5月 24th, 2009 § 声 1 はコメントを受け付けていません § permalink
ーどこから話せばいいかな。なるべく判りやすく話そうと思うんだが、話す事は上手くないからな。
幼い頃両親を困らせようとして、死んでやると思ったことはあるだろう?勿論本気ではないにしろ、一度や二度は誰にでもある筈だ。死ぬなんて一瞬のことだから、その時は簡単に思える。これから話そうと思っているのはこの一瞬のことともいってもいいかもしれない。
幸せはずっと続く方がいい。辛い事は一瞬我慢すればいいから、あとは時間が過ぎれば消えていく。人間の人生はなかなか都合良く出来ているなんて、子供から大人になりかける時に、これも誰でも思う。
つまり、時間というものが、人間の身体と心の外にあって、単にその束縛を受けて生を営むのが人間の儚い人生なのだと、人間は最初に諦めてから、生きるのかもしれないね。君はそうかい?そうでもないかい?今朝はさっきまで雨が降っていたのに、小鳥の囀が良く聴こえるよ。
私の場合、「時間を忘れること」に魂を奪われる人生を送ることになり、それがそもそものはじまりだと今は思うよ。過ぎていく時間や身体の栄養補給や様々な用事を忘れて、目の前の出来事に専心し、没頭し、自分自身の事すらどうでもよくなるような、絵を描くことからはじまったのだよ。そのまま同じ没頭が可能な人生を送っていたとしたら、こんな話などする必要もなく、うっすらと笑みを浮かべて頬を上気させたまま寡黙で凡庸幸せな人生を、省みることなく満足してその生を終えていたかもしれない。
まあ、没頭するけれども絵がヘタクソじゃ駄目だし、運もある。時代の流れや環境に影響されるからね。とにかく、私の場合は、様々な要因によって、幸せな没頭の持続を阻まれたわけだ。けれど、もともと夢中になるとどうにも止められなくなる性分でね。簡単な反復の幸せの放棄が反転して、何故?という疑いに没頭しはじめてしまった。この時の「問い」は、そもそも答えが無い種類のものでね。それは例えば、
「この石はなに?」
といったことで、突き詰めると、目の前に転がるモノ全て等しくわからなくなるパラドクスがあってね。ただみつめることしかできなくなるのだよ。
無邪気に問い続けると心の病にもなる。おそらく長い間鬱だった。自覚的ではなかったけれども、今振り返ると思い当たる記憶がある。この病は、「停止」に限りなく近い持続のようなもので、何も出来なくなる。救われたのは、時代の恩恵である情報や、没頭を切断する巷の喧噪だった。つまり余計な五月蝿い騒々しさが、この病の薬となったとはなんだか可笑しいね。混雑した駅のプラットホームに立ち止まると、大勢の人間の肩がぶつかる。座り込んでも蹴飛ばされるかもしれない。そんな光景を浮かべてもらえばわかりやすいかな。ただしこのとき、病の快復と引き換えに「途中放棄」を覚えてしまったわけだ。君もなんどか「飽きっぽいね」なんて言われたことはないかい?そんなことを言われるとムッとするけれども、この飽きっぽさは多分時代や環境のお陰で身につく処世術かもしれない。これがないと病みに陥るからね。
一日を時間で切り刻んだ授業を受けて育ち、数分のコマーシャルが規則正しく挿入された時間単位のTV番組を眺める居間で、家族が団欒し、遅刻すると首を切られる社会で過ごす事が、私たちの自明の環境であり、この環境も、「飽きっぽさ」がないと生存がむつかしいわけだ。適当に順応して、狡猾に立ち回る、所謂狡い人間ほど上手に生き残るからね。
なんか、判りにくくなってきたかい?一気に話したいんだが、なにせ話べたですまない。少し休ませてくれ。君も休んでいいよ。話をすることも、聴く事も、「飽きっぽい」スキルがあると、面倒だね。簡単に言ってしまえば、魂のことと、時間のこと。死んだらどうなるってことだから、また聴いてほしいんだよ。少しづつ上手く話せるように努力してみる。ー
2月 7th, 2009 § 土 はコメントを受け付けていません § permalink
「競馬はやらないが、馬に乗りたいと長い事思っていた。柵の中を引き馬で周回するんじゃなくて、踵で腹を蹴ってさ、でも、馬に乗る生活と云うのは、馬を育てるってことだと思うと億劫になるが」
「俺も猟銃を肩に下げて、息も切らさず雪山を登る夢を見たことがある。撃つのは野うさぎか雉か小動物で、生活のためなんていう切実感はなかったなあ。足元に煙を上げる小屋を見下ろし、獲物を獲ったら彼処に戻る。簡単な仕組みに充たされていたようだった」
「お前等の妄想には酒の席に限られた話というニュアンスを離れているので怖いよ。季節が変わったら、狩人になって馬を走らせているかもな」
洲本は講義の後、偶然アルバイトが休みとなったという片岡に安酒場に誘われ、片岡は途中出てこいよと数日大学に顔を出していない山本に電話をしていた。それぞれ専攻を具体的に決めた2年の学期末で、冷え込んだ日が続いていた。
数日前に連続して大きな事故が重なり、どれも人災で、ひとつはホテルが燃え33名が死亡し、翌日羽田沖に機長がエンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下落下し24名が死亡した。ホテルの延焼範囲が広がった原因は、度重なる消防当局の指導にも拘らず改善しなかった消火設備の不備、火災報知器、館内放送設備の故障および使用方法の誤り・客室壁内部の空洞施工・宿直ホテル従業員の少なさ・ホテル従業員の教育不足による初動対応の不備・客室内の防火環境不備といった複合的要素による火災だった。機長は統合失調症の治療中だった。
半年前の初夏に深川で通り魔殺人事件があり、これは薬物中毒者による暴走だったが、路上で、主婦や児童らを包丁で刺し、児童1人と乳児1人を含む4人が死亡、2人が怪我を負った。それを憶いだしたと、まだ記憶に鮮明な報道の詳細を山本はぼそぼそと話し始めた。
山本が最近部屋に閉じこもり鬱に沈みながら、世の中の行き当たりばったり配慮の不徹底な成り行きの危うさに憂いているという、何か遣る瀬無い悲観を聞くにつれ、片岡は、事も無げに「お前に何ができる」と切り捨てた。洲本は杯の下から片岡を睨み上げるような山本の肩に手を置き、二人に酌をした。
女に走る能天気な安定感も今の暮らしには無いし、バイトに明け暮れて苦学生を気取る時代でもない。つまり俺たちはこのままいずれ卒業して、適当な終身雇用の職場に迎えられ、小金ができたら所帯を持って、子供の成長を見守るだろうさ。だから、俺は春になったら馬に乗りにいくよ。片岡の言葉にはだが、どこか他人事の傍観がつきまとい、最近父親に、卒業したら家を継ぐつもりはないかと言われたばかりの洲本には、餓鬼の戯言と映った。
大学は郷愁の漂う学びの場であったけどなと酒の席で先輩から聞いた時には、確かに今はそんなものはないと山本は思った。
1月 7th, 2009 § 「よくわかりません」 はコメントを受け付けていません § permalink
良子の誤解は、夫が台所に立ち俯いて瞼を重そうに膨らませ、半眼となった瞳の奥に何かを点しながら、お喋りも断ったような風情で野菜を刻み、スープの味見をするのは、料理をすることによって独りの世界に入り込み、誰にも邪魔されることなく過ごせる時間であり、趣味を超えた自己に埋没する行為であるに違いないと、早くから決めつけていたことだった。友達や家族が訪れて憩う食事に、話題を振られると良子は客の耳元に唇を近づけ押し殺した声で、夫の背中を振り返りあのひとは台所が好きなのよと囁いたこともあった。良子は嫁ぐ前から、良妻賢母となる自信に根拠も無く満ちていた。同級生のカップルが誘ったドライブの助手席に座っていた夫に役所勤めかと最初に尋ねた時の返事は、否家業を継いでいると暗く響いたのを覚えている。だが実直そうで、それから二ヶ月が過ぎて忘れかけた頃、夫は電話で良子を誘った。
良子は、もともと目の前の出来事に翻弄されるタイプで、あらかじめ計画を立てて生きることは私にはできないと友人に幾度も漏らし、その度に肩をたたかれ励まされることが嬉しかった。結婚も、寡黙な夫の誠実さの片隅に鈍く光るような性的な眼差しに、この人はずっと抱いてくれると惹かれて、プロポーズを頷いて受けた。二年もすれば腹が膨れて、公園に集まる子連れのひとりになるとばかり楽観して、今時のマタニティーの様子や、子育ての本を捲り、朝食のテーブルで夫は小さな声で気がはやいなと、何度か呟くこともあったが、4年過ぎてもその兆候はなかった。
12月 16th, 2008 § 砂 はコメントを受け付けていません § permalink
「毎朝定刻に間に合うように通勤電車に揺られて遅刻は数える程だった。諭されても怒鳴られることはあまりなかったように記憶している。しなければいけないことが絶えず山積していて、愚鈍にひとつづつ片付けるしかなかった。そんなことからようやく開放された筈だったが、抑圧がなくなるとどうしようもできない」
片岡は、机に肘をつけてコップに残った珈琲を、喉を動かしてゆっくり飲み込んだ。まだ陽射しが残る時間から会う事等これまであったかと、山本は片岡の呟きに答えるように小さく返して、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。洲本は片岡の台詞等知らない素振りで、
「オレ達は、互いに話すことなんかなくなっているわけだ。家族で何を話す。返す事はあっても、放る事ができない。それより、どうなの儲かってるの?」
山本と片岡は顔を見合わせて、顔を崩し、
「儲けって、お前まだそんなに強欲なのか」
山本の失笑気味の返答を洲本は真面目な顔で受け止めて、
「そりゃそうでしょうよ。まだまだ生きなきゃいけないし、生かさないといけない連中もいる」
学生の頃から童顔で、中年も暮れかけ頭も薄くなってもどこかエネルギッシュに見える洲本の尖らせた唇をみて、山本は、学生の頃を朧に浮かべようとしたが、どこか白い霧に隠されて、あの頃一体何をしていたのかわからなくなり、しばし途方に暮れた。
大きな柱時計は前世紀初頭のものだと、マスターから聞いたのは、学生のときだったなと、片岡は洲本の肩越しを見やって、まだ5時前だと呟いた。マスターが亡くなった時、彼等は葬式には行かなかったが日を変えて線香をあげていた。
確か次男が父親の跡継ぎとなって、リフォームをした際に、常連客から多くのクレームがあり、一度は取り外して売り払う予定だった柱時計を、次男は不満げに再び店に飾ったのは、次男の嫁の強い意見だったらしい。洲本は片岡の視線を辿り振り返って答えた。どうしてそんなこと知っている。と山本は洲本に尋ねたると、片岡は、
「ほら、こいつ、丁度そのころ外に女ができて、ここが密会の場所だったわけだ。そうだよな洲本」
と、やや茶化して説明すると、
「丁度厄年だったなあ」と誰か他の人間のことのように恍けた。自分の棄てたような言葉に慌てて、洲本は、否、嫁さんの意見というより、よりアンティークな店へ特化しようということになったようだよ。と答えた。
自営の下請け業務に精を出し、父親の狭い店を拡張して雇う人間を増やし、厄年を超えてから、ようやく時間ができたという洲本が、片岡と山本の、業務に対する愚痴主体の酒の席に顔を出した時から、年に数回、誰からとも無く誘い合って、場末の酒場であったり、時には伊豆の温泉宿で一泊して、とりとめもなく会話を交わすことが、この三人にとっては、学生の頃の再現となり、頻繁ではなかったが、忘れることなく呼ばれればそれぞれ都合をつけた。
「こういう古いホテルは身に堪えるようになった」
身支度を部屋着に替えロビーの脇にあるバーの深いソファーに沈み込んだ身体を持て余すように片岡は呟いた。
「新築のオープンしたばかりのモノは、またこれで建設前の切り崩した、なにか良くないものを零したような色の地面が浮かんで落ち着かない。まあ、縁の無い寝床というのは皆おなじかもしれない」
三人のうちで住処を変えた事の無い洲本が、手を尽くして探した老舗の安くはない評判の宿であったが、大きな湯槽で並んだときも皆無口で、飯もあまり口にせずに、酒ばかりを静まり返って呑んでいた。
「寝床で憶いだしたが、いつ頃か、眠っている。休んでいる。仮にこのまま目を覚まさなくても構わない。月並みな云い口だが、ぐっすり眠ることができなくなったもうできないと、ふいに気づいたことがあった。自分の眠る場所は十代の受験勉強と女への妄想を交互に転がした狭い部屋しか思い当たらない。以降所帯を持っても、脇に妻が眠っていても、まだ幼かった子供の寝顔を眺めても、その目つきには健やかなあの部屋には戻れないという恐れすらあったかもしれない」
山本の、目を細めグラスの氷を指でつついて鳴らしながらの、洲本に返すつもりもないような口ぶりには、臆面の無さを曝け出す響きが小さく籠った。
「女房は、俺の鼾に惚れたといっていた。嫁の実家でもところ構わず突っ伏してよく眠る。ぐーたらな肢体と鼾がどうしようもない動物そのものだったわと、子供が家を出る頃になった食卓でふいに言うのだ。そんなに俺の鼾は五月蝿いかと尋ねると、否、深夜ほんの数分ぐーすか漏らすだけらしいが、妻はその度にくっきり目が覚めるのよと、知らぬ女の表情で、知らぬ女の声を囁いた」
片岡は、ここではじめて二人の顔をそれぞれ見つめて、何かを促すような表情をした。
昼間は古都を散策しようと男が三人で連れ立って歩くと、流石にそれぞれが途方に暮れた。三様の生き方をしてきた男達が連れ立って歩く意味が、歩くごとに失せていく感覚があり、それは例えば歩みの速度であったり、自分でない男の視線の先が見えないことの苛立でもあり、同じ寺を経巡っても、結局誰かが誰かを出口で随分待つ羽目に何度も陥り、俺たちには本当に重なることがなくなってしまったなあと笑うしかなかった。平等というのは無関係ということだなと洲本が笑った言葉に、山本も片岡も笑って返す事ができなかった。組織に従属していれば、こうしたことはない。従うか引き連れれば良かった。
「龍安寺から仁和寺まで歩いた路傍で女がしゃがんでいたろう。片岡が車を呼びましょうかと声をかけた。俺と洲本は離れていたから聞こえなかったが、女が頭を下げる前に、お前の顔をみつめて何か言った。あれはなんだった」
山本は、片岡の顔を見ずに、火のついた煙草を灰皿に潰しながら尋ねると、
「カワカミサクタロウさんですかと呟いた。気が振れているなと一度は思ったが、首を振ると女の瞼が閉じて俯きすみませんと謝った。駆け寄った時は身なりから五十代かと思ったが、近寄るとまだ三十代の娘の面影があった。肌が白くてな。髪から線香の香りがした」
「片倉は昔から、身を投げ出すような優しさがあって、回りが大いに誤解した。その気になった女も知っている。歳をとっても変わらないな」
洲本が背もたれに身体を預けてグラスの中身を飲み干すと、
「俺は、そういう片倉をずっと妬ましく思っていたよ」と山本が小さく笑った。
「お前が腰を落として崩れた女に声をかける姿は、ようやく様になってきたというわけだ」
古都を歩こうと秋の手前に洲本に誘われ、どうやら洲本の別れ話が一段落し、顛末全てを一切合切話してしまいたいという気持が、その誘いのメールには漂っており、山本が丁度神無月中旬に、京都での会議の仕事があり、申し出された日程を洲本に修正させて、片岡も合流することになった。合流先のホテルで考えてみると、我々は修学旅行で一緒に来ているわけでもないし、学生の頃連れ立って来たわけでもない。この街は、互いの接点がないと確認していたが、洲本が、否、あの女はたしか京都出身だったと、ひとりの女学生だった女性の名前を挙げると、山本と片岡は、同じような音量で「ああ」「いたな」と答えていた。各々の生の文脈の中で、街が暫し発酵した。
「あの頃は、会えば女の話ばかりしていたし、事実、欲望に縛られていたな。最近は、歳のせいだろうけれども、妙な縛りに苦しめられる。喧嘩をしてる男が二人いる。俺はそれを眺める立場で、痛くも痒くもないのだが、なぜか決着をつけさせる為に、懐にあるナイフを殴り合っている二人の間に投げ込みたくなる」
鱧を喰わせる店で、山本は、ふたりを眺めつつ話し始めた。
「で、どうする」
片岡が促した。酒も入り始めていた。
「男たちは、足下に転がったナイフを見て、争いを馬鹿馬鹿しいと悟って互いに喧嘩を放棄するか、あるいは、どちらかがナイフを先に手にして、相手に斬りつけるか。あるいはと、考え始めた。妄想が果てしない選択肢を運んでくる。俺が選んだのは、相手を斬りつけた男が、倒れた男を見て、自分の腹にナイフを突き立てるというものだった。だが、その選択の理由がわからない。根拠がないのだが、俺には彼らの行方のリアリティーがそれしかないように思えてくる。幾度もなぜだと考える」
「この国の人間が喜びそうな選択だよ」
洲本は、自分だけウヰスキーにすると、ロックに新しく注ぎ入れながら、そんな簡単なと眉毛をあげた。
「喧嘩の質にもよるよな」
手酌の銚子を山本の手元に持ってきて、片岡は続けた。
「どうしようもない喧嘩というのがある。鬱積がたまり、爆発した奴さ。でも、喧嘩はどちらかというと、片方のテンションで行われるな。二人が同じ怒りに包まれているというのは、あまりないのではないか」
「喧嘩に慣れていないよな。この国は」
「洲本、そういうことではないだろう。俺がお前に、佐知子を返せと凄んで、胸ぐらを掴んで殴ったらどうする」
「俺がナイフを投げ入れようか」
「俺が拾って、どこかへ放り投げるさ」
洲本は、妻の名前を呼び捨てにされたことに腹立てるような性急さで、答えたが、
「否、お前はきっと俺を刺すよ」
片岡は、考え込むように小さく囁いてから、
「ナイフを放り投げた奴というのも、縛りを与える行方がありそうだな」
と、山本を睨んだ。
12月 10th, 2008 § 光太郎 はコメントを受け付けていません § permalink
「ランドセルではなく赤い革の手提げで通学するのは、前の学校がそうだったし、卒業迄一年しかないので、今更ランドセルを新調するなんておかしいでしょう? 皆さんとは違いますが、仲良く一緒に勉強しましょう」
春の新学期に合わせて転校した紹介の時に、自分の持つ赤い鞄を指差して手に口をあてクスクス笑う同じ歳の子供たちが、光太郎にはひどく幼くみえた。
一ヶ月ほどで学級に馴染んだものの、もともと大人しい性格もあったが、自ら目立たぬように振る舞うようにしていた。というのも、担任のジャージ姿の浅田直子という若い女性教諭が紹介時に余計な説明を加えたためだった。光太郎の父親の仕事の影響を受けている家族がクラスに何人かおり、隣の席の片岡幸子は、消しゴムを拾ってくれた時もそっと机の隅に置きさっと身を引いて、露骨に避ける素振りを隠さなかった。片岡の母親は反対運動の先頭に立っていた。勿論光太郎の父親が責任のある立場にはいないことは明らかだったが、いわば濡れ衣を背負うような視線を最初からあびることになった。光太郎の父親は東京のゼネコンから引き抜かれた地方のデベロッパーで、買収を終えた土地開発を始めていた。景観条例に組みした案件には法的な問題はなかったが、近隣からは説明が足りない、配慮が足りないと、計画の立ちあがる時から詰め寄られており、片方でこの地方では巨大プロジェクトであり多大な経済効果が期待されると報道され、数年がかりのゴリ押しで建設迄こぎつけ、プロジェクトの実質的な稼働指示を任された父親の西川は、そういった配慮のひとつとして家族の現地移住を決めたのだった。
梶田祥一が初日の放課後、父さんに言われたとことわってから、光太郎を音楽室や講堂、校庭へ連れ出して、「ここは校庭」「ここは音楽室」と、言うまでもない説明をしてくれたので、自宅迄一緒の方角だからと歩き出す時に笑い出してしまった。祥一は光太郎の父親の元で働いているので、光太郎に対しても自分が下であるように上目遣いな言葉使いをするので、「あのね、父さんたちとボクらは違うから」と諭したが、祥一のオカシな言葉遣いは夏前まで続いた。
「お前気にいらないんだよ」と、一学期の終業式の後、転校の初日に一番後ろの席から睨みつけるような顔をしていた山川裕太が、ちょっと来いと腕を取って校門を出た脇にある神社の境内へ光太郎を連れ出した。
私立のカリキュラムをこなし塾にも通っていた光太郎にとって、この転校先の学習内容はすべて終えてしまっており、繰り返された小テストの結果が、クラスの中でも絶えずトップであったので、当初忌み嫌われていたようなムードは三ヶ月で雲散霧消し、片岡幸子もここ教えてとノートを差し出し身体を近寄せるようになっていた。祥一も、日ごと評価のあがる自称第一の友だちが、誇らしげであることを隠さなかった。