歌手の彼女

8月 12th, 2000 歌手の彼女 はコメントを受け付けていません

流行りの歌手の彼女と一緒に電車に乗って、郊外の部屋を引き払ってミナト区に部屋を探し、狭いけどいいよねと、簡単な荷物をふたりで笑って、夕方のトウキョウを眺めていた。この列車ちょっとスピード出し過ぎじゃないかなと言うと、彼女は窓の外を向いたまま、そうねとそれはそれでいいじゃないって感じを含めて答えた。バイクを置いてきたから、もう一度戻るけど君は忙しいよねと言うと、ちょっと待ってと小さなスケジュールノートを捲って、明日の二時だったら調布にいるから駅前でと約束し、ヘルメットはあるの?と聞かれた。ガランとした部屋の外のバイクに引っ掛けてきた二つのメットを思い出して頷くと、オッケーと小さく笑った。この娘と出会ったのはいつだった?と思い出そうとして外を眺めると、景色と一緒にその思考は流された。だが、その流れに、これほど分かち合えた女はいなかったなあと、窓に反射した彼女の黒い髪と睫毛をみつめていた。俺の歳は一体幾つなんだと、ぼんやり考えた。

 工場のような混乱したような作業場に入っていくと、随分と来なかったねと、知らない男が声をかけてきた。本当なら去年の春に君はここにいる筈だったから。ガラクタを音をたてて動かしながら他にも人間が現れて、その中の髭の濃い男に顎で誘われ、奥に進むと、庭があり、五人ほどで座って静かな酒盛りをはじめた。妙に寡黙な人間ばかりで、こちらもなにも尋ねずに注がれた酒を呑んだ。その中のひとりの女性が、あなたを前から知ってるわと突然話だした。初めて見る女だったが、どこか懐かしい感じもした。首を傾げて続きを聴こうとすると、後ろから別の男の声が重なり、仕事があるんだ来てくれ。と肩をたたかれた。シャベルを持って広い庭の土手のような所に煉瓦を並べ土を盛るといったわけのわからない作業をして汗を流してから、仮設のステージの設営をはじめた。何に使うのかときくと、祭りさと答えられて、一切が了解できた。

 シートをはずし、バイクに跨がってエンジンを始動し腕時計をみると午前十時を少し回ったところで、これなら霊園あたりでぶらっとできるなとゆっくりアクセルを回した。

 駅前の小さなロータリーにあるベンチに膝を組んで深い帽子とサングサスをかけた彼女は、すぐにわかった。少し離れたところから数人の女子高校生が指を指していた。ヘルメットを冠ったまま近付き彼女に赤いヘルメットを渡すと帽子とサングラスをとり、後ろのシートに跨がってメットをつけた。彼女を彼女と気がついた嬌声をあげて走りよってくる女の子たちに二人で手をふってエンジンをふかして発進。後ろから腹に回された両手に力が入り、背中に彼女の身体が預けられた。

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