白衣

7月 7th, 2009 白衣 はコメントを受け付けていません

新聞の一面に白衣を着て木陰で煙草を吸っている男の変哲も無い様子の写真が大きく飾られ、白衣の殺戮と見出しが掲載された。

昼飯を終え、回覧板を持って佐藤時男さん(68歳)が、阿川健司さん(74歳)宅の玄関のドアの呼び鈴を午後1時30分に押した。鍵がかけられていなかったので、ドアを開けながら大きな声で阿川さんの名前を呼んだ。返事はなかったがすぐに匂いに気づき怖くなって自宅へ駆け戻り警察へ電話をした。付近を巡回していた榊伸彦(28歳)巡査が自転車でまずかけつけて阿川さん宅へ入ると、台所に大量に流血した人間が数人重なるように倒れている。子供を含めて5人を確認している。すでにみな脈はなかったが、救急車を呼び、本部にも応援依頼の電話をしている。家の中を巡ると、リビングの窓が少し開けられ、血の跡が外へ続いているので、庭に出ると、芝生に凶器とみられる血のついた出刃が三本転がっており、庭の奥の松の根元に白い白衣が血で汚れた男が座っている。この時はまさか、犯人とは思わずに榊巡査は近づいて大丈夫かと声をかけた。男は何食わぬ表情で頭を下げ、煙草ありますかと尋ねたという。巡査は煙草を差し出しながら、この時犯人かもしれないと思ったと後で証言している。理由は白衣という場所に似合わないものを着て、少しも怯えた様子ではなかったことと、血がこびりついた両手を拭こうともせずに煙草を受け取ったからだと説明したが、それを聞いた担当の刑事は、すぐに押し倒せと吐いた。
榊巡査は、白衣の男の前に片膝を立ててしゃがみ、いつでも迎え撃つ姿勢で一体どうしたと声をかけている。男はしばらく黙ったままだったが、あんたが手錠をかけるのと榊巡査の目をみた。巡査はそれに答えずに名前と住所はと聞くと、男は白衣の下に手を差し入れたので腰の警棒に手を添えたが、男は財布を取り出し、汚れちまうなと呟きながら免許証を差し出している。逃げないよ。と呟きに加えるように口にして、再び煙草をせがんだ。あの目は狂った人間のものではありませんでした。と榊巡査は、応援が駆けつけるまで、そのまま離れた場所に座ったままだった説明をした。

新聞に掲載された写真は、佐藤時男さんの長男の一朗さん(38歳)が、自宅の庭から望遠レンズでこの時に撮影した。足の捻挫で会社を休んでいた一朗さんは、父親から隣が大変だなんだかおかしいと聞き、趣味のデジタルカメラを持って庭先の塀に身を隠すようにして隣をのぞいたと後で証言した。訪れた新聞社の記者は、これ使わせてくださいと思ってもいない金額を示したので、データメディアをそのまま差し出したという。
現在取り調べをうけている被疑者は外科医の松下浩二(31歳)。亡くなったのは、阿川さんと家族で、妻の佐知子さん(68歳)、同居していた長男の一男さん(42歳)、長男の妻の梓さん(36歳)、孫の健太郎君(8歳)の5名。平日に子供も学校を休ませ、長男も会社に前の日に休む旨を届けている。目下被疑者から詳細を聞き出しているが、黙秘をつづけている。現場検証から、犯行は早朝に行われていることがわかった。つまり、昼過ぎまでの6,7時間の間、被疑者の松下浩二は、庭の松の下に座っていたことになる。死因は失血死で、全員動脈を断ち切られている。解剖の結果阿川さんを除いた家族から大量の睡眠薬服用が認められ、争った跡はない。阿川さん本人には顔面と頭部、頸部に殴られた鬱血と腫れがあり、睡眠薬は検出されなかった。

走り書きのメモを読み終えた編集長の田村は新聞を机に放り投げ、これちょっとおかしいだろ。と後藤を睨んだ。
「怨恨でしょうね。でも、被疑者が医者ってのは、よっぽどですね」
田村はおうむ返しに、よっぽどだと呟いて、恨みってのはどうにも消えねえ。じゅくじゅく育つからなと付け加えた。

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