聡の瞳に映ったのは、夜の街でこちらを誘う女の化粧の顔でなく、通学の途中で出会い、何度も隠れてみつめた隣町の女子高校生の清廉さでもなく、風邪に伏して苦しんだ寝床で汗を拭ってくれた母親の優しさでもなく、つまり「女」ではないと思った。
聡は仕送りの学生というのは歴史的に考えてみれば、奇妙な立場だといつも考えていた。彼の屁理屈は、自分は親のペットであり、仕送りという枷に縛られているという結論であり、これはサラリーマンも同じで、生活を支える為に企業利益の手法に従わなくてはいけない労働者にすぎないのであって、突き詰めるとこうした社会が、一方的な仕組みを強要しているように感じるのだった。だが、親からの仕送りを断り、さて文無しになったところで一ヶ月と生きてはいけない。とりあえず勉学の時間を割って、一晩中、ベルトで流れる缶詰の空き缶をみつめる深夜のアルバイトをはじめ、自転車で40分かかる工場まで、ほぼ毎晩通うことをはじめたのだった。
時給は安かったが一晩で一週間の食費に充てられる分を稼ぐ事ができた。他者と交じわる仕事ではなかったので、淡々と独りの行為として持続することで、アルバイトを自分の自由を得る為の行為と位置づけて、友人にも内緒にすることができ、また、仕事による疲労で友人の誘いのほとんどを断って、無駄な出費を避けることもできた。
そもそも何考えずに大学を選び歴史学を専攻し、それなりに卒論も仕上げたが、その学習によって未来は開くわけはないと信じていたし、友人のほとんどは、専攻となるで関係のない方面へ就職を決めていた。卒業まで2年ほど続けたアルバイトで貯金が、月々の仕送りの20倍以上になった。聡はこれまでの仕送りの礼と、今後家には戻らないが心配しないで欲しいと親に短い手紙を書き、アルバイトをやめた。
自分の計画を実行するには、もう少し貯蓄額を増加させる必要があった。東京は生活費が嵩むので、他へ移動し、数年は住居を用意された仕事を探そうと決め一ヶ月ほどあちこちを探した。