丁度40年前の1969年7月20日(実際はイーグル着陸6時間半後の7月21日午前11時56分:日本時間)に、ニール・アームストロングが人類ではじめて月面に降り立った。
クルー三人(Neil Alden Armstrong / 船長、Michael Collins / 司令船操縦士、Edwin E. Aldrin, Jr. / 月着陸船操縦士)はともに1930年生まれであり、丁度父親と同じ世代であり、中継を見ていた私にも、これが大人の仕事だと、一体どこがどうなっているのか知りたくてうずうずしていた鮮明な記憶がある。記事を集め、写真を眺め、司令船と月着陸船のプラモデルを組み立てた覚えもあり、その時代を突き抜けた形態と計画を、そのまま自らの未来と結びつけていた。
1967~1972年の6年間に行われた月に人類を到達させる1号から17号までのアポロ計画は6回の月着陸を果たし、以降人間は月に降り立っていない。

apollo11.jpg
目的の為に叡智を捧げた結果の形態が、イーグルとコロンビアであるのだと幼い私は先端のイコンを眺め、それまでの人間の勝手で捏造する恣意的なデザイン(欲望のかたち)がいかに偽物であったかを思い知ったわけだったが、それは人生においてもっとも象徴的且つ影響を与えた出来事のひとつと言える。どこか深みにおいてまだ作用し続けている。世代論というわけではなく、人類の月着陸という未知への試みは、戦後という時代の人間の考え方生き方を、深層で牽引しナビゲートする役割を担った。実現あるいは実践というものは、帰納的分析準備が、演繹的なビジョンに最良の手法で繋がる導きと決断を、「ライトスタッフ (正当な資質)」が、固有な個体(自己責任)で行うという祈りのようなものだと、あの時はまだ無抵抗な皮膚に刻印されたわけだ。

In the Shadow of the Moon (2007) / David Sington
Bordertown (2008) / Gregory Nava (1949~)
The Lost (2006) / Chris Sivertson
Youth without Youth (2007) / Francis Ford Coppola (1939~)


miyazawakenji1924.jpg

大正13年(1924)12月1日発行定価1円50銭と印刷された、「イーハトヴ童話-注文の多い料理店」宮沢賢治の、まだ存命中に出版された本が実家に転がっており、母親が最近読んでいたと聞いて借りてページを捲り、このところ「縦書き」という日本語の視覚的効果と、それに傾倒する心持ちも加わり、ベットの中で、その何度も辿った記憶のある物語よりも、85年前の印刷文字に惹き寄せられた。丁寧にルビも記され、やはり発音を促すよ言葉の、縦書きの、音声が垂直に降りてくる、行と句読点を結ぶ瞳の降下と発声が、ひと呼吸で綴られている感覚が瑞々しく思えたのは、古い漢字とひらがなの表記にも原因があるが、やはり縦書きの右から左へと雨が降る光景がパンして水平に広がる行間の光景は、例えようがない。
どうにかしてhtmlでも、縦書きができないかとあれこれ探すが、決定的な手法がみつからない。挙げ句、縦書きビューアーを探し、これを使うとよろしいとわかった。