ethics
放証視

放証視

日々は川の流れのようにながれ去っていってしまうが今日的な道具で岸辺に寄せることができる。
修復倫

修復倫

DLPFCの制御が破綻すると扁桃体が暴走するという壊れを電磁波や電極の埋め込みで血流の低下した前頭葉を活性させる治療というよりも工事のような処方で機能修復する録画番組を眺め、先天的とか気質とかいう所謂本来的なココロの問題ではないという見地の検証とその行方に関する展開は、今頃になってようやくという感触が拭えない。而もこの国ではまだこの手法が行われていない。(神奈川の芹香病院では行われている)
旅視時

旅視時

「平原の町」の朴訥(なんという会話の健やかさよ)を最近の乱読から救われたように辿って深い眠りに就いた後、眉間を広げられたような爽快な体感で視力が戻りその瑞々しさをソル・ルイットのシルクに投げるとゴム毬のようなレスポンスで色彩と形態が遺跡に立つ好奇心(あるいは未知に対峙した無邪気)を与えてくれる。補色バルール併置がある達成の自由を示すのだから。
羽雪鉛

羽雪鉛

チィチィとアラーム音が聴こえると自治体の雪かき車の仕事だと判る。このあたりの道を総動員で何台もがこの季節にはなくてはならない仕事をしてくれていることが雪の降り始めは頼もしく思えたが、こうも積雪が嵩むと脇にかき出される除雪の小山がガレージの前にその度に盛り上がるので、アラームの後の早朝はその分余計な雪かきをすることになり、肉体労働を促す警報となった。
莫迦朕

莫迦朕

頭の悪い監督の「悪魔を見た」DVDをアマクリしてしまい大いに酷く反省。悪くないモノを観た後だっただけに悪しき制作の細部がくっきりみえるのだった。

血糞譚

金曜日の夜自分で服を捲り上げ膨れた腹をほらとみせていた父親は、東京から戻った土曜日の夜中にはベッドで寝入っていたが、どうも様子がおかしいと家族でひそひそ話し込んだ。翌朝に血便を垂らし、慌てた母親が病院へ駆け込み、担当の医師が父親の肛門に指をいれると指先が血で赤く染まったという。母親は終日緊急治療室の狭いベッドで付き添い、夜半から妹が朝まで隣のベッドで眠り、早朝義弟の車で送ってもらった母親と交代。月 […]

20,July.1969

丁度40年前の1969年7月20日(実際はイーグル着陸6時間半後の7月21日午前11時56分:日本時間)に、ニール・アームストロングが人類ではじめて月面に降り立った。 クルー三人(Neil Alden Armstrong / 船長、Michael Collins / 司令船操縦士、Edwin E. Aldrin, Jr. / 月着陸船操縦士)はともに1930年生まれであり、丁度父親と同じ世代であり […]

1958~

出自をあらためて眺めると、なんとも乱雑で騒々しいことを再認識した。 長嶋茂雄が4打席4三振デビューの二ヶ月後に生まれている。一年前には、茨城県東海村の原子力研究所で原子炉が臨界点に達し「原子の火」がともり、ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。百円硬貨発行。A級戦犯不起訴(東條ら7名の処刑の翌日の1948年12月24日に釈放、公職追放、1952年公職追放解除)となった岸信介内閣が成立し、 […]

眺めを戻して

日帰り出張で撮影の仕事があり、新大阪から御堂筋線で淀屋橋にて京阪電鉄TV車両に乗車し、枚方(ひらかた)にて交野(かたの)線に乗り換え、大阪と京都のほぼ真ん中に位置する交野駅にて下車。帰りは郡津(こうづ)駅まで歩き、同じ乗り換えで戻り、新幹線で駅弁を喰って眠りに落ちていた。 父親の精密検査の結果を電話で確かめ、いざと云うときはそのまま長野に戻るつもりだったが、呑気そうな声を聴いてほっとする。東京に戻 […]

残るもの

公私に渡りあれこれあって久しぶりに休みがとれましたと遊びに来たgarioがソファで寝付き、週末からDVDの焼き込みを続ける業務の傍らで、「悼む人」の続きを捲り終えた。 エピローグの仕立ては、作家は大いに考え抜いたのだろう。本を閉じてから暫く何も考えないように、イメージの残滓を瞼の裏に探すようにすると、読了感としてきっぱりとしたものを幾筋か開くことができる。物語への共感ではなく、むしろこの作品のコン […]

デジタルメソッドの暗雲

あなたは母国に帰らないの?と女性が声をかけた。机の上に積み上げた本を指差して、とにかくこれだけの人間のことを具に調べていますと英語を交えたドイツ語で説明すると、あなたと同じような人は他にもいるわと、学習室に疎らに灯るスタンドを手元に集めるように両手を器の形にしてから、ウインクを添え、好きなだけどうぞと笑顔で肩をぽんとたたくのだった。トイレに立って、窓の外の夕闇が広がり、石組みの路面が物音を集めて反 […]

Effect of analysis and integration

20年前の顕われは、40年前の顕われに対する不満を解消する配慮が確かに構想実行されたが(例えば鉄人28号がガンダムとなり、今子供達はPSPでガンダムを動かしている)、現代の顕われには、その配慮に対する不備を解消すべき分析が都度意識的に加えられているとは限らない。政治は勿論、表象化されるイメージやオブジェクトの対価効率は、純粋で存在論的な位置に据えられず(そういう本質論は社会の境界に併置される傾向が […]