逃走

9月 15th, 2008 逃走 はコメントを受け付けていません

野上タロウは、ギアをひとつ重くして外回りの道から湖畔沿いへ折れ加速した。高校への通学時にJRまでママチャリで往復していた頃は気にもとめなかったが、久しぶりに自転車で湖を一周しようとすると途中で息があがり、太腿も腫れたようにな り、身体が衰えているのかと自分でも驚いた。車の免許を取る際に単車も取りたいと父親に言うと、それは自分で稼いでからにしろと云われて諦め、バイト代をそのつもりで貯めたけれど、面倒くさくなってやめた。湖畔からやや離れたコテージの庭に置いてあったハーレーを眺めているとコテージの窓が鳴り、腹の出た男が窓の中から手招きするので近寄ると、俺はビルと言って窓を開け、キーをよこした。バイクをキックさせてくれ、それから何度か無免許で運転迄させてくれたが、メンテナンスが大変で車検もあると知り、用事のある時は父親の車を借りるだけで自分には無用だと思ったが、最近になって空気を切り裂くようなスピードを身体が求めている。
ビルのコテージには、タロウの知る限りでは、ほぼ最上完璧なのゲームとPCが揃っていて単車よりも、そちらに驚くと、いつでも来いといってくれた。御陰でプログラムも覚え、ビルに頼まれて端末の仕事をするようになり、カナダのビルの友だちとメールのやりとりもするようになった。肉体を楽しそうに酷使する日々を続ける友人のカワムラと、日々カウチネットサーフィンかゲーム攻略をする萎える身体ばかり進化する自分を比較して、これはいけないと思い切ってロードレーサーを購入し、ツールドフランスのDVDを眺めながら、カスタマイズした。

セラミックアトリエに突っ込むようなスピードで乗り込むと、カワムラはセラミックアトリエの裏で、吉本と一緒に運んだ岩からの粘土精製をしていた。タロウは、カワムラと同じ年齢で、カワムラがセラミックアトリエで働き始める前から、隣町の既に閉鎖されたレンタルビデオとゲームなどを販売する小さな店でアルバイトの店員と客という関係で知り合い、朝髭を剃る鏡の中の自分を眺めるように、互いのトラウマが重なるニュアンスを相手の姿の中、仕草の中などに即座に感じ取り、ゆっくりとした時間をかけて気を許す友人となり、一年前には、東京へ日帰りで一緒にでかけ、幕張で行われた巨大ゲームショーを見てきた。とはいっても、二人とも既に二十代後半であり、野上夫妻は契約社員の仕事を引き受けてはすぐに辞める息子の引き蘢りのような日々を怠惰と見捨てるように嫌悪し、自分達は健全な無農薬野菜の育成にかまけて、助長するカワムラを良しと思わない素振りを隠さず、夕食にも息子の友だちを誘ったことはなかった。カワムラ自体、この湖畔の街には根の無い流れ者の、どちらかというと良くない風評があり、幾度か何かある度に警官が職質に来ると囁かれており、これまでの全てが濡れ衣だったが、幾度も指紋採取を拒否したことは事実だった。だが、国道に並行した高速道路が敷かれて、避暑観光地のピーク時と比べると随分引き上げた廃屋の目立つようになったこの湖畔という場所自体が、外来の人間に犯されて潤う性質を過去から引き受けてきたこともあり、カワムラを排他的にどうこうするなどといった動きはどこにも生まれなかった。

カワムラが吉本に許されて工房で働きはじめ、日に日に腕や身体の肉が引き締まるのを、カワムラは懐かしく過去を引き寄せ、タロウは羨ましそうに眺めた。タロウはが本格的なレーサー仕様の自転車を購入し、俺もちょっと鍛えてみるよと、湖畔を時々巡るようになったが、一週間以上姿を見せないこともあり、それでもわざわざセラミックアトリエ迄迂回して坂道を登り、自転車で訪れるタロウの気まぐれを、カワムラは笑いながら手を振って出迎え、他愛無い会話を共有する時間が有り難いと思った。

吉本は、工房で働きたいと唐突に顕われたカワムラを、数回柔らかく追い払ったが、幾度目かの直訴の際、カワムラの逃走の顛末を聴き、その時はじめてどこに住んでいると聞き返した。
高卒で長距離運転手の父親は息子に自衛隊へ行けと命令し、後は自分で生きろと若い女と西で新しい所帯を持ち、後に二人子供ができたと手紙で知った。母親は小学校の頃、自動車事故で亡くなり、運転手の父親は祖父母に子供を預けたが、高校に入って祖父母は続けて他界した。自衛隊へ志願入隊し、2年の基礎訓練を終えても二十歳だった。継続して陸自に勤めたが、自分が原因となった不祥事があり、冬山訓練時に逃げた。実名は明かせないが、仕事をしたい。よく見れば、実直そうな言葉を選ぶ姿勢が吉本のどこかに届き、隣町のアパートを引き上げさせて、最初はセラミックアトリエの出来たばかりの釜小屋にベットを置き、部屋代なんて無駄だから貯金しろと、吉本はむしろ自分の仕事の曖昧さを戒めるように経済的な持続構築に力を入れるようになり、何処かに残っていた趣味的な自省的な癒しの名残を、カワムラによって消し去ることができたと考えるようになっていた。

そんな果てしないことやって俺には先がみえないよ。タロウがカワムラの上澄みを繰り返して掬い取る反復を眺めてぼやくと、ダンダンという音が大きくなり、タロウが指差すカーブから、これ貰っていいですかと朽ちた車体を修理したジムニーが呑気なスピードで現れ、セラミックアトリエの前に土ぼこりをジャリと短く鳴らして止まった。売り物を置いてくれている道の駅にある店に納品を終えた吉本がドアから降り、白い歯ぐきを出してタロウに向かって手をあげ、釜小屋の裏側を指差し、俺も普段はチャリにした。エコロジストだもんな。タロウが小屋の裏に回ると、フレームを銀色に塗りたくり、前後に大きな籠を無理矢理取り付けたママチャリが立てかけてあって、タロウは腹を押さえて吹き出した。俺もたまに乗るんだよ。笑うなよ。カワムラも釣られて笑い出した。

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