一樹と修

12月 8th, 2008 § 一樹と修 はコメントを受け付けていません § permalink

一樹はもともと湖畔で生まれ育ったわけではなかった。父親に舞い込んだ運命で家族は唐突に土地を譲り受けることになり、先行きも考えず安普請ペンションを建てて移り住むと決めた時、転校の挨拶で涙が出るような年頃になっていた。
修の話に興味を持った時のことを一樹は今でもよく憶えている。高校の頃、一緒に過ごした夏の合宿のキャンプファイヤーの夜だった。ふたりとも幼い頃から身に馴染んだ釣りの話の中、修が河釣りばかりであり、一樹は湖の釣りばかりと笑い合った後、修は、河は目の前を流れるばかりだから、自分の考えなんて奇麗に流されていって、それが気持ちいいと言うので、一樹は、自分は全く違う、目の前にどんどん考えが沈んでいく。多分底のほうにはこれまで蓄えたものが泥のように残っている。と答えてから、互いに顔を初めて見るような目つきで眺めてから、黙り込んだのだった。確かに、修は遠くを眺める目つきと考え方で周囲を煙に巻くような性格であり、一樹は指先に灯った炎を眺めるような内向で、会話が途切れがちだった。
同じ夏の数日後、ふたりで海釣り行きを決めて、山間の地から電車に揺られて防波堤に立ったのは、お互いのこれまでを知らぬうちに支え、良きにしろ悪しきにしろ、おそらく人間の形成の大きな要素のひとつとなっていた、河と湖ではない、別の何物かに対峙することで、ふたりの今後が些かでも変化すれば良いと、前日の夜は遅く迄、海釣りの仕掛けの準備をしながら、いつになく興奮していた。

目に見えて顕われる効果等なく、晩夏でもまだ遠く見えた浜辺に遊ぶ女性たちの声が風に流されて聴こえると、ふたりでそちらばかり気になった記憶がある。数十年を経て、一樹は修が現在どこで何をしているのかなど知らないが、モノを思わずに湖畔に立っている時に時折、あの時の修の、「流されていって、それが気持ちいい」という声が、鮮明に耳に蘇るのだった。
一樹は父親のペンションを継ぎ、ふたりの子供の父親となってから、この子供達がまるで湖の底から生まれてきたような感覚を拭い去ることができない。妻とは大学で知り合ったが、実家は北の農家であり、無頓着でおおらかなところが気にいった。同じ湖を日々みつめている女性と所帯を持つ等、一樹には考えられなかった。一度は別の土地での生活を考えたこともあったが、やはりこの湖に戻ってきてしまった。
湖畔の波打ち際で、下の4つになる正木が尻を濡らして両手で湖の水を掬い取り、手の器の中の水をみつめているのを眺めて、一樹は、お前もかと呟いていた。

目と身体−1(インタビューに答えて)

11月 26th, 2008 § 目と身体−1(インタビューに答えて) はコメントを受け付けていません § permalink

森山さんと会ったのは、海ですよ。私がビキニの陽に焼けた女性たちの水しぶきの脇で屈んでリュックにね、拾い物を選んで砂を払って汚れを落として、いつものヤツをやっている時にね、何をしているのか声をかけられた。
こちらも普段着だと目立つから、泳ぎもしないのに海水泳の格好だけはしていましたが、リュックが可笑しかったのでしょう。

骨のパーツがほしかった。実際の骨でもいいけれどなかなか手に入らないのですよ。買うのも馬鹿らしい。当時は、まだ私のこの取り組みも未成熟で、少々気も振れていた。女房が逃げた後でした。私は平気だった。良太をこしらえればきっと戻ってくると信じていました。えっ? 三十三だったです。

人の声など耳に入らない時でした。夢中というより、取り憑かれていた。森山さんに、返事をしないのは失礼でしょう。と窘められて、振り返りました。まだ、そんなに強気ではなかったんでしょうね。否、私がですよ。どこか怯えるようでもあったと、森山さんから後で聞きました。

もともと大工の父親を見ていたから職人気質があったようです。小さな庭にある小屋も、父親が造ったもので、そこは道具置き場だったのですが、小さな机があって、時々細工物も拵えていた。それを眺めていました。小屋には絶対に入るなと覗いていても怒鳴られましたが、私は、二、三度、否、もっとかなあ、小屋の鍵が掛け忘れられた時に、よく研がれた鉋や鑿に近づいて、光が鈍く反射するのを、化け物を見るような気持ちでみつめていました。

夏が終わってね、浜に人がいなくなった時期に、再び、というより、あの時は何度も海に通ったなあ。とにかく、人気の無い浜辺を例によってまた探していると、遠くから声をかけられた。道路に車が止められて、ガードレールの向こうから、手を振っていたのが、また森山さんです。これが決定的だった。

最初に声をかけられた時は、詳しい事情は何も話さなかったです。二度目の時に、食事に誘われまして、こちらも腹を空かせていた。(笑い) 岬の先端にあるレストランへ誘われてね。森山さんは、この時家族連れで、りっちゃん、あ、お嬢さんの律子さんと、奥さんの愛子さんと一緒に、テーブルで食事をするのがなんだか照れくさくてね。お嬢さんは質問ばかりするものだから、困りました。(笑い)

わかりやすいでしょう。外からみると。理由がはっきりしている。でも実はね、逃避なんですよ。最初からこれは自覚していた。もともと良い父親ではなかったし、なれたかどうかもわからないんです。子供の面倒は妻に任せっぱなしで、中途半端な不満を抱えて仕事にも熱中していたわけではなかった。同僚からは仕事熱心だと云われました。夢中というより終わらせなければ次に進めないから仕方なく地味な作業を残業が続いてもかまわず引き受けたからでしょう。こういうことをするために生まれてきたんじゃないなんて青いことを絶えず考えていました。

ブルワリー

9月 19th, 2008 § ブルワリー はコメントを受け付けていません § permalink

車で20分ほどの森の中のブルワリーに隣接されてある、ブルーベリー園に行けといったのは房子のほうだった。外から眺めるだけでもいいから見てきなさいと、業務指令を下す上司の口調には逆らえないと、笑みをこぼしながらハンドルを握ったものだ。と野上は憶い出した。ホテルの厨房にあったブルーベリーが、このブルワリーのものであり、他の巨大農園のものと比べるとクオリティーが高い。育て方が違うと房子はホテルのシェフの轟から聞いたのだった。
野上は、ブルワリーに併設されているレストランで、まだ若い田代というシェフ兼醸造工場長と、彼のだしてくれたランチパスタを頂きながら、新緑の木漏れ日の中、シーズン中の納品スケジュールを調整していた。この田代にも湖畔のホテルのシェフが仲介し、此処のレストランで使われる無農薬野菜の契約を取り付けていた。ブルワリーではなかなか味の良い地ビールを生産していたが、田代のいうにはコストに問題があり、末端価格が現状でも厳しいと、ことあるごとに愚痴を零したが、田代のそれは何か爽やかで、野上は田代の愚痴を聞くのがむしろ楽しみだった。野上がまだ代理店で勤めている時既に、この地ビールの発売の告知を知っており、幾度か接待の席で目にしたこともあったが、ブルワリーには妻に言われる迄来た事がなかった。
野上は酒を呑まなかった。外回りに奔走している頃は、業務に支障がでるに違いないと決め、晩酌の習慣もなかった。煙草も吸わず、回りからは何が楽しみなのと揶揄されても一向に平気だったが、湖畔で、牧場を辞め農園の経営が上向きになり出して、ホテルのシェフの轟に是非試してみなさいと薦められワインを飲み、以降度々アルコールを少量身体に行き渡らせることを知った。このブルワリーとの契約時に、出荷されている全種類のエールを12本購入し、拡張した湖畔の家の買い替えたばかりの冷蔵庫に並べると、妻も息子も手を出して、あっと言う間に空になった。すべてそれぞれ深い味のする苦みがあり、上品なビールだったが、毎晩何本も空にする値段ではなかったので、野上は他では買わず、此処にくる度に4種類を三本ずつ家族に合わせて1ダース購入するようになった。野上は濃厚な黒ビールが好きだった。妻も息子も各種類1本ずつ飲むのだった。

こんにちわと頭を下げられて、振り向くと、湖畔のニースの安藤が微笑んで頭を下げた。野上さんお久しぶりです。先日シェアコテージで滞在している坂下さんが野上さんの野菜を料理して、スザンヌと川上さんといただいたわ。坂下さんは酔っぱらって土がついたまま炒めていたけど。と笑った。土がついていても家のは大丈夫だよ。ミッちゃん。と野上は釣られて微笑んだ。
田代さん今度もお願いします。ワッペンのデザインをビルが作ってくれたから持ってきたわ。タロウ君も手伝ってくれったってビルが言っていたわよ。ちょっと早いけど、見てもらおうと思って。
タロウと聞いて野上は、安藤がいいかしらとテーブルに座り広げたクリアファイルのグラフィックを覗きこんだ。安藤はボードの大会に出る時に田代のブルワリーから、ささやかなボリュームだが、スポンサーアップしてもらっていた。10年前の冬期オリンピック時に選手として目覚めたが、年齢的には遅咲きだった。育った環境が柔軟な身体に適応力を与え、男性が驚くような勇気をみせることがあり、オリンピックでウインターアスリートたちの環境は大いに改善され、一時はノルウェイの世界大会に地元がその費用をサポートして遠征したこともあった。だが、もともと小柄であり、安藤は海外の選手の体格との差異に限界を感じながらも、国内の大会では常連となり、大会に花を添える明るさでスポンサー申込が相次いだ。3年前に大会で足を折り、引退を考えたが、このブルワリーの田代や湖畔の皆が励ました。だが、田代には次のシーズンで引退する旨を前シーズンの終了時に明るく申し出ていた。

尾行

9月 19th, 2008 § 尾行 はコメントを受け付けていません § permalink

洗面所の下に開けられた窓から同じ車が見えた。
誕生日に妻からプレゼントされたばかりのブラウンのシェーバーを顎にあて、歯を磨きリステリンで口を濯ぎ、風倉が誉めてからずっと妻が使い続けているプチサンボンの隣にあるブルガリのプールオムを、鎖骨に一押し噴霧させ、タイを緩めに絞めた。
朝はいいっていつもいってるだろう。風倉の席の前の絵皿にスクランブルエッグとフルーツが添えられてあり、妻の明子は対面式のキチンのカウンターでパジャマのまま珈琲を煎れていた。あたしが食べるわ一人分しか作ってないし。明子の差し出したマグカップに風倉が立ったまま唇につけると明子は寝不足のような虚ろさでつぶやいた。
今日は部活の指導があるから帰るのは六時すぎだな。病院で問題があったらメールしてくれ。と、ベランダに続く窓迄歩き、遠くに見える水平線を眺めた。娘の理恵が夕べ熱を出し、妻は先ほど学校へ病欠の電話をしたところだった。理恵は生まれた時から気管支が弱く、妻のアトピーも遺伝したようで、季節の変り目やちょっとした埃で咳き込み熱を出した。掛かり付けの小児科に連れて行くわと、昨夜明子は理恵の額を冷やしながら決めていた。妻からひとつにしたらと何度も言われているのだが、立場上目を通す必要があると半ば意地になって三社の朝刊が毎朝届くが、最近はひとつを家に置いて、ふたつを持って出かけ、社会科職務室に積み上げてあるのを先輩の教諭に諭されてから、行きか帰りのコンビニのゴミ箱に棄てるようになり、全てに目を通すことなど余程のことがないかぎり無かった。
試験が近いので、少し早めに通勤する。と妻には言ったが、外の車のことのほうが気になっていた。

風倉は大学院の修士論文の指導教授から地元の私立高等学校を紹介され、移動もないから楽だぞと薦められるまま大学院を修了し社会科の高校教諭に就いた。幼少から勉強よりスポーツ万能で、高校の頃から熱中したスノーボードはプロ顔向けの腕で、ボーダーメッカのゲレンデも近かったこともあり、大学も地元を選び、学生の頃は何度か大会でトロフィーを貰ったこともある。勤めた高校の理事長からスポーツマンは好きだよと云われたが、どこで勘違いされたのか男子バレーボール部の監督・顧問を任され、二年後には県大会で優勝を逃す程鍛えあげた。このことを新入生に授業で挨拶代わりに話すと生徒には受けた。十代から絶えず女関係というより女の問題が山積していたが、どちらかというと身体を酷使し、器具の手入れをする時間のほうが気持ちが安まった。就職が決まり、凡庸な勤務の日常をはじめた五度目のシーズンオフの休日に、東京まで車を三百キロ走らせて、翌年に卒業を控えたまだ学生だった明子に求婚した。妻の明子とはゲレンデで知り合い、明子は東京から遊びに来ていたが、わざわざ風倉に会いに3シーズン、多い時は5回程ゲレンデに通った。求婚の際、明子は東京に来てといったが、それなら諦めると車で戻ると電話があり、電話の中で明子は謝った。風倉の求婚は、回りの締め付けによるものが大きな理由で、家族は勿論、親戚や職場の同僚も断わるとすぐにまた見合いの写真を腕に挟んで走り寄ってくるようになり、いっそ自分で勝手に決めると、それまでの関係から選択するような気持ちで明子を選んでいた。
所帯を持った翌年には長女の理恵がすぐに生まれたが、理恵が三歳の時に、それまでより通勤には時間がかかるようになったが、新築の4LDKのマンションを実家に援助してもらい購入し、これで二人目が生まれると大変だわと、回りには駆け込める知り合いのいない都会ッ子の明子が呟いたのを聞き、ふたりはしばらく避妊することにした。
風倉はシーズン中には時々、世話になっていたゲレンデのスクールからスクールコーチを頼まれ、結婚前より仕事の合間に趣味的に通いはじめ、その為だけにフルタイム4WDを購入したのだった。実家はこの地方有数の豪農で、風倉の六つ上の兄が家を継ぎ、真ん中の姉は関西へ嫁ぎ、末っ子には選択肢は無限にあったが、通えぬ距離ではなかった大学時から、大学寄りの海沿いのワンルームで独り住まいを始め、所帯を持った時もその下の階の2LDKに移っただけだった。
勤務先の高校では、勤務年数を重ねる毎に、私立高校故の持続の手法を先輩の教諭から何度も諭されていたので評判も良く、なんの問題も起こらなかったが、冬期のスクールコーチでは、もともと異性に好かれるタイプであるせいか、ちやほやされ、何度か通りすがりの女性達と関係を持った。妻は私にわからないようにしてと、最初から多少の火遊びは認めた風だったが、それは当時流行ったTV番組の真似であり、明子はなんとなく察知してはストレスを身体に埋め込んでいった。

風倉はマンションの地下駐車場から車を出し、路上で止めてドアから外に出て、エンジンを止めて駐車している車に近寄った。助手席の窓をノックすると、シートを倒して寝ていた風だった男が慌ててイグニッションを回しながら、窓を下ろした。この車、昨日も私の仕事先で見たんだが、私に用事があるのか。それとも誰かに頼まれた興信所か。と風倉が尋ねると、男は左手を左右に振ってギアを入れ走り去った。見上げると、部屋の窓縁の柱に身体を半身凭れるようにして明子がこちらを見下ろしていた。

別な形

9月 18th, 2008 § 別な形 はコメントを受け付けていません § permalink

最初は農地を売り払った金で、新車の最上級のセダンを買ってしまおうと日産、トヨタのカタログを取り寄せてこれにしようと思っているがと相談すると、兄貴それってあんたの新しい仕事上似合わないって絶対誰もが口を揃えて非難する。やめとけ。と弟が言い放ったので、考え直した。結局、中古ならばよいだろうと3ナンバーを選んだが、弟は首を捻った。弟は子供が年子を挟んで四人の計六人の大家族を形成していて、実家の手伝いの他、隣の県で豪農の家からかなりの範囲の稲田の管理を任されていた。
川上の出戻りを祝う同窓の会を開いた友人達は、そろってあんたは変わっていないと酒の席で口を揃えた。相変わらず狡賢い感じと独りの既婚の女が口にすると、川上はぷいと腹を立て席を立った。それから幾度か宴会に誘われたが出席しなかった。幼少の頃より、人里離れた自分の家を呪うように育った。あなたは農家のお手伝いもあるのによくできると女性教師に誉められたのが忘れられず、屈折して目上に媚を売るような性格が助長され、年下の自分には何の得にならない者に対しては冷たいというより無関心だった。一浪して早稲田に合格したが、予想以上に同級生は優秀であり、自分がいかに田舎者であるかを痛い程味わったが、それを表には出さず、実家からの仕送りを増やすよう、それらしい内容の口実を都度捏造し、流行のファッションで都会の若者を気取った。時代がバブルを経験する時、人事を煙に巻いて入社を果たした大手のメーカーの東北の地方都市で躓きの種を蒔いていた。
博物館の学芸員の口も、母親があそこの学芸員が退職だからお前が資格をとれば大丈夫だと見つけてきたが、最初はこんな田舎で博物館などと地味な仕事は嫌だと思った。が、他に納得するものが見あたらず、無職でいつまでも車を走らせているわけにもいかないので、話を聴きに博物館を尋ねるとトントン拍子に話がすすみ、資格なんてここで働きながら通信で取得すればいい、地方公務員試験だけ受けてくれと、退職する館長と入れ替えで就職が決まり、これでようやく俺にも風が吹いてきたと、大袈裟な離れを実家の横に造らせた。母親は見合いの話を幾つも貰ってきたが、父親が半分以上を断った。川上は文句を言わなかった。
好きな女は何人もいたが、都度気取って大袈裟に自分を誇張するだけで、その度に呆れられて振られた。懲りなかった。風俗の店に入り浸り、これで充分と社内での酒の席で嘯いた。
あなたって中途半端に馬鹿じゃないから厄介よね。と年下の安藤に言い寄った時に言われて、その時はどういう意味かわからなかった。呑んで酔えば、陽気になり辺りを笑わすと、湖畔の商工会の年配や市や県の担当者には好感を持たれており、川上は自分を見透かすような安藤をどうにかしないと気が済まなかった。

川上がニースでランチ用のパンを買いに来た際に、この後閉館間際でいいからちょっと博物館に来れるかいと声をかけられた時は、安藤ミツコは気軽に何の用なのとさっぱり返していた。夏のイベントのことでさ。困ってるのよ。と続ける川上が町の長老らから厄介事を頼まれたというより安請け合いしたのだと判り、了解。でも三時半すぎるわよ。それまでアイちゃんと交代できないから。閉店間際に店の前に立たれるようしましだわと、少しは懲りたようねと受けていた。

イベントの相談だと思ったら、いきなりあいつはやめたほうがいいと川上は口にした。どうしてあなたにそんなことをいわれなきゃいけないのよ。と帰ろうとすると、君は健全でなきゃいけないと、強引に座らせるのだった。川上は、時々ニースの閉店間際に車が止まり、その車に乗り込む安藤を何度か目撃していた。ニースのアルバイトに、あれって誰と聞くと、ミツコさんアイジンらしいです。と、赤い頬のアルバイトのアイちゃんは、わたしから聞いたって黙っててください。とつづけて奢るからと誘ったホテルのランチをぱくぱく食べながら喋り続けた。どうやら冬期のゲレンデのボードの指導教官らしいが、隣の県に家庭があり、妻も子供もいて高校の教諭らしいというところまで聞き出した。
愛とか恋とか流石に諦めた。別の形の親しみから、言う事にしたんだ。俺が相手にもうやめてくれっていってやるよ。とそれらしい口調で添えた。安藤は、しばらく思い悩むように下を向いたまま膝に手を揃えて黙り込んだ。
足音に気づいた安藤が、あらっと川上の背中の向こうへ目をやった。安藤の表情がすうっと明るくなった。