異傾悟

11月 30th, 2015 § 異傾悟 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 膝に頭蓋のかたちが透けた顎を乗せ細長い臑を抱いている骨腕の外側も内側にも幾筋かの傷跡が南方の民の泥を擦り込んだ彫物のように膨れて走っているので思わず腕を伸ばし指先で触れると、姿勢を崩さず嫌がる素振りもなく童顔とも大人とも云えない表情の変化のない面相の窪んだ穴の中の目玉だけをこちらの指先へすっと動かしてから腹に巻き付けたモノを捲りとり自分の脇腹を晒し変形した肋の、岩が削ったかの歪んだ炎の筆痕のようにもみえる大きな傷痕を、手のひらで広げ男は口元を曲げて頑強な歯茎をみせたので笑っているのだと呆れつつ理解した。こちらの貌の広がりをみつけたのか男はやおら四つん這いになり腰巻きも落とし獣の格好をして太腿から尻にかけて閉塞した臍のようなみっつの傷をこれまた皮膚を引っ張るようにして示す。散弾の痕だと思われる。その傷にも触れて痛かったろう玉はどうしたと小さく声をかけると、指をひとつ前に突き出し唇をとがらせ(ぱん)と音の無い口の形をつくった。尻の穴も陰茎も金玉もこちらに晒したくせに無邪気さはそこにはなく、男の動作の早いようでいて静止が不思議な間隔で挟まる沈黙の仕草の速度だろうか動きだろうか、どこか哀しみが漂う風情は消え失せることはない。誰が縫ったか人の所有を離れたTシャツや下着やスカートだろうか縁の荒れた模様断片をちぐはぐに縫い合わした滑稽さがむしろ凄惨に感じられる継ぎ接ぎの帯布を腰と腹に巻き付けて膝を抱え、やはり顎を膝に乗せて半身を緩く前後に揺するように焚火へ掌を広げる。男の瞳の瞳孔は絞られて炎を捉えこちらが薪枝を焚火に放って火の粉が立ち上がると広げた指が握られる。足元の皿には焼いた魚が残されている。膨れた髪に隠れる昏い表情からして食欲は失せたようだった。炭焼きの木崎の親父が布状の衣を洗濯したせいで男からは彷徨者特有の臭みが漂うことはなかったが、熱で温められた腕肉からやがて骨まで染み込んだ動物が香るようだった。ところどころ泥か樹液で固めたのだろう森の中の苔の匂いがする不揃いに断ち切った髪も無理矢理洗ったと親父から聞いていたけれどもその剛毛は未だに解けず小さな枝が幾つも新たに巻き付けてあり、一つの枝にはまだ青い葉が残っている。骨が皮膚からつきでる危うさで脂が抜け落ち痩せているのだが皮膚を張り骨を動かす肉は堅牢で無駄がないように見受けられた。 » Read the rest of this entry «

移動転任

8月 25th, 2015 § 移動転任 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 ふといきなりモノがみえる。それまで瞼を閉じていたわけではなかった。肺が大気をこの時とばかり大きく吸い込む充溢と同じことを瞳がしたのだった。斜めむこうに座って電車に揺られ携帯かなにかを包んでいる女性の指が、その皮膚が透き通って骨となり、否そうではなくて、骨が皮膚と本質を入れ替えた白さで、ベロンとひっくり返ったあっけなさで、表に顕われている。指の根に集まる静脈の青が紫に変わったのは走る箱が地下へ入ったからだろう。振動も音響も絶えたようなみえ方で、歩けば数メートルはある筈の離れた存在の年齢や姿形や固有名や人格を必要としない異形がまるで掘り出された遠い過去の発掘骨塊のような時空粒子を輪郭に浮かばせて、彼方から降り落ちた光を捉えて離さない目玉の奥に、存在の普遍が静かにただただ流れ込むように入ってくる。焼かれたばかりの香りも眼底に燻って、地下の駅でドアが開く度に外へ流れ出るのが惜しいように感じるのだった。ふいに見えることは考えることではなかった。それにしても長い間何も見ていなかったのは考えていたからだろうかと愚にもつかない屈託が小さく生まれたが、瞳は開いたまま骨指から動かない。終着駅で停車して一度車内の灯りが明滅すると藻に隠された澱みの中に融けるように指の煌めきはすうっと消えていく。立ち上がった人々に隠れて骨指の主が誰かわからなくなると背後から追いかけて指を探すつもりもなかった。歩き出せば先程の邂逅などすっかり喪失し汗を拭うこともせずに暫くはみることも聴くことも戒めるかに足元にみつめを落としてすすんでいた。というのも関心はやや垂れ下がった雲に覆われた山々に既にあったから兎に角雑踏を逃れでなければという切迫が、どういう契機かわからないけれども唐突に視覚が開く以前の遠路黙した亡失の時間に遡ってみえていなかった時間に似たのかもしれない。大気の尻が淵の底で倦怠に膿むほど熱せられ上昇を逆さまにアスファルトの磁性と重力に捉えられ滞っている街路を無感覚に過ぎると上り坂となり、標高はと振り返れば、眼下に通り抜けた鍋底に隙間無く散乱した集積が朽ちた回路のように見下ろすことができた。種類の異なる大気に触れる臨界に届いた弱い風の降りる場所で、血の混濁を沈めて洗浄する体感に任せると肩に力の残った戒めも解け、晩夏の短命なモノたちの鳴き声やら渓流の渦やら梢の震えなどが耳を澄ますより先に届いている。移動すること自体に全てを任せると数時間前に決めたことを弱く憶いだしてまた歩みはじめるのだった。 » Read the rest of this entry «

枯聲墾詩

5月 28th, 2015 § 枯聲墾詩 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 猛禽か齧歯か、与り知らぬ小天狗道化の嘲笑を体に纏う輩が滑空した大気痕を斜めに追って顎を突き出し、枝間を睨みあげた眉の形を崩さず前のめりの格好のまま進む。というのも闇の中焚火炎に照らされ、また溜りの月光反射に咽ぶ彼らの飛翔に気づく度ちぃと舌を鳴らしていた。小憎らしい奴らの宙空へ遺した手を伸ばすと掴めそうで届かない飛行景を夢の中で「下ではなく上へ」と諭されるかに幾度か喉を反らして巡らせていたので、痕跡が結ばれる樹々の間隔と高低差をぬんと繋ぐ目付きとへの字に曲がった唇の形はいつまでも消えない。猛禽はまだしも齧歯のふざけた肢体のまま落下の速度で真横に流れることが気に触る。彼の目玉に乗り移ることのできない今世の軀のつくりが怨めしいのか。狐狸の徘徊には別段思いは膨れない。なにしろ宙空を浮遊したことなどないくせに夢のつづきでふわりと浮かび泳ぎこうだったのかと浮遊法の取得を歓ぶ束の間の錯覚の喘ぎが覚醒後も消えないからだと思われる。現在を切り裂いて「みえること」を遠く高く放り上げる手がかりが彼ら飛行類にある。錯乱に似た息を吐くこちらに出会うものは人間であっても魑魅魍魎であっても目玉が互い違いに上と下へ向けた気の振れた生き物と突き放し関わりを背けるだろう。 » Read the rest of this entry «

千層遡行

2月 17th, 2015 § 千層遡行 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 引き戸を後ろ手に閉めると、金属質な籠りの中、植物が鼻孔から瞳の奥へ薫り差し瞼が潤んだ。河原の土手をダンボールで滑り落ち、笹の繁みの中で緑色が滲んだ膝小僧を頬にすり寄せた軀の形が皮膚の下に弱く広がる。深く吸い込んでから呼吸を整え、目を凝らしたが、店の中にはそれらしいものは見あたらない。  
 雨の残りが俄に降って、駆け込むほどではない軽いものだったが肩は皮膚まで湿っていた。知らぬうちに身体に染みたかと袖口に鼻を近づけると、手の甲に黒いものがぽたんと垂れた。  
 ほんの数分前、互いが驟雨に慌てたのだろう、歩道のすれ違いざま今時の赤い長髪に隠れた華奢だが固い肩が額に当たり顔を顰め、妙に女性的なコロンの香りが鼻につく白いツナギ姿に身を構えたのだったが、意外に繊細な柔らかい声でスミマセンと腰を曲げて頭を下げられ痛みは和らいだ。背丈のある細い身体の背中に有坂石材店と印刷された文字を読んで、走り去る姿に、石というのは、つまり墓なんだろうなと一瞬印象と認識が揺らぐのを遊ばせるように空を見上げ、細かい雨の落下に暫らく顎を預けると、眉間に焼き栗を乗せたような甘い痺れが丸く残っていた。  
 手提げから出したタオルで手の甲、口元を拭うと、思いのほか汚れ、喉まで血液の名残りがあって、雨露に薄められ余計に広がったかなりの量が胸にまで落ちていた。啜ってから鼻腔を広げる。でもやはり、この濃厚なミドリイロは近くから流れてくる。 » Read the rest of this entry «

仄声微睡

11月 20th, 2014 § 仄声微睡 はコメントを受け付けていません。 § permalink

 雪融けだったか梅雨の後先だったか泥濘の所々に水溜りがありそれを好んで踵で踏み込み深く削られた轍の泥穴に長靴を残したまま足首だけがすっぽり抜けると背後でげらげらと笑いが立った。路傍の繁みから毟り千切った枝の余計を払い撓る鞭を手に振ってひゅうひゅう足元の空を切り歩む道草には汚い野良犬が彷徨き運動靴で糞を踏めば終日指を指され陰口がたわいもなく表に開かれ泣く子供も珍しくない。蓋し泣いた子は翌日には洗い流された靴の裏を見せてあっさりと笑っている。帰り道の土路には盛り上がった馬糞があり、温かいうちに素足で踏めばそりゃ速く走ることができる。夕焼けの向こうにまだ荷を轢いた馬尻の見える垂らしたばかりの湯気のあがるモノに、白い鼻水を垂らした年上が物知りの表情でこちらを促しながら裸足になり鼻をつまんで神妙な餅搗きの音をだし足踏みをして糞を捏ねると臭いが広がり目玉にしみる。この時から犬のものより馬の糞のほうが聖となったが素足で餅搗きをした記憶はない。子供らは等しく草臥れ汚れた服装をして年上は年下に無理強いをしなかった。山寺の園に通う石段をのぼる記憶は鮮明だが下り降りる景色は失せている。土地に新参不慣れなまだ若いふた親は共稼ぎだったから、此処で産まれ育つ息子は独りで土尻という川の脇の借家の庭に親たちが気味悪がるほど延々と小さな泥穴を幾つも掘り、縁側にカエルの卵を持ち帰れば怒鳴られて棄てられ、部屋の中では厭きもせず積み木をしていた。趣味なのか気まぐれなのかおそらく十五歳の差がある父親代わりの長兄の影響もあったかもしれない時代の流れに逆らわない父親が撮影して遺した当時の白黒写真にはその様子が鮮明に写されており、子供は大人になる途中その写真によって幾度も記憶の硬化を促されている。およそ二十年後に記憶を確かめる為に取ったばかりの免許の車でこの辺りだと辿ってみると当時の借家はまだ残されていた。全てがスケールダウンしている。腰を落とし幼子の視線の高さで符合する景色が幾つかあったが、当時瞼には水平に広がっていた場所のパースペクティブが、本来は寧ろ谷の垂直が視野に迫る形であると判り以降予想した以上に閉塞した場所となって認識が上書きされた。留守と子供の世話を任された家政婦は、彼女にとっても慣れない仕事だったのだろう責任を大きく抱え過ぎた厳しさと緊張で幼子を見張る目付きで土地にしてみれば不相応な給金で勤めたがそれが仇ともなったと考えることもできる。物心を育む幼子にしてみればあれは駄目これは駄目と子供に何かあったら申し訳が立たない家政婦は否定を繰り返し、叱りの反復を共有せざるを得ない行動を制限される時間によって人間は怖いとだけ三つ子の魂に擦り込まれ情愛の欠けた対人不信がしっかりと深く幼子に根を張った。けれども子供は家を抜け出し年上に誘われて橇で坂を転げ落ち森に入り川に石を投げていた。土地柄としては珍しい映画館があり休日には父親が子供を連れて西部劇ばかりを観た。成長期の核家族の稼ぎは目に見えて豊かになり取って付けたようなミスマッチの服装で独り校庭に踞っている画像があり他の子供は二人組になった踊りの途中とみえる。若い女性教師が飛び入りして子供の相手となったけれども、あの時の女性教師の貌と違和感とわだかまりはなぜかくっきりと憶いだすことができる。村に一軒だけあったおもちゃ屋に置かれた眩しいような金属のロボットを幾度か強請ったけれどもふた親は息子に買い与えることをしなかった。玄関に来た物乞いに家政婦が何かを与えて追い払う様子を襖の脇からみつめていると振り返った家政婦は物乞いに向けたものと同じ表情をこちらへ投げてなにかを叱りつけたけれども、この人間にとっては乞食と自分は同じ立場だと幼子は思ったものだ。風呂の蛇口を銜えて奥歯が挟まり抜けなくなって泣く歩きはじめた程度の下の娘を助ける為に蚊帳の中ぷうとピースの煙を吐いてプロレス中継を観ていた父親は風呂場に走り込み強引に娘の口を捻ると生えたばかりの奥歯が容易く捥げた。独り残された五歳の息子は村医者に走ったまま帰らないふた親とだらだら口から止まらない血を流した妹を、眠らず何もせずに深夜迄暗闇の蚊帳の中で座り込み、ただ只管にじっと待っていた。 » Read the rest of this entry «