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生まれたばかりの赤ん坊を見て、そのあまりに特殊な存在に堪えきれなく人が少なくない。未知の惑星に降り立った足下にある、何かわけのわからないモノを前にして立ち尽くすような感覚と似て、こちらの固有性を経験のテンプレートからそのコト自体へ注ぐことは不可能に思え呆然とし、時には気が振れることもあるという話にも頷くことはできる。少子化が当たり前となりつつある昨今、子供に馴染みの無い大人が増え、そういった感覚を持て余す危惧(社会倫理の変異)を多少抱きながら、結局皆がそれぞれ自らの特殊を叫ぶような固有性にしがみつくしかなくなる近未来的社会性に首を傾げることが多くなった。

特殊であることは、その特殊を固有と真っすぐ結びつけると、特殊の深みに嵌ってひたすら重くなり、特殊のままひたすら閉じる傾向にある。固有であることの表象化という手段あるいは経路を得ることが必要となる。これは他者に向かって、自分の名前を声に出しつつ書き示し、その表記と音響を他者と同時に共に見て聴くということが、最も簡単な例のひとつとなる。自分という人間が、表記された文字と発声された音響とに表象化され、自分以外の存在を含む社会性において共有認識することが、いわば特殊な固有性からの浮上の法となる。自らが記述した名前とその音響が他者によって共有されない一方的な叫びとなると、叫ぶ存在は孤立して特殊の輪郭を濃くするしかない。あまねく現代的な病理の根元に、この稚拙で微妙な差異の問題が、奥歯に挟まっているように疼いている。
ひたすら泣き続けて環境の学習をしない赤ん坊はモンスターでしかないということだ。

特殊を叫ぶ集団あるいは群衆は、まるで昆虫の群生のような危機感にあふれており、終末的な光景であり嘔吐感が生まれる。


w-glass.jpgDVD制作を終日、日を超えて行い、正午には納品送付。これでDVD関連終了。午後次女とららぽーと豊洲へお買い物に出かけ、あまり歩いていなかったサウスポートのインテリアショップを巡り、ACTUSにて安くて形のよいグラスを発見しウイスキー用に購入(1つ¥250×2)。次女には宿題監視用卓上シロクマを購入。GAPにてデザインの良いストライプの服をこれどうだいと即決。HMVにてI an Legend DVD。紀伊国屋にてモンスター5巻(実家トイレ置き用)、ペルセポリスI / イランの少女マルジを次女に購入。寿し常にて遅い昼飯を採る。次女は腹ぺこでう〜ん美味しいと唸りながらぺろりと食べる。

ようやく休みのとれたgentaがチャリ(シマノロードスポーツ)を受け取りに来る。交換用チューブラーなどは荷物になるのでいずれまた。勝どきから1時間ほどで戻れたとのこと。サッカーで鍛えた身体では、こちらの思う程大変ではないのだろう。事故には気をつけて。gentaより薦められ、ルネッサンス / クリスチャン・ヴォルクマンDVDをアマクリ。プリンターの件を相談し、HPが悪くないらしいが、個人的には、白黒に特化した出力として、やはりキャノンにしようかという気持ちになる。
実家よりgarioが父親の硯用の石を取りに来てくれたと連絡があり、garioに感謝のメルをする。