昨夜寝入る前になってようやく雨がすっと止み、物音が絶えたような闇夜となった。窓板を持ち上げたが月もなかった。日の出る前の霧の中、泥濘を裸足で川縁まで歩き、石を積み上げた土手の崩れを眺めた。年寄りがこの雨が収まるまで近寄るなと睨んだ眼差しを憶い出し、水の量もまだ多い流れの速い良く知った川に足を入れなかった。そのまま隣村へ繋ぐ山沿いの道の、ヒロタが一年前に滑る足を止めるためにと根気よく枝を敷いた枝道(皆がそう呼ぶようになった)まで駆け上がると、ここも所々壊れ、濁った泥水が道を削りながら枝を幾本も流しさっていた。苦労をしてつくったものが長い雨で簡単に壊されてしまい、残念でココロが苦しいような気持になると、床の中では不安に締め付けられたが、いざそのとおりの様子を目にすると、ヒロタは、今度はどうやって壊れないようにつくろうかと、なんだか嬉しくなるので、不思議だと思った。
村の中央にある井戸端の水たまりで年寄りが転んで腕を折ったと聞いて駆けつけ、随分時間をかけて熱中し、日ごと独りで井戸端に土を盛り岩石を敷き詰めて、溢れた水が外側へ流れ出るように工夫をし、溝を掘って川へ繋げた時も、自分のこの手でひっそりとよろしくなり、年寄りも転ばなくなることが、ヒロタは嬉しかった。隣村の牛飼いの乳を入れる為の器を探して、何日も山を歩き回り、ようやくみつけた空洞の倒れた巨木を引きずり下ろし、たっぷりと白い乳が注がれる大きな器を仕上げた時も、牛飼い以上に喜んだ。
雨漏りから薪、洗濯の足場から煮釜の磨き、植え込みの移動まで、声をかけられれば、座り込んでそれらをみつめ続けゆっくりと手を触れ始める。ヒロタはそれに没頭し、「よりよいかたち」へと仕上げた。時には頼んだ方が、もうやめろとその熱中を心配した。だが、ヒロタは、ただそうすることが嬉しく楽しかった。