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歩く時、空間のパーシュペクティブがゆっくり動き、光の反射の角度がモノの表面の質感を変え、あらゆる対象が微妙な位相の間を変異して、安定を揺さぶり、移動することに活性を与える効果がある。なるほどこの作品は、そうした移動する視線を促す構造となっている。空間の中央を占める構造体は、都市のスケールモデルに似ているが、近寄ると細部が、映像やタブロー、キャスティングオブジェなどのミクストメディアであるが、総体的に細部が突出しないように制御されており、まるで別の惑星の都市の一部を切り取ってきたようでもあった。感心しながら長い時間、構造物の回りをゆっくり歩いて、構築の未熟を探そうとしたのだが見当たらない。自身の手の甲をふと見やり、深く刻まれた皺と弛んだ皮膚に気づき、そうか随分時間も過ぎたのだとため息が深い得心と同時に生まれた。

夢をみていた。作家のキャプションを腰を屈めて読みながら同世代かと夢の中では頷いていたが名前自体は憶いだせない。淡い映像の細部を振り返ると、これまでの未消化が統合されて解決されているようでもあったが、手法的には無駄が多い。構想の余念が降り積もった閉ざした棚を、ふにに開けたような感覚があり、この感覚はやはり何かノスタルジックな香りがした。

夢の戯れは、砂浜に消えていく海の泡のような喪失速度の早い絵空事にすぎないが、然し新しい促しにはなるとスケッチブックを広げて線を引くと、そこからはじまるコトはある。気をつけなければいけないのは、こうしたことを斥け抑制と整理を厳格に行って意固地になり豊かさを失い、細い道しか示せなくなることだと、迷いいながら集積を繰り返した線の束を眺めて思う。



Renaissance / Christian Volckmanが、23億で6年(構想10年)かけた制作を、 Scanner Darkly / Richard Linklater(監督・脚本)が承知していたのかもしれないが(逆もあり得る)、Richard Linklaterが1991年に、100人の登場人物たちの人生における24時間に思いをめぐらすSlacker(1991)が下敷きとなっただろう、所謂脚本の力という点で、Renaissanceはいかにも未熟ではある。2Dと3Dの隙間で展開する映像は、それ自体がシャープで力強いが、抑制をくわえすぎたようだ。然しいずれにしても同時に、精妙な3Dの氾濫する時代に、物語を浮き上がらせる手法として、この二つの作品の存在感は悪くない。ジャパンアニメの脚本、演出、音響の脆弱を指摘する刺激剤にはなり得る。