開発

9月 15th, 2008 § 開発 はコメントを受け付けていません § permalink

西川はビル開発部ビル開発室から観光地開発室へ移動になり、下北沢のワンルームを引き払った。居残った狡賢い同僚は腕時計をチャリっと鳴らしてリストラに比べたら儲けもんだと囁いた。ゼネコン一般が低迷し、土地価格も下がりマンション購入者も激減する中、観光開発室の部長は、こんな時だからアイディア次第だと、無精髭と強いコロンの腕を西川の肩に回して曖昧に迎えた。この県では不動産デベロッパーとしては老舗の部類に入るが、最近の透明化により思惑が上下構わず錯綜し、他を覗いても責任を分散消耗させる手法に則った移動する人間が多かった。三十を過ぎて、会社に献身する意味を失い、いずれ自立することを考えていた西川にとって、現況の自分の置かれた状態よりも、少し先の未来を身体で予感して業務形態を刷新した新しい経営の軸となる考え方を、どこでもいいからじっくりと考えようと決めていた。
大学の頃から付き合っていた恋人にも、ボーナスカットの話をした時に浮かない表情をされ、その年のクリスマスにもう別れましょうと言い出された時には、むしろ肩の荷が下りた気がしていた。

逃走

9月 15th, 2008 § 逃走 はコメントを受け付けていません § permalink

野上タロウは、ギアをひとつ重くして外回りの道から湖畔沿いへ折れ加速した。高校への通学時にJRまでママチャリで往復していた頃は気にもとめなかったが、久しぶりに自転車で湖を一周しようとすると途中で息があがり、太腿も腫れたようにな り、身体が衰えているのかと自分でも驚いた。車の免許を取る際に単車も取りたいと父親に言うと、それは自分で稼いでからにしろと云われて諦め、バイト代をそのつもりで貯めたけれど、面倒くさくなってやめた。湖畔からやや離れたコテージの庭に置いてあったハーレーを眺めているとコテージの窓が鳴り、腹の出た男が窓の中から手招きするので近寄ると、俺はビルと言って窓を開け、キーをよこした。バイクをキックさせてくれ、それから何度か無免許で運転迄させてくれたが、メンテナンスが大変で車検もあると知り、用事のある時は父親の車を借りるだけで自分には無用だと思ったが、最近になって空気を切り裂くようなスピードを身体が求めている。
ビルのコテージには、タロウの知る限りでは、ほぼ最上完璧なのゲームとPCが揃っていて単車よりも、そちらに驚くと、いつでも来いといってくれた。御陰でプログラムも覚え、ビルに頼まれて端末の仕事をするようになり、カナダのビルの友だちとメールのやりとりもするようになった。肉体を楽しそうに酷使する日々を続ける友人のカワムラと、日々カウチネットサーフィンかゲーム攻略をする萎える身体ばかり進化する自分を比較して、これはいけないと思い切ってロードレーサーを購入し、ツールドフランスのDVDを眺めながら、カスタマイズした。

セラミックアトリエに突っ込むようなスピードで乗り込むと、カワムラはセラミックアトリエの裏で、吉本と一緒に運んだ岩からの粘土精製をしていた。タロウは、カワムラと同じ年齢で、カワムラがセラミックアトリエで働き始める前から、隣町の既に閉鎖されたレンタルビデオとゲームなどを販売する小さな店でアルバイトの店員と客という関係で知り合い、朝髭を剃る鏡の中の自分を眺めるように、互いのトラウマが重なるニュアンスを相手の姿の中、仕草の中などに即座に感じ取り、ゆっくりとした時間をかけて気を許す友人となり、一年前には、東京へ日帰りで一緒にでかけ、幕張で行われた巨大ゲームショーを見てきた。とはいっても、二人とも既に二十代後半であり、野上夫妻は契約社員の仕事を引き受けてはすぐに辞める息子の引き蘢りのような日々を怠惰と見捨てるように嫌悪し、自分達は健全な無農薬野菜の育成にかまけて、助長するカワムラを良しと思わない素振りを隠さず、夕食にも息子の友だちを誘ったことはなかった。カワムラ自体、この湖畔の街には根の無い流れ者の、どちらかというと良くない風評があり、幾度か何かある度に警官が職質に来ると囁かれており、これまでの全てが濡れ衣だったが、幾度も指紋採取を拒否したことは事実だった。だが、国道に並行した高速道路が敷かれて、避暑観光地のピーク時と比べると随分引き上げた廃屋の目立つようになったこの湖畔という場所自体が、外来の人間に犯されて潤う性質を過去から引き受けてきたこともあり、カワムラを排他的にどうこうするなどといった動きはどこにも生まれなかった。

カワムラが吉本に許されて工房で働きはじめ、日に日に腕や身体の肉が引き締まるのを、カワムラは懐かしく過去を引き寄せ、タロウは羨ましそうに眺めた。タロウはが本格的なレーサー仕様の自転車を購入し、俺もちょっと鍛えてみるよと、湖畔を時々巡るようになったが、一週間以上姿を見せないこともあり、それでもわざわざセラミックアトリエ迄迂回して坂道を登り、自転車で訪れるタロウの気まぐれを、カワムラは笑いながら手を振って出迎え、他愛無い会話を共有する時間が有り難いと思った。

吉本は、工房で働きたいと唐突に顕われたカワムラを、数回柔らかく追い払ったが、幾度目かの直訴の際、カワムラの逃走の顛末を聴き、その時はじめてどこに住んでいると聞き返した。
高卒で長距離運転手の父親は息子に自衛隊へ行けと命令し、後は自分で生きろと若い女と西で新しい所帯を持ち、後に二人子供ができたと手紙で知った。母親は小学校の頃、自動車事故で亡くなり、運転手の父親は祖父母に子供を預けたが、高校に入って祖父母は続けて他界した。自衛隊へ志願入隊し、2年の基礎訓練を終えても二十歳だった。継続して陸自に勤めたが、自分が原因となった不祥事があり、冬山訓練時に逃げた。実名は明かせないが、仕事をしたい。よく見れば、実直そうな言葉を選ぶ姿勢が吉本のどこかに届き、隣町のアパートを引き上げさせて、最初はセラミックアトリエの出来たばかりの釜小屋にベットを置き、部屋代なんて無駄だから貯金しろと、吉本はむしろ自分の仕事の曖昧さを戒めるように経済的な持続構築に力を入れるようになり、何処かに残っていた趣味的な自省的な癒しの名残を、カワムラによって消し去ることができたと考えるようになっていた。

そんな果てしないことやって俺には先がみえないよ。タロウがカワムラの上澄みを繰り返して掬い取る反復を眺めてぼやくと、ダンダンという音が大きくなり、タロウが指差すカーブから、これ貰っていいですかと朽ちた車体を修理したジムニーが呑気なスピードで現れ、セラミックアトリエの前に土ぼこりをジャリと短く鳴らして止まった。売り物を置いてくれている道の駅にある店に納品を終えた吉本がドアから降り、白い歯ぐきを出してタロウに向かって手をあげ、釜小屋の裏側を指差し、俺も普段はチャリにした。エコロジストだもんな。タロウが小屋の裏に回ると、フレームを銀色に塗りたくり、前後に大きな籠を無理矢理取り付けたママチャリが立てかけてあって、タロウは腹を押さえて吹き出した。俺もたまに乗るんだよ。笑うなよ。カワムラも釣られて笑い出した。

セラミック

9月 15th, 2008 § セラミック はコメントを受け付けていません § permalink

独身貴族の羽振りの良い叔父が突然仕事をやめて伝染病にやられたようにほとんど手作りの小さな小屋を建てはじめた時は、血の繋がった者は皆、厄介な秘密を抱え込んだ気分になり、北の国からじゃあるまいしと、人目を気にした。数ヶ月して出来上がったと報告があって恐る恐る遊びに行ったら叔父は随分痩せて小さい顔を俯かせて轆轤を回していた。小屋が出来上がって他にすることがなくなったら寝込んでしまうような気がしていたからほっとしたと、姉の母親は憑き物がとれたような顔をして娘に零した。叔父は本来の自分をみつけたんだと思ったわ。最初に窯から出した中から叔父が選んで差し出した、見てくれの悪い歪んだ湯のみをまだ使っている。あなたは人の身体を捻っているのだから、あそこに行けば良いものができる。誘いの理由をヒトミは健やかに吐露した。本川は、自分の横顔をX線のような眼差しにでみつめるヒトミを言葉と一緒に奥歯で受けて頷きハンドルを握った。窓の外は晴れ上がっていた。海へ出かける緩い渋滞の高速から降り、湖畔に着くとGWで賑わう人が戯れていた。

山から下り終えた池の縁で、立ち尽くしたまま首だけ捻るようにこちらに向けたヒトミの白いような姿に思わず頭を下げ、驚くヒトミの腕をそっと掴んで座っていた丸太まで引き寄せ座らせた。一緒に最終のバスで街まで戻り降り立った駅前でタクシーに乗り込むヒトミに今度一緒に映画に行きませんかと声をかけていた。バスの中では二人とも寡黙だったが、二週間後の週末に行った映画の後、食事の後酒を呑みながら、徐々にヒトミは饒舌になり、本川はそれを嬉しく感じながら、池の縁のヒトミにまとわりついていた自死のイメージを伝えずにいようと考えた。
本川は、相手の正体など放ったまま自分のことを話し続けるヒトミの只管な姿勢を黙って受け止めているだけで、甘く酔ったような気分になり、別れた妻の寡黙さに対して、工事現場の作業合図のような短い言葉を投げていた時と全く違った生き物の魂の香りを感じるのだった。恋愛のはじまりと考えると重怠いものが浮かんだが、偶然の出会いであり事故に近いもので、ヒトミの話を聴く程に、聡明で頭の回転の速い人間に感心するようにヒトミの存在に得心するのだった。一ヶ月半後に自宅に招き食事の後身体を重ね、女は翌朝接骨クリニックから会社に出勤した。女のカラダに都度促されるように首にしがみつかれ幾度も果てた身体を寄り添った時も、本川はヒトミに対する理知的な充足は変わらずにあることが不思議な気がした。

ヒトミは、些細な関係性を絶えずボヤく会社の人間たちとは異なった、清明な孤独感を隠さない本川の儚い笑顔が骨まで染み通り、傍にいるだけで良いと思える人間に出会えたのだから、彼が言葉を話せず音も聞こえなくても構わないと、映画館の中で黙って姿勢を崩さなかった本川に運命的なものを感じていた。幾度か会ううちに離婚歴のある接骨師と判っても、不安のひとかけらも浮かばなかった。

ヒトミの叔父の吉本の小屋には、セラミックアトリエと白い文字をペンキで書いた小さな板が立てかけてあり、体験コースありと小さく付け加えられていた。車の中で、ドロップアウトした男の文脈を聴いた時は、素人が趣味的に陶芸に手を出したリハビリ程度かと勝手に浮かべたが、工房の外観はおそらく突然の転向から10年は経過しており、小屋というより拡張された窯小屋も隣接され、窓際は値札のついた器を並べたショップとなっていて、体験コース申込書の横には、訪れた人間が自由に書き込んだノートが膨れてぶら下がっていた。

カワムラが裏から二人の前に現れて頭に巻いたタオルを取り、お久しぶりですと頭を下げた。伯父さんにしては随分若いね。本川がヒトミに囁くと、ヒトミはクスッと笑い、こちら本川さん、こっちはカワムラさん。あら、カワつながりね。
吉本は納品で出かけている。戻る迄1時間はかかるだろうとカワムラの説明を聞き、ヒトミは、じゃあホテルのラウンジで叔父さんが戻る迄お茶にしよと、カワムラも誘ったが、仕事がありますもんでとカワムラは断り、本川とヒトミは車でホテルに向かった。

LAKE “Structure of place”

9月 14th, 2008 § LAKE “Structure of place” はコメントを受け付けていません § permalink

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9月 13th, 2008 § 窓 はコメントを受け付けていません § permalink

カーテンを開けると、湖畔の前に広がる草原の濡れた植物を、大きな刷毛で大地を撫でるように、ゆっくり波打って渡っていく風が通り過ぎた。坂下は、最初は気ままな時間を、仕事に追われている時と変わらずに深夜まで酒を煽り電波状態がよろしくない映りの悪い地方番組のTVを眺めて夜更かしして過ごし、昼前の窓の外のざわめきで目覚めていたが、三日ほどで場所の理に諭されたように日の出の時刻に目が覚めるようになり、五日目の朝、まだ湖面が黒い鏡のような静けさをたたえている時に、窓の外を独り走る女性をみつけ、それから続けて毎朝同じ時間に窓に凭れて走り去る彼女を眺めて珈琲を飲むことが日課になった。
八日目に、走る女性は、湖上観光船の出る観光客も多い桟橋にあるニースというパン屋で働いていることを知った。
七日目にはバスに乗って一時間はかかる地方都市のスポーツ専門店でシューズとランニングの上下を購入したが、いざ走るとなると、走る女性の時間を避けるような尻込みが生まれ、日差しが垂直に落ちる頃になって走る格好はしながら双眼鏡や小型カメラをぶら下げ、走るというよりむしろ散歩することをはじめていた。

春の終わりに通院した医師より薬よりも暫く休みなさいと促され、会社には初夏にから初秋にかけての治療の為の休暇を申し出て、思ったよりそれが簡単に受理されたことが、更に気分を暗くさせたが、会社の友人からコテージのことを知り、半年続いたプロジェクトを終えたばかりであったこともあり、同じような仕事が更に続く予定だったが、仕事を覚えた部下も、いってらっしゃいと背を押してくれたことで、暫く独りで新緑の中、何も考えない時間を過ごそうと決めたのだった。ラップトップは持参して、緊急の対応はできる旨をクライアントにも伝え、表向きは企画開発を静かな場所で行うと格好をつけたが、皆が一様に現場から消える二度と戻らない人間を見送るような顔をしていた。

錯綜したプロジェクト業務の中、関係先へ出向く際、街の中で乱れた風な女性を眺め、気がつくと女を追いかけていた。女性の自宅前の公園で家から子を連れて出て来た女性は、真直ぐに歩み寄り、どういうつもりですか。と真直ぐに坂下をみつめた。後ろから通報して駆けつけた巡査に腕を掴まれ、そのまま逮捕されたが、自分でも何をしていたのか判然としなかった。女が寝入ってから戻り、朝は仕事に出かけ、不意に外にでてくると午後から坂下はいなくなり、四日の間、随分指揮系統が乱れたと部下は警察で、坂下の横で話したが、坂下は記憶になかった。別に何をしたわけでもなかったので、不起訴になったが、その後の治療で、急性の鬱病と診察され、薬の服用をはじめたが、会社から無理をするなと、丁度プロジェクトが完了する時を見計らって、薬をトイレに流した。

大きなコテージではないが、随分使い古されたクラシックなタイプで、むしろそれを選んだので、薪を割って風呂を焚くという仕掛けを喜んだが、風呂に入って出る頃には、鉈を振るった腕が下に垂れて力が抜け、自炊も日々質素で簡単なものとなり、三日続けた風呂焚きも、隔日から三日おきになり、とうとう向こう岸にあるホテルまで湯船に浸かりにでかける夜も増えた。だが、湖畔を歩き、釣り糸を垂らし、本を捲り、好きな時にビールを飲みながら歩く時間を続けていると、情報摂取などどうでもよくなり、とうとうTVモニターを地下室に運び仕舞い込み目の前から消し去って、代わりに埃を被り据え置かれていたターンテーブルなどもあるオーディオシステムの修理を、隣町の電気店の主人に、二日ほど来てもらって修理し、ネットでCDとレコード盤をあれこれ選んで注文し、ポップスなどよりもこういう環境では交響曲がなんともよいのだと知るに至った。

ニースのバケットは固くて旨いので、米を炊くよりパンを齧るほうが坂下のスタイルに合っていたので、ほぼ毎日通って焼きたてを購入し、走る女性がアルバイトではなく安藤ミツコという若い経営者であり、プロスノーボーダーであり、冬季はこの湖畔からも遠くないスノボーのメッカのゲレンデで教えながら、大会にも出場しているらしいことを、ニースの店内に飾られている写真などで知った。もともと古くからこの湖畔には別荘やコテージが立ち並び、避暑地として成熟した場所であり、新参の開発業者もなかなか無理ができない町の条例も多くあり、まだシーズン前であり、興奮を求める若者が集まるような観光地とも違ってひっそりとしており、坂下は日々癒されていく実感があった。
上司からは音沙汰が無かったが、プロジェクトの部下から幾度かメールが届き、坂下も息災を伝えようかとデジカメで撮影した景色を添付した簡単なレスを都度返していたが、コテージで過ごし始めて一ヶ月が過ぎようとする頃、友人と有給休暇をとったのでそちらに遊びに行ってよいかと、直属ではなかった部署のサポートとして奔走してくれた記憶もまだ鮮明にある、天野聡子からのメールが届き、その中に、坂下のデジカメの景色が素晴らしい。迷惑をかけません。宿泊はホテルを予約しましたと、度々湯槽に使っているホテル名が書かれていた。やたらに明るい女性だったなとラップトップの探ると、昨年の暮れの打ち上げ時に両手をあげた天野の天真爛漫なアウトフォーカスした姿をみつけた。

Where am I?

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