メロン

6月 5th, 2011 メロン はコメントを受け付けていません

オレは今後のために働くのが仕事だが、お前たちは、今を幸せに生きるのが仕事なんだよって、お父さんがよく言ってたわ。

ふたりで並んで洗った食器を拭きながら、母親の綾子は娘にいうでもなく手元を見つめたまま呟いた。
苦しんだのかしら。お父さん。
裕子も手元から顔を動かさずに、いつもと変わらない口調で母親に尋ねる。

どうかしら。わたしはわからない。でも、闘病生活が長かったわけでもないし、ふっと逝っちゃったんじゃない。じゃあねって感じで。
重ねた皿を食器棚に戻してから、あっと小さく口にしてから、母親は、忘れてたと小さく続けて、冷蔵庫から丸いガラス皿に切り分けたメロンを食卓に並べた。

これ忘れちゃいけないわ。

母親と娘は、すっきり片付いた食卓にふたつメロンのガラス皿を並べ、向かい合って座り小さなフォークでメロンを口に運んでから、美味しいね〜と互いに微笑んだ。

最近は陽が長くなったわね。まだ明るい。
裕子が頬を膨らませ顎を動かしながら窓の外に顔を向けると、綾子もそれに倣って窓を眺め、もう六月だからね。と応えた。

大学から帰宅する裕子と仕事から戻る綾子は、このところ同じ時刻に家に着く。幾度か駅からの道で後ろから母親が駆け足で追いかけることもある。朝早くに洗濯機のスイッチを入れて、空をみて祈るようにベランダに洗濯物を干すのは、どちらがやると決めているわけではなかったが、早く目覚めて気づいた方がそれをやり、洗濯物を干している後ろ姿を見るほうが朝食の支度をした。
三年になってからも、ずっと弁当を二人分こしらえて、時々恥ずかしがる母親と包みを変え、小さな子供に渡すような並べ方をした弁当を、昼には娘も母親も残さず奇麗に食べた。裕子が高校生の頃から変わっていない。

二年生の頃までは、友だちとの約束や部活などで遅くなり、一人分だけ食卓に用意されたラップのしてある夕食を、裕子はレンジで温め、テレビを点けて向こうの部屋で座り込んで洗濯物を畳んでいる母親の背中をみるでもなく、凹んだ腹に補給するような具合で夕食を済ましていたが、最近は、毎日の夕食を一緒にゆっくり向かい合って摂ることが、なんとなく安心できると感じるようになった。

これもうダメじゃない。と乾いた洗濯物をたたみながら、そうだと裕子は新聞の折り込み広告を取り出して、これってどう思う?下着や洋服の小さな写真を前屈みに指差して、母親も同じ格好となって頭を寄せて、いつまでもこちらのほうがいい。いいえ、こちら。と続けるのだった。

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