essay
static

static

 静的事物、静止画像(写真)、静止画(絵画)というものの構築は、動的時間的な日常の流れの一部である人間身体にとっては、構築介入(制作)から離れた途端、なかなか釣り合いのとれない非合理な対象であるが、間主観的に思念を張り巡らす起点となる。つまり人間的な意識の投影を持続継続するために、運動性を超越する非現実的な事象といえる。そこから派生するものは、歩いたり走ったり車の運転で流れ去っていく景色を眺めて想 […]
49 essays for "Investigation of memory"

49 essays for “Investigation of memory”

 然程多くない自身が書き散らかしたものから4950を選び、最近の作品を56頁にまとめた画像ブックに添えるものとして編集。全て過去の散文であり書き下ろしたものはない。秋の個展時にはあわせて発刊。一瞥すると私の作品は多岐多様である印象から複雑怪奇に眺められるという傾向にたいして、ひとつの個体系譜としてやや離れて眺めることができるよう配慮したつもりだが、スマートなスタイリッシュなものとは言えない。  梅 […]
外与枝形

外与枝形

 二年前に得た環境からの率直として欅の幹薪を短冊に仕立てる素材の解釈をはじめていた。朽ちた流木や落枝の並列と併行して、しなやかな細枝を家の入口に集め置き、剪定など与えてから、やや太い幹の断ち切った幹枝を併置する方法を考えて、生活の場所から離れ空間を意識することをおこなった。すると三十年前の手付きやビジョンに戻ったような心地である種の反復を再び繰り返していた。枝の形というものの、自明な自然(じねん) […]
枝切為石鹸

枝切為石鹸

石鹸(桐原由江制作)の為の枝切置  桐原由江の、グレーテルが森で籠に拾い集めたものをヘンゼルがそれは喰えないよと窘めるかの、ハンドメイドソープを使わせていただき、目から鱗を落とした。5千年前シュメールのソープの丘で羊の脂が灰に落ちた偶然から生まれた石鹸は、現在では日常的なツールであるにも関わらず、香るだけの悪しき生産物が主流となっている。  身の汚れを落とすという仕草を手に入れた時、人は明日を生き […]
枝切置

枝切置

 再びまた凝りもせずに自然に散乱している奔放な樹木の破片を場所につなぎ止め(=仮設する)たいとした、この季節の底辺には、「耳なし芳一」から「安寿と厨子王」へ辿ってみつめ続け変位した自らの生存環境の思索という流れがあり、同時に、この系へ注ぐようだった稚拙な言語化の反復で気づいた「身の丈」という表出のレヴェルを、実直なみえるかたちで探索する静止画像の撮影がこれを支えるようだった。  俯瞰した構造を再現 […]

枝脈層

 枝を見上げて、いわば固有な文脈の走りの様相を把握するようなその眺めに溜め息をついている。  植生の枝振りとは、光を求める単純な「かたち」だが、その自由がかたちに溢れており、時に唐突に切断されている。

光景・風景・現実

ーたとえば、シクロフスキーは、リアリズムの本質は非親和化にあるという。つまり、見なれているために実は見ていないものを見させることである。したがって、リアリズムに一定の方法はない。それは、親和的なものをつねに非親和化しつづけるたえまない過程にほかならない。この意味では、いわゆる反リアリズム、たとえばカフカの作品もリアリズムに属する。リアリズムとは、たんに風景を描くのではなく、つねに風景を創出しなけれ […]

決壊

週末に上下を読了。このボリュームに対する速読感は他に無い。手法的にはテーマよりも、この速読させる文体の技術を評価すべき。テーマ的にも、トータルな意味での時代観が余すところなく掬われていることも、最近感じていた眺めの質と近いものがあった。2006年11月から2008年3月までの連載であるから、最近の事件に少なからず影響を与えていると思われるほど、構造的な現実感がある。(件の秋葉原の犯人らが読んでいた […]

低気圧

湿度にいたるところが締め付けられるような時に再び「白暗淵」を手にして、幾分ゆっくりとのめり込むように読んでいた。折しもまたかという感じの通り魔の事件が起き、娘と連れ立って行かなくてよかったと胸を撫で下ろしながら釈然としない。こちらは列車の中で贖罪にまで行き当たり、過去と未来を捉える現在の自分の謂れを小さく悟ったような気がしたばかりのことだったが、世界をざっくり見せつけられて馬鹿みたいな認識だと、ニ […]

山行き(カフェにて)

ー飲めますと稚拙な文字で書かれた木片が傾いて置かれた小さな流れに目が止まってからやや遅れて水の音が聴こえた。 音響が時間軸に沿って展開するかのように遠く鳥獣の鳴き声や背後に深く切れこんだ谷底をわたる風のうねりも加わった。 知らぬうちに左手に枝を持って脇の笹藪を撫でながら歩みを進めていた。拾いあげた記憶もなかった。 山を行けば何も考えずに肉体の疲労を甘く抱くだけで済む筈が、ひたすらな歩みが観念の殻を […]

街を見上げて

歩く時、空間のパーシュペクティブがゆっくり動き、光の反射の角度がモノの表面の質感を変え、あらゆる対象が微妙な位相の間を変異して、安定を揺さぶり、移動することに活性を与える効果がある。なるほどこの作品は、そうした移動する視線を促す構造となっている。空間の中央を占める構造体は、都市のスケールモデルに似ているが、近寄ると細部が、映像やタブロー、キャスティングオブジェなどのミクストメディアであるが、総体的 […]

朝の夢

水辺(海であるのか湖であるのか定かではないが、湖であったら一層おそろしいと思った)で立ち止まり、子どもたちが泳ぐ姿にカメラを向けていた。ひとりの小さな男の子が溺れるのを私だけが見つけ、発作的に飛び込み真っすぐに沈んでいく子どもに向けて深く潜った。この瞬間自分の選んだ行為は最早、諦めることはできないのだと直覚して、そうかこうして二重遭難する不幸の本質的な意味を身体で理解していた。 周囲が暗くなるほど […]