山にて生存をはじめてからの自身の取り組みをBookにまとめることにした。全てを網羅する大袈裟なものではないので記録の選択からはじめた。時間軸にてエポック的な画像だけで済ませるつもりだったが、タイル状に並べてみると、各事象のディテールが失せて、抽象に片付けられてしまうと気づき、やはり呟きのような時々の言葉を添える必要があると感じる。説明というよりも、断層的な特異な時間の現実感に人間的な奥行きを与えないと、短絡した傲慢なものになる。
 分け隔てているわけではないが、平面と以外をカラーとモノクロにセパレートに独立させたのは、単に構築システムからの選択にすぎないが、なんらかの基本構造を模索するようなものになるだろう。いずれにしろ、遺作を眺めている既にこの世をおさらばした死人のような視線で眺める編集作業となるのだが、これが不思議な心地を此処に寄せる。まず娘ら家族に「私」を正確に伝え遺したいということに似ている。

 考えてもみなかった「平面の個展」を、ナカムラジンより招聘されたことが契機となった。「記憶の捜査」と自嘲遡行する、恢復的な意識の併置となるが、謂わば思考実験の記録のようなものであるから、アプローチも展開も、従来の社会的な「アート」とは離れた告白めいたものとなるだろう。
 若い作家はオリジナルティーをブランディングして、固有なスタイルの信頼と深化を獲得するための、「作品の社会性」を、生存を含めたビジネスモデルとして模索し、世の中と格闘しなければならない。自身の経験を照らせばその労苦は苛烈であり、日々創作者の環境変革を望む者だが、私のような年老いていく創作の姿勢は、それと異なり、自らの細く辿ったこれまでを、くよくよと振り返りつつ、懺悔を申し上げるように、倹しく虚勢や嘘は棄てて誠実にと思うことがモチベーションとなる。そういう意味の老境を獲得する世代作家に、最近は興味を持ちはじめている。