stone career – zero gravity 2019
charcoal,water color,iron particle,oil pastel on MBM panel
923 x 633 mm

 素材の扱い(仕方)を吟味精査する意味はある。蓋し計画の視覚化というべきだろう。憖堅牢を求める平面構築とは異なり、時間を注ぐよりも別の、謂わば具体的な展開の足がかりとしたい思考の実験といっていい。
 それにしても、遠くへ放っていた「描写」に感けると、これはこれで行為として自足する。途中で具体形象は写真でもよかったと思うのだったけれども、仕組みを考えると描いたほうが早い。モデルを宙空に静止させることは無理、求めるイメージを探してもよいものはみつからない。人体のポーズを変化させるソフトがあるけれどもデジタルが直裁な決定を阻害するだろうから使いたくない。老害ともいえる面倒を嫌う怠惰が導いた方法は、日に日に手に馴染んできている木炭を持つこと。GWに遊びに来た刈込君とも話していた、青年期の朝から晩まで只管描く、今思えば少々気の触れている行為とも感じられる絵画学習の時間を鮮明に憶い起こし、あの没頭は何処かに辿り着く原始的ではあったが唯一の方法だったかもしれないと、手首に残っている木炭の感触を骨のあたりから皮膚へ滲みだすような時間を辿る。
 個人的には、ドローイングという安着に生成する「計画」性は、底辺を掬うような、どうしようもないことを手づかみにするという側面があり、イメージにしろ素材にしろ、転びまくってひとつ見出せればよいし、なにかとんでもない完成形を求めるということではない。
 因にタルコフスキーが作品の中で宙に浮かぶシーンを撮影しているが、この惑星から離れていく未来でもあると今更に成程と思うのだった。とはいえ、無重力に浮遊する人体に固執するつもりはないので、あとふたつみっつか。
 

horsetail
charcoal,water color on MBM panel
364 x 515 mm

 クリスト(1935~)とジャンヌ・クロード(1935~2009)の、下手をすれば詐欺。数々の揶揄を踏み越えて実現を展開した彼らのプロジェクトは80年代からの時代の影響もあっただろうと、久方ぶりにプロジェクトカタログを捲ってみる。妄想を時間をかけて手元から現実空間へ投射可能となったのは、ジャンヌのネゴシエーションの力と根気といっていい。ベルリンの帝国議会議事堂(1995)は圧巻だ。設営直接経費が約7億。2週間で500万人を動員したとwikiにはある。一枚のコラージュとかドローイングが数千万の価値となり、プロジェクトを可能とさせたわけだ。いずれにしろ、この価値変換の手法は、政治的な要素も絡み、ビジネスモデルとして卓越しているとはいえない。こちらとしては青年期に学習させていただいたが、これを真似るのは煩わしい。その残滓があるとすれば、思考実験としてのドローイングの可能性といったところだろうか。クリストの未完プロジェクトのドローイングにこそ価値があると今は思える。プランを片手にプレゼンして資本をかき集めるのは、クラウドファンディングで資金調達を起業する若者に任せましょう。