音を耳を澄まして待っていた。

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