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WPIF BB

WPIF BB

 1988年の真冬に歩き回ったベルリンの道端の露天で、マフラーやスカーフを針で止めるピンの先に小さな人型が取り付けられているアクセサリーが売られていて、思わず幾つか買い求めていた。よく憶えていないが15マルク程度だった筈だ。大量生産の輪郭が朧になったものではなく、丁寧に木片を削り出し彩色を施したものだった。売っていた人間がつくったのだろう。過去の一瞬の出会いは記憶に一旦整頓されたけれども、数十年を […]
What are you investigating?

What are you investigating?

 ひとつの作品には、固有の「在るべき場所」を示唆する出現が然るべきではあるが、ここ数年のエゴサーチ宛ら、あるいは夏休み開けの教室壁面に並べられた自由研究のような状態表出の、子供染みた展開を行った。こぎれいなホワイトキューブでシャレオツに粋った風情を醸すやり方には、こちらは興味がなくなっていることもある。スタジオに立てかけられたものを個別に視認しているにも関わらず、当事者でさえ、この露な光景によって […]
計画

計画

 搬入が明後日となってセッティング計画図面をひとまず仕上げたが、現場ではかなりの変更があるだろう。都合45点の平面作品と、凡そ40前後の小立体との構成でギャラリー空間を形成予定。ぎっしり詰め込んだのは、「捜査」というタイトルを与えて、自らのここ数年の考え方を併置して、幾つかの枝をくっきり紡ぎだしたいわけだ。平面の折衝としてはベーシックな木炭のみによる素描から、コラージュ、水性の彩色を施したものなど […]
static

static

 静的事物、静止画像(写真)、静止画(絵画)というものの構築は、動的時間的な日常の流れの一部である人間身体にとっては、構築介入(制作)から離れた途端、なかなか釣り合いのとれない非合理な対象であるが、間主観的に思念を張り巡らす起点となる。つまり人間的な意識の投影を持続継続するために、運動性を超越する非現実的な事象といえる。そこから派生するものは、歩いたり走ったり車の運転で流れ去っていく景色を眺めて想 […]
wp-catalog

wp-catalog

 昨年暮れより今年の夏まで関わった「ウィトゲンシュタイン ペントミノ」45個体を網羅したカタログの編集を終える。個別ライナーノーツと併行した作業であったので、少々手間取った。初動の関わりから、中途の頓挫(平面制作へ移行していた)、夏の再制作まで、手触りも解釈も異なったものになり、同時に鉄への同形変換を浮かべて、慣れない設計図面を書き起こす必要もあり、また、それが物理的には不可能な形態があることも知 […]
Individual liner notes

Individual liner notes

 ールートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン( Ludwig Josef Johann Wittgenstein 1889 ~ 1951)が、1926年からの2年間、姉マルガレーテのストーンボロー邸建築に、数ミリ数センチの設計変更を繰り返して、細部の仕上げに関与した。「外装がほとんどない上にカーペットやカーテンすら一切使用しないという、極端に簡潔ながら均整のとれた」(wiki)建築空 […]
Wittgenstein Pentomino

Wittgenstein Pentomino

 1926年に完成した設計図から完成迄2年を、数ミリ数センチの設計変更を繰り返す細部の仕上げに要したストーンボロー邸建築関与と、同時期イタリアの捕虜収容所で知り合った彫刻家ミヒャエル・ドロービルによって少女の胸像を製作するなどして、ヴィトゲンシュタインは、精神を恢復したといわれる。ほぼ百年前のことだ。62歳で癌で亡くなっている。論考ー彼の思想的な変転よりも、自己恢復の契機となった姉マルガレーテの「 […]
thousand of Japanese beech

thousand of Japanese beech

 昨年の暮れに用意した600個のブナ材質のドミノ牌(44x22x9mm)で、ひとつ約20個の集積形成で形作ったものが30となり、追加ブナ材400を準備する。これで千からおよそ50を創出する予定だが、未だ個数的に不足。200個までと考えた後、質の変換(木より金属へ)を画策。ただしこの取り組みの形態構築という意識が、そのまま変換に投入できる状況は不可能なので、選別したものをコピー変換するという初動とな […]
ドローイングという計画

ドローイングという計画

 素材の扱い(仕方)を吟味精査する意味はある。蓋し計画の視覚化というべきだろう。憖堅牢を求める平面構築とは異なり、時間を注ぐよりも別の、謂わば具体的な展開の足がかりとしたい思考の実験といっていい。  それにしても、遠くへ放っていた「描写」に感けると、これはこれで行為として自足する。途中で具体形象は写真でもよかったと思うのだったけれども、仕組みを考えると描いたほうが早い。モデルを宙空に静止させること […]
枝

 秋にまとめる平面的なものを主軸とした個展の、未だ平面展開の見通しもないけれども、拙い取り組みの内でやはり性情に逆らえず立体的な構想が浮かぶに任せる。  半年前には、ドミノ用パイン材を使い、その工作に「ヴィトゲンシュタインのペントミノ」と名を与えた、ヴィトゲンシュタインの建築設計介入に想いを馳せるようだった立体物群が、それ以前の崩れた矩形断片と交錯し、二年越しのモネ百年を律に投じた平面へ移行し、大 […]
石の来歴

石の来歴

 例えば直線は世界物象としてヒトから離れた距離があると思われる。だが墓石であるとか矩形に加工して敷かれた敷石などは、野に放られた自然石と比べると逆転し、直線的な形態が人間の恣意として際立って近寄り、風雨や流水によって気の遠くなる時間形態を崩していった自然の奇妙な輪郭が、超絶的にこちらを突き跳ねる距離を醸している。相対的とはいえないこうした風情を交互にみつめることをしていると、指先で動かす謂わば恣意 […]
親和性について

親和性について

 褐色に穢れた風のせせらぎが幾筋も流れる水芭蕉遊歩道を歩きながら、ゲストにこの辺りは褐鉄鉱の鉱床があり、光景とは裏腹に浄化されていると説明していた。あの黄土色が特異な地勢のもたらす色彩だと、客が帰った静寂の中幾度も省みていた。炭の粒子が定着しやすい構造の紙に、調和的な木炭で線をひくことをおこなって、その線が加われば加わる程、木炭は紙と「親和性」を取り持つ風情を醸す馴染みの展開の、その「親和性」の濃 […]