見てはいけない

4月 16th, 2008 見てはいけない はコメントを受け付けていません

防波堤の上に立つ男の姿が消えた。
季節は寒暖を繰り返す不安定な日が続いており、風も冷たいものを含んでいる。休日だから釣り人も居て、座した父親の元から走り出す子どもの姿も見えた。朝方迄年度末の書類の片付けの残りを、頼りない部下に任せて、手抜きの修正に時間をかけるのがもどかしいので、独りで背負い仕事を仕舞い終えてから突っ伏して眠っていた。昼前に目が覚めてから珈琲を飲み過ぎた胸の嘔吐感を鼻孔迄何度も戻しながら、知らぬうちにそのまま外に出ていた。
烏賊と貝を焼いて芳ばしい香りと煙を立てる小さな出店の割烹着の女に、男が海へ飛び込んだようだと小さく声をかけると、女はこちらと瞳を合わせるように睨んでから俯き、網の上のものをひっくりかえしてから、
「いいんだよ」
ぽつりと言った。
振り返って防波堤を再び眺めやると、男が濡れた服装のまま這い上がってくるのが見えた。暫く立ち尽くしたように海を眺め、ゆっくり数メートル歩いてから立ち止まり、また足元の海を眺めている。
女に問いかけようとすると、女は顎で防波堤を示したので、首を曲げると、男は海に飛び込んだ。
「子どもが溺れたんだよ。去年の夏の終わりに。何度かああして探しに来ているのよ。」

このあたりでは知られているらしい。近く迄歩み寄って、男が這い上がってくるのを眺めると、まだ若い男で、(もう少しで、)と呟いている。 
濡れた男は、肩で大きく息をして、離れた所にシートを敷いて日傘をさして座っている白い服装の女性の元へ歩いて座り込むと、女の白い腕の先のタオルで子どものように頭を垂れて拭かれるに任せた。

仕事場に戻る途中、烏賊焼きを買おうと先ほどの店に寄ると、割烹着の女が、
「見てはいけないよ。あたしだったら旦那を殺している。あの奥さん許せないわ。」
と小さく呟いた。

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