再びまた凝りもせずに自然に散乱している奔放な樹木の破片を場所につなぎ止め(=仮設する)たいとした、この季節の底辺には、「耳なし芳一」から「安寿と厨子王」へ辿ってみつめ続け変位した自らの生存環境の思索という流れがあり、同時に、この系へ注ぐようだった稚拙な言語化の反復で気づいた「身の丈」という表出のレヴェルを、実直なみえるかたちで探索する静止画像の撮影がこれを支えるようだった。
俯瞰した構造を再現するような構築作業を批判するには、俯瞰統合が成立しない「散乱」を扱わねばならなかったし近寄らねばいけなかった。有り金をはたいて価値を選ぶようなことも拒絶したい。つまり歩いて拾ったものが都合が良い。山の農夫が倹しい小屋にその季節限りの手作りの道具を誂えるような態度となり、その態度には時として厨子王の哀しみの静寂のようなことが降り、指先には芳一の拒絶が宿ったままの作業となった。
併置という概念には、状態への能動性と有様の観察視座という両義性があり、「置く」「置かれる」という言語の動詞的働きがある。こちらにしてみれば、動的に併置を行動化(名指す)する人間的恣意と、自然の偶然の状態が同時に進行している。
自然は散乱であり、これを容赦ない倫理として人間が勝手に受け止める時、私はこの「併置」を長い間ひとつの人間的仕草として、幼少の積み木遊びや泥弄りから繋がる系(癖)であると今更に自覚し、地震被害の後始末、年末大掃除などと、それこそ併置された出来事として、澄ました貌で取り組みたいと考えた。
一過的仮設の「併置」状況を作品と此処で示す時、脳裏に浮かんでいたのは此処ではない他所の国の丘陵の景であり、捲りはじめたのは仮託諧謔のあこくそ「土佐日記」だった。
時を同じくして大雪が降りつづき山の住処の界隈は至る所で、積雪の重みに負けた倒木が幹線を寸断し電線をも時折切断したようだった。倒れた倒木は自治体が駆けつけては撤去するので、倒れてしまえば置かれ所を喪失するのだと眺めていた。私の拾い集めた枝の併置表出と何かがどこかで似ていると作業中途で腰を伸ばしては路を遮って倒れる雄々しいような倒木に帰り道に出会いたいような妙な気分が膨れるのだった。
枝の自然(じねん)形態をみつめて、枝振りの先端を結局は剪定し、枝振りの途中を放棄することからはじめて、空間に置かれる場をこしらえる。おかしなもので枝は枝のまま生涯関係を持たないだろう場所で、無関係を誇りながら新しく人間の目に映るものへと変位していく。