独身貴族の羽振りの良い叔父が突然仕事をやめて伝染病にやられたようにほとんど手作りの小さな小屋を建てはじめた時は、血の繋がった者は皆、厄介な秘密を抱え込んだ気分になり、北の国からじゃあるまいしと、人目を気にした。数ヶ月して出来上がったと報告があって恐る恐る遊びに行ったら叔父は随分痩せて小さい顔を俯かせて轆轤を回していた。小屋が出来上がって他にすることがなくなったら寝込んでしまうような気がしていたからほっとしたと、姉の母親は憑き物がとれたような顔をして娘に零した。叔父は本来の自分をみつけたんだと思ったわ。最初に窯から出した中から叔父が選んで差し出した、見てくれの悪い歪んだ湯のみをまだ使っている。あなたは人の身体を捻っているのだから、あそこに行けば良いものができる。誘いの理由をヒトミは健やかに吐露した。本川は、自分の横顔をX線のような眼差しにでみつめるヒトミを言葉と一緒に奥歯で受けて頷きハンドルを握った。窓の外は晴れ上がっていた。海へ出かける緩い渋滞の高速から降り、湖畔に着くとGWで賑わう人が戯れていた。
山から下り終えた池の縁で、立ち尽くしたまま首だけ捻るようにこちらに向けたヒトミの白いような姿に思わず頭を下げ、驚くヒトミの腕をそっと掴んで座っていた丸太まで引き寄せ座らせた。一緒に最終のバスで街まで戻り降り立った駅前でタクシーに乗り込むヒトミに今度一緒に映画に行きませんかと声をかけていた。バスの中では二人とも寡黙だったが、二週間後の週末に行った映画の後、食事の後酒を呑みながら、徐々にヒトミは饒舌になり、本川はそれを嬉しく感じながら、池の縁のヒトミにまとわりついていた自死のイメージを伝えずにいようと考えた。
本川は、相手の正体など放ったまま自分のことを話し続けるヒトミの只管な姿勢を黙って受け止めているだけで、甘く酔ったような気分になり、別れた妻の寡黙さに対して、工事現場の作業合図のような短い言葉を投げていた時と全く違った生き物の魂の香りを感じるのだった。恋愛のはじまりと考えると重怠いものが浮かんだが、偶然の出会いであり事故に近いもので、ヒトミの話を聴く程に、聡明で頭の回転の速い人間に感心するようにヒトミの存在に得心するのだった。一ヶ月半後に自宅に招き食事の後身体を重ね、女は翌朝接骨クリニックから会社に出勤した。女のカラダに都度促されるように首にしがみつかれ幾度も果てた身体を寄り添った時も、本川はヒトミに対する理知的な充足は変わらずにあることが不思議な気がした。
ヒトミは、些細な関係性を絶えずボヤく会社の人間たちとは異なった、清明な孤独感を隠さない本川の儚い笑顔が骨まで染み通り、傍にいるだけで良いと思える人間に出会えたのだから、彼が言葉を話せず音も聞こえなくても構わないと、映画館の中で黙って姿勢を崩さなかった本川に運命的なものを感じていた。幾度か会ううちに離婚歴のある接骨師と判っても、不安のひとかけらも浮かばなかった。
ヒトミの叔父の吉本の小屋には、セラミックアトリエと白い文字をペンキで書いた小さな板が立てかけてあり、体験コースありと小さく付け加えられていた。車の中で、ドロップアウトした男の文脈を聴いた時は、素人が趣味的に陶芸に手を出したリハビリ程度かと勝手に浮かべたが、工房の外観はおそらく突然の転向から10年は経過しており、小屋というより拡張された窯小屋も隣接され、窓際は値札のついた器を並べたショップとなっていて、体験コース申込書の横には、訪れた人間が自由に書き込んだノートが膨れてぶら下がっていた。
カワムラが裏から二人の前に現れて頭に巻いたタオルを取り、お久しぶりですと頭を下げた。伯父さんにしては随分若いね。本川がヒトミに囁くと、ヒトミはクスッと笑い、こちら本川さん、こっちはカワムラさん。あら、カワつながりね。
吉本は納品で出かけている。戻る迄1時間はかかるだろうとカワムラの説明を聞き、ヒトミは、じゃあホテルのラウンジで叔父さんが戻る迄お茶にしよと、カワムラも誘ったが、仕事がありますもんでとカワムラは断り、本川とヒトミは車でホテルに向かった。