博物館

9月 16th, 2008 博物館 はコメントを受け付けていません

あいつはやめたほうがいい。
平日の午後閉館間際であったから、坂下の他には閲覧者がいなかったので、壁際の柱の裏側の囁きが、くっきりと響いた。
展示室を変えてゆっくり辿り、再び戻るとロビーのソファーに座った安藤ミツコが、あらと頭を下げた。
背中を向けていた男が振り返り、お知り合い?と声を出し、お客さんよというミツコの返事に重ねるように珈琲いかがですか、もうすぐ閉館ですがと加えた。
男は川上哲生と名乗り、此処で学芸員をしていると名刺を差し出した。ニースの安藤サンとは昔から友人で、今も人生相談に乗っていたところでと笑い、ちょっと最近のお客さんなのよ。と安藤は川上の安易さを疎ましい表情で遮り、ごめんなさいと坂下に向かって小さく微笑んだ。
腕時計を見て、おそらく閉館迄十分もないでしょうから、頂くモノはいただいて帰ります。坂下も微笑んで答えを返し、事務所の奥へ珈琲を取りにいった川上を見送り、安藤の前の座り、ニースのバケットはお気に入りです。自分の名前を言うと、よろしくと安藤は右腕を差し伸ばした。坂下は随分久しぶりに見る仕草だと感じながら眉を上げて右手で握手を返すと、安藤の手がひどく冷たいことに気づいて、思わず冷たい手だなと口にした。
そうなの、低血圧で、夏でも毎朝手足が冷えて困るの。冬はもー大変。
バケットだけじゃなくて、他のも召し上がってね。美味しいのよ。
坂下はこれまで口にしたニースに並んでいた種類を憶い出してひとつひとつ挙げていった。
あれは話したの、それとももう知ってるのかな。ミッちゃんがプロのスノーボーダーってこと。凄いのよこの女性。男勝りっつうか、負けず嫌いっつうか、いつもギンギンでさ。丸いお盆に三つのカップを乗せ、歩きながら川上は肩越しから喋りはじめた。坂下は然程旨くない珈琲に口をつけて、聞かれるまで自分のことは話さずに、さっさと飲み干して帰ろうと決めたが、ふいに安藤が、坂下さんは、こちらに引っ越してきたんですか?お仕事?それともまさか別荘で避暑というご身分?と川上の話の腰をポキッと折った。

何も隠す事等ないと、坂下は自分のこれまでの仕事の内容と春に通院したこと。タイムシェアコテージをレンタルしていること。TVを地下室に隠したことまで、ゆっくり話した。
職権乱用と笑う川上は、閉館の札を入り口に垂らして戻り、坂下の湖畔での生活に至る経緯に随分興味を持ち、じゃあまあ、とりあえず秋迄滞在ってことですね?と安藤を見てにやりと意味深に唇を曲げた。
PTSDね。それで療養中。安藤は坂下の率直な説明が気に入ったように頷いてから、川上サンは、仲間を捜しているのよ。この夏この博物館でやるイベントを手伝ってくれる人たち。でも、簡単に返事をしないほうがいいと思うわ。
心的外傷後ストレス障害っていうほどの外傷はないけれど、もしかすると、随分遠い過去のトラウマがそれに近いかもしれない。坂下は初対面の人間に何の蟠りもなく言葉を繋げる自分を不思議に感じながら、答えていた。わたしでよかったらお手伝いしますよ。暇だし。
パンと手を打って、決まりだな。即決。気持ちいいね坂下さん。と川上も腕を伸ばした。柔らかくて温かい手を握り返して、またゆっくり見学に来ますと坂下は立ち上がった。

手を振って自家用車に乗り込む川上を見送ってから安藤とニースまで夕暮れの道を歩き、川上という人間の面白さを転がしてから、店の前で、また買いにきますねと別れて歩き始めた坂下は、静かな博物館に響いたおそらく川上の囁きが、三人での会話とミスマッチであることがいつまでも残った。

川上が車を止めエンジンを切ってドアから出ると、街路灯のない農道が月明かりで真っすぐに国道に続き、人影はない。国道にもヘッドライトは見えなかった。田植えが終わった田からカエルの鳴き声が喧しいと、慣れた筈なのに顔を顰めた。
安藤と坂下に見送られ、坂下という男の、自分をさらりと人ごとのような臆面もなさで静かに話す様子に、憶えがあった。学生の頃何かと対峙した男とよく似ていた。実直だが正しいことしか言わない。その男はふざけてわざと散らかすような論理を転がす俺を侮蔑していた。何度か殺意を抱いたことを浮かべ、坂下の出現が、妙な方向へ傾く前に、なんとかしようなどと勝手に巡らせた。坂下に安藤が好奇心を持つだろう。一度では懲りず三度安藤に交際を断られた女の般若の面相を思い浮かべ、舌を鳴らして交差点でハンドルを逆へ切り、真直ぐに帰宅する気分を捨て去る意味でフロントミラーに離れてゆく自宅へ続く逆方向の道へ向かって手を振った。車で50分程の地方都市JRの駅前にある集合ストアの書店に向かい、店内に並ぶ書籍を全て確かめる意気地に任せて神経質に歩いた。川上はおそらく捲っても最後まで読み通すことはないと知りながら、タイトルと大雑把な筋だけを姑息に記憶する浅薄なやり方で、業務で対峙する様々な職種や組織に自らの正体を煙に巻く事ができるという学生時に手に入れたその場凌ぎの態度が身に染み付いていた。今回も新刊を含め十冊ほどをレジに持ち込み購入した。書店からレンタルビデオの店に回って、R指定のオカルト、AV、アニメを会員カードで一週間のレンタルをし、ファミリーレストランで夕食を摂り、国道を再び50分かけて戻った。博物館から15分ほどにも同じようなショップはあったが、顔見知りにいらぬ噂を流されるのを大いに気にした。
自宅は湖畔のふたつ隣の県境に近い村にあり、二世代目となる両親の農家の離れに個室を設け、風呂や台所まで取り付けてあった。建てた時分は、大工の棟梁がこれで後は嫁さんだけだな。と笑うほど、家族が増えても対応できるほどの作りで、書斎にはあらゆる類いの書籍がぎっしり書棚に並び、リビングには最も新しいシアターシステムが夥しい量のCDやDVDと共に整然と並び、防音も施されていた。川上は雑駁雑食なコレクターでもあった。
父親が四十の時の子供で、丁度四十の川上は見た目は若作りだが、七十からほぼ十年の間寝たきりの父親を母親と共に介護していた。母親は父親と十離れており、七十で介護疲れが最近いたる箇所にあらわれはじめ、愚痴を零すようになった。まだこれといった病も痛みもなく元気だったが、父親が独りで拡張した田畑の農作業を独りで引き受けるのを早々に諦めて、長男に相談して国道沿いのかなりの農地を売り払い、近くに住む川上の弟が時折、残された収入源となった林檎畑の農作業を引き受け、収入を折半する約束で他の作業にも手を出すようになっていた。母と弟は長男の川上に家の農作業を継げと迫れなかったのは、それなりに豊かな農家であった川上家の長男は地元の高校から主席で早稲田に進学し、大学では留年をする体たらくだったが、当時はなかなかの神童だった。勤めた大手電気メーカーを、父親の具合の悪さが発覚した時にやめて資格を取得し、博物館の学芸員に滑込み、これで父親をなんとかできると、家族は喜んだ経緯があり、これ以上、何かを強いることはできないと、むしろ長男の自由を黙認するようになった。
無論、川上が無垢な親思いで田舎に戻ったわけではなかった。本社勤めの将来を期待された川上は東北の支社に、経験値の修行と肩を叩かれ3年の間営業販売から工場の品質管理まで巡った。二十代の川上は狡賢く頭が回るほうで、年上からは好かれ、年下からは嫌われた。管理業務主任をしている工場にアルバイトで働いていた高卒の娘に手を出し、子を孕ませて親が本社に手紙を書いた。専務が東京から来て怒鳴り上げ、会社が和解金を支払うことで娘も親も従ったが、ベトナムで死んでもらうと専務に睨みつけられて、川上は辞表を提出した。重なって父親が脳溢血で倒れた。川上は会社での不祥事を家族にも誰にも明かしていなかった。

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