握り飯

6月 25th, 2009 握り飯 はコメントを受け付けていません

背を曲げて手にした柄杓から幾度も汲み取り、襟元まで濡らしながら雪解けの清流を飲み干す夫を見ながら、明子はようやく安堵が広がるような気がした。
手を大きく鳴らし、社の前では若いカップルに頼んで、随分放っておいたカメラの前にふたりで並んだ。賀津夫のリュックには、痛み止めの薬を忍ばせてあったが、もう使うこともないなと、指先で横へ寄せ白いタオルだけ取り出し、首の回りに吹き出した汗を拭って振り返ると既に座って食べましょうと促すような目で明子は、手元の包みを開いていた。
休日ではなかったから、参拝の客も少なく、社の脇から伸びる登山口にはまだ鎖が渡されており、見上げる岩山のいたる所が白く、ふたりが座り込んだベンチの回りにも融けきるにはまだ時間がかかりそうな雪が残っていた。
数日前に少し季節が早いかと日にちを危ぶんだけれど、自身の身体の恢復を歩みで妻に知らせたい気持ちが勝り、もう決めたと勝手を言う賀津夫に、前日の天気予報を確かめる迄明子は迷ったが、快晴であると知ると行きましょうと頷いた。朝早くから俺がやると白米を炊かせてふたり分の握り飯をこさえ、冷蔵庫を探して昆布でいいよな。賀津夫のやることを台所に座ったまま、明子は笑ってみていた。夫は左足をまだ庇うような所があり、妻は車の中で、途中で痛くなったら引き返しましょうと幾度か口に出していた。
三ヶ月の入院の後、自宅療養で川縁を歩いていたからか、賀津夫自身思った程長い参道をゆく歩みには不安なものは感じなかった。吹き出す汗がただ嬉しかった。夫婦よりも早く参拝を済ませた人が、参道ですれ違う度に軽く会釈しながら挨拶を投げかける度に、明子にとっては夫の恢復を喜んでくれる声に聞こえた。
握り飯をひとつあっという間に平らげた賀津夫に、ポットからお茶を注いで渡しながら明子は、ちょっと大きすぎるけれどおいしいわねと、正午迄まだ時間があったが、少し早い昼飯に時間をかけた。

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