光太郎

12月 10th, 2008 光太郎 はコメントを受け付けていません

「ランドセルではなく赤い革の手提げで通学するのは、前の学校がそうだったし、卒業迄一年しかないので、今更ランドセルを新調するなんておかしいでしょう? 皆さんとは違いますが、仲良く一緒に勉強しましょう」
春の新学期に合わせて転校した紹介の時に、自分の持つ赤い鞄を指差して手に口をあてクスクス笑う同じ歳の子供たちが、光太郎にはひどく幼くみえた。
一ヶ月ほどで学級に馴染んだものの、もともと大人しい性格もあったが、自ら目立たぬように振る舞うようにしていた。というのも、担任のジャージ姿の浅田直子という若い女性教諭が紹介時に余計な説明を加えたためだった。光太郎の父親の仕事の影響を受けている家族がクラスに何人かおり、隣の席の片岡幸子は、消しゴムを拾ってくれた時もそっと机の隅に置きさっと身を引いて、露骨に避ける素振りを隠さなかった。片岡の母親は反対運動の先頭に立っていた。勿論光太郎の父親が責任のある立場にはいないことは明らかだったが、いわば濡れ衣を背負うような視線を最初からあびることになった。光太郎の父親は東京のゼネコンから引き抜かれた地方のデベロッパーで、買収を終えた土地開発を始めていた。景観条例に組みした案件には法的な問題はなかったが、近隣からは説明が足りない、配慮が足りないと、計画の立ちあがる時から詰め寄られており、片方でこの地方では巨大プロジェクトであり多大な経済効果が期待されると報道され、数年がかりのゴリ押しで建設迄こぎつけ、プロジェクトの実質的な稼働指示を任された父親の西川は、そういった配慮のひとつとして家族の現地移住を決めたのだった。

梶田祥一が初日の放課後、父さんに言われたとことわってから、光太郎を音楽室や講堂、校庭へ連れ出して、「ここは校庭」「ここは音楽室」と、言うまでもない説明をしてくれたので、自宅迄一緒の方角だからと歩き出す時に笑い出してしまった。祥一は光太郎の父親の元で働いているので、光太郎に対しても自分が下であるように上目遣いな言葉使いをするので、「あのね、父さんたちとボクらは違うから」と諭したが、祥一のオカシな言葉遣いは夏前まで続いた。

「お前気にいらないんだよ」と、一学期の終業式の後、転校の初日に一番後ろの席から睨みつけるような顔をしていた山川裕太が、ちょっと来いと腕を取って校門を出た脇にある神社の境内へ光太郎を連れ出した。
私立のカリキュラムをこなし塾にも通っていた光太郎にとって、この転校先の学習内容はすべて終えてしまっており、繰り返された小テストの結果が、クラスの中でも絶えずトップであったので、当初忌み嫌われていたようなムードは三ヶ月で雲散霧消し、片岡幸子もここ教えてとノートを差し出し身体を近寄せるようになっていた。祥一も、日ごと評価のあがる自称第一の友だちが、誇らしげであることを隠さなかった。

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