夜の道

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人気の無い交差点で車を止めるとカーラジオがノイズを拾った。数時間の運転で車内は若干結露し、ウインドウの四隅が曇っているのでシートベルトを緩めて左手首の袖を指先に包んで拭うと、痕跡が信号の光を屈折させるので、先ほどより喧しい視野になってしまった。この交差点の信号の時差は随分長いなと感じ始めた時、誰もいないと思った筈の歩道に背を丸めた女が立っている。俯きながらゆっくり同じ場所を回るようにサンダルの踵を時折アスファルトに打ちつけるような仕草で、両手はポケットに垂直に突っ込まれ、気づけば、田園の広がる人家の灯りも遠い場所で、国道から逸れた脇道であったので、こんな時間に家を飛び出した癇癪持ちの嫁が、憤りを収めきれずにいると思った。

海沿いを走る頃は、夕陽の残照を眩しく受け止めていたが、内陸へ向かい始めるとすぐに濃霧となり暗くなった。電源も持たず一泊の出張だったが取引先とのやり取りで携帯のバッテリーは切れ、公衆電話を探して家族に帰宅の遅れを連絡することもせずに、深夜寝静まった家のドアを音を殺して開ける自分の姿勢などを思い浮かべた。県境を超えるとラジオの電波が途切れ、チューニングを直したが地形の関係だろう、流れる曲やパーソナリティーの声も途切れがちとなり、ラジオを切ると途端に物寂しくなり腹も減った。コンビニの灯りをみつけて車を寄せ、菓子パンと缶コーヒーを買って座席で簡単な夕食を済ませ、高速に乗ろうかと一度は考えたが、どうせ夜中になるのだからと呑気に下の道を行くことに決めた。

海に行くならお土産は貝殻でいいよと手を振った子の声を憶い出し、言い訳を並べたががっかりする娘の表情ばかり克明に浮かぶので、次の連休には海へ連れて行こうと再びつけたカーラジオから流れる曲に合わせて呟いていた。

信号が青になったので、ヘッドライトを点けギアをローに入れクラッチを踏み込んでアクセルを弱く踏み込むと、交差点左手の歩道の先の女の俯いていた顔がこちらに向けられた。ライトに照らし出されると、女の挙動は停止し、前のめりに前髪を右手でかき分け車の移動に合わせた睨みつけるような視線が、道に飛び出した鹿のような動物めいたひたむきな輝きをともなって弓矢のように届いた。その強さにこちらも縛られるように首を左へ回転させたが、衝動的な反射でアクセルを踏み込み、左手の指先で瞼を押さえてから、ラジオをつけた。フロントミラーに、真直ぐこちらへ走る女の姿が見えると背筋から両腕に鳥肌が走り、大きく息を吸い込んでから、車を脇へ寄せて停車させ、女を待った。

2009年5月 5日 08:31

誓い

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22年の間、紆余曲折はあった。 流れるものが枯れても共に泣いた妻が癌で不意に逝った時、自分が不幸などとは思わなかった。悟と路子と三人で過ごした八年を繰り返し辿る日々が変わる訳ではなかった。独りになって家族の元へ逝こうと思うことはあったが、生きていれば結婚し可愛い妻と孫を連れてきただろう悟の成長の陽炎を、食卓やニュースなどあらゆる事から想起することで、死んでなどいられないとひたすら静かに毎朝起きるのだった。妻と泣き崩れること自体が幸せということなのかと逆さまを納得する錯乱も静かに流れたが、それに慣れることはなかった。絶えず意識は先鋭化し、茶碗をみつめるとそのうち割れてしまうと思った。仕事は大袈裟な突出を控えた、草むしりのような残務処理を率先して選び、最初は同情的だった同僚との会話もなくなり、妻が泣きつかれて寝入ってから、毎晩歴史書を捲りながら、死んでいった人々の面影を追うことで、今生きている筈の悟の姿を、昨日より鮮明に捏造したい気持が膨れるに任せた。そうした時間を生きることが自分の与えられた使命となったと考えた。

秋川を殺そうと三度考えて二度止めている。最初は、事故から3年目に2年の禁固刑の実刑受け出所した秋川が、両親と共に自宅に訪れ、頭を下げた時に明快な殺意というものが初めて芽生えていた。一週間後に妻に秋川を殺してくると告げると、路子は動転し、そんなことをしてもわたしの気が済まない。あなたがいなくなるとわたしはどうしたらいいと殺意を封じ込めた。路子との生活が私を鮮明にしてくれていたので、その後18年の間、殺意は消えたわけではなかった。秋川の動向は絶えず調べていた。

病院のベットで、路子は自分の余命を察知したのだろう、わたしが逝ったらあなたの好きにしなさいと微笑んでくれた。あなたのその目つきだったら、睨んだだけであいつは死んでしまうわ。悟と待っているわね。小さく囁いた時に二度目の殺人を考えたが、いざその気になって詳細を調べた秋川の家族の様子が、生きていた筈の悟が辿る人生の幻視したそれとあまりに酷似していたので、躊躇いが生まれ挫折した。然し、秋川の近隣の住民から、家庭内暴力のことを聴き出したことで、三度目の殺意を成立させることができた。決行まで2年費やした。

2009年5月15日 09:31

路傍

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「向こうの六彦がバスケの試合が終わったとかでそこを走ってきた。やあじいさん元気かと肩で息をはあはあさせて座り込んで、疲れた〜といいやがる。ここでたらふく水を飲みやがってえへへと笑ってまた走ってった。あいつは高校か中学生か」
三郎は半ば独り言のように呟きながら六彦が口をつけて喉まで水を垂らしながらむしゃぶりついた蛇口のある外の流しで汚れた両手を手首までゆっくりと洗い、首に廻した手ぬぐいで拭ってから腰にぶら下げ、胸のポケットから煙草を取り出し火を点けてから椅子代わりに使っている切り株に腰を下ろした。
庭先に筵を広げて座り込み、食事の足しにと自分たちの畑で細々と栽培している枝豆を枝から鋏で取り分けながら、明子はもう高校だよと答えてから、
「ああいう若いもんが疲れたっていうのはなんだか気持が良いけど、いい大人が疲れた疲れたっていうのを聞くと、こっちまで疲れちまうね」
明子もまた独り言のように俯いて鋏を動かしながら、漂ってきた煙を吸い込んだ。

三郎は何も答えず目元がぼんやりするまで煙草を長くふかし、いい大人ってのは、あいつしかいない。家の前から続く路の先を眺めながら思った。たしかに六彦の疲労はすぐに快復する健気さに満ちているが、あいつが繰り返すツカレタは、まるで病気か怪我の病人が治らない痛みを、地獄の底で延々と痛い痛いと云っているようなものだと、顎を向けて明子の背中をみつめた。

「そうだなこっちまで痛くなってくる」
疲れてるんじゃなくて憑かれてるんだわ。と胸の内に言葉を棄てた。

2009年6月 9日 11:33

Where am I?

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