公私に渡りあれこれあって久しぶりに休みがとれましたと遊びに来たgarioがソファで寝付き、週末からDVDの焼き込みを続ける業務の傍らで、「悼む人」の続きを捲り終えた。
エピローグの仕立ては、作家は大いに考え抜いたのだろう。本を閉じてから暫く何も考えないように、イメージの残滓を瞼の裏に探すようにすると、読了感としてきっぱりとしたものを幾筋か開くことができる。物語への共感ではなく、むしろこの作品のコンセプトの一部でもある伴走という経験を、読むという行為に求める苦労が至る所に見いだされたが、それらは、例えば似たような設定を嘘くさく虚飾する山田太一や倉本聰などと違って、嫌らしい装飾ではない、配慮された配置として都度理解できる。同世代の共同幻想というものは、その世代を支えた時空が大いに変化を続けた社会と時代であったから、間主観の海のようなものとして幻影から海のようなフィールドへ変異して在ると考えてもよいと思うが、その隙間(狭間)に広がる海原をピンポイントでピックアップして掘り下げるとどうも偏りすぎて凡庸に落ち込む。つまり海の底に青い石があった。ということで終わってしまうわけだ。逆に、その海全体を眺める。或は、その海全体を泳ぐ。といった態度は、変容後の世代の腑に落ちる仕組みであるとこの作品は再認識を促した。これは、最近のこちら自身の傾向ばかりではなく、今世紀に入ってあらゆる局面で始まった「世界倫理」構築自体が促す方向性でもある。加えてこの作家の表現する固有な人々の、何も隠されていない、むしろ普遍性のある自覚で綴られることに大きな意味がある。

浅田彰「天童荒太と坂本龍一」 / (批評空間アーカイブ)

酒の席でgarioが、昨年亡くなったおばあさまの肖像を描こうと思いますと聞いていた。こちらも生業の傍ら時間を割いて好きな絵が描けるという肖像画のアルバイトを、都度大いに薦めていたので、頷いていた。どうも森山大道や荒木経惟の「人」に、天童荒太の示すような「この人」というものが見えないのは、30年ほど隔たった世代による切迫感の差異によるものだろう。勝手に解釈を再認識する為に再び、This Manとはじめている自身の「この人」を端末で捲ると、この試みに欠如しているもの(態度)が見えてくる。オバマ大統領の誕生が、世界全体に「差別」を浮上させることに同期して、この世代差異に、「差別」認識の違いが大きく現れる。


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